【No. 003】帰巣本能【ホラー要素あり】
65.1Kg
体重計から送信されたデータがスマホに表示した数値を凝視する。
ついに65キロを越えてしまった。
男はわき腹に目立ち始めた贅肉を掴みながら嘆息する。
「最近、食い過ぎて、運動不足だもんな」
わざわざ口に出す必要もない事実を呟く理由は、自分自身の自覚を促すためだが、焦燥に至る切迫感はさほど湧き上がらない。
「ま、なんとかなるだろ」
男は二年前の自分を思い出す。
体重が90Kgを越えて、健康診断のあらゆる数値が危険値を表し、駆けこんだ先の医者から余命宣告の予報宣告を下された。
多忙な仕事、さまざまなストレスを言い訳に繰り返した、怠惰で不摂生な生活は、現実的な命の危険を突きつけ、そこに至りようやく男は改善に着手した。
ただ、自らの意志の弱さを知っていた男は、ゆるやかな改善策では長続きしないだろうと考え、無茶をした。
徹底した食事制限は、カロリーと糖質、脂質を抑えることに集中した。
同時に意図的な運動による消費カロリーを500Kカロリー以上と設定し、これを毎日続けた。
主食はキャベツとなり、米を食わず、鶏肉を食べ、脂身は捨てた。
処方された薬の効果もあり、男は一年で30Kgの減量に成功し、それを約一年維持してきた。
一度、劇的なダイエットに成功し、リバウンドも抑えることができた。
その事実は男にとって揺るぎない自信を与え、もし仮に、以前と同じ体重まで至ったとしても、もう一度同じことをすればいい。
そう思っていた。
・・・・・・・
「やあ、こんにちは」
男は座り込んだ姿勢のまま、顔だけを上げて声の主を探した。
見渡す限り何も無い大地の上、目の前にはたき火の炎が揺れている。
その傍らに、銀色のトレーに載せられた肉塊があった。
声は確かに、その辺りから聞こえたはずだ。
「信じようが信じまいが、君と話しているのは僕さ。僕を認識してくれてありがとう」
「………なんで、肉が喋ってるんだ?」
「ここは君の夢の中だからね。肉だって喋るのさ」
「夢?」
「深層心理でもなんでも。君が体感している事象は君の脳が作り出している。それ以上でもそれ以下でもない」
「良く分からない。俺はなんで肉なんかと喋る必要があるんだ?」
「おいおい、冷たいこと言うなよ。元はと言えば僕は君だったんだぜ?」
「肉が、俺?」
「二年前、僕らは一緒だったじゃないか」
「……俺が太っていた時の肉だと?」
「そうさ。君が一方的に嫌って捨てた、君だったモノさ」
「別に、俺は手術とかで肉を除去したわけじゃない。ちゃんと少しずつ努力して肉を落としたんだ。そんな塊であるわけがない」
「大変だったよ。ここまで集めるの。でもやっと自我を確保できたんだ」
「自我? ただの肉のくせに」
「脳が、臓器が、骨や四肢があれば、君だと? いいかい? 僕は君のあらゆるところからそぎ落とされた君だった肉なんだよ? 君と何が違うんだい?」
「俺は、俺だろう!」
「僕も僕だよ。まあこんな不毛な会話は止めにしよう。今日はね、ごあいさつに伺ったんだ」
「挨拶だと?」
「これからまたご一緒するんだ。社交辞令とは言え、礼節は大切だろう?」
「一緒……ってなんだ、お前、なんで、肉が、ただの肉が!」
「30キロもあれば立派な生き物さ。大丈夫。これまでも一緒だったんだから」
肉はいつの間にか、たき火に炙られ香ばしい香りを漂わせていた。
「やめろ、よせ、俺はお前なんか知らない!」
「再会を祝して、僕を食して」
・・・・・・・
67.3Kg
スマホに表示されている経過グラフは右肩上がりを続けている。
もう、三日も食べていないのに、男の体重は増加を続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます