【No. 002】Imprinting

示見覚じげんさとるさんへ お話があります。本日放課後、体育館裏で待ってます。 一年四組 支保須春香』


 そんな簡潔かつ不安を煽るようなメモは、下駄箱の中に置かれていた。


「え、なに、果たし状?」


 そんな可能性が無意識に口から飛び出すほど、俺の日常にとって予期しない出来事であった。

 そりゃあ確かに高校生ですから、予期しない出来事であっても、何らかのロマンスは期待してしまうけど、それをストレートに思案し訪れた結果が絶望に染まる危険性(過去の経験)を感じ、身構えてしまう。


 そもそも俺はこの名前に心当たりがない。

 更に言うならば、これまでの名前は浮かんでこない。

 となると、向こうが一方的に俺を認識していることが確定する。

 申告に偽りがなければ、支保須春香さんとやらは一年四組。俺が一年三組である以上、体育の合同授業などで接点があったのか。

 いや、それでも体育着の胸元には名前が書かれていて、俺の脳内にはいくつもの顔と名前と体形が瞬時に思い出せるので、この人物はまだ未入力ということになる。

 その理由?

 健全な男子高校生がこっそりとした視線を注ぐ場所は、自身の嗜好によって変化すると言えるからだ。

 もし俺が尻好きなら、残念ながら後ろ姿な訳で、胸元に書かれた名前を見ることはない。


 は! いや待て待て。支保須春香とやらが女性であると考えるのは早計だ。

 入学式でのクラス分け、一組から順番に見て、自分の名前を確認した時点までの記憶しか残っていない。

 つまり四組の名簿はフルコンプしていないんだ。


示見じげん、どした?」

「なななななんでもない!」


 同じ三組の塚内くんに横から話しかけられ慌てる。

 思案するにしてもここでは目立ち過ぎるし、そんな印象を持たれるのは本意じゃない。

 俺はメモをズボンのポケットに突っ込み、靴を履き替えて「じゃあ、また明日」と生徒用玄関を出る。

 目立たないようにゆっくり、校門に向かういつもの帰路から外れ、さりげない姿勢を保ちながら体育館方面へ向かう。

 自意識過剰ってのも理解してるけど、違和感というやつは記憶に残りやすい。

 俺の行動なんてだれも意識していないだろうが仕方ない。

 万が一、俺と同じような能力を持っているヤツがいれば、そんな普段と違う俺の行動はきっと記憶に残る。

 それは俺自身がよく理解していることだからだ。


 俺には、意識して見たモノを記憶しておく能力がある。


 物心ついた頃から、意識した瞬間の視界を記録として記憶することが出来た。

 ただ、場面を思い出すためには、スマホで撮った写真を確認するように、たくさんある記憶の中から探す手間があった。

 記録は出来ても検索機能は皆無。

 予め強く明記した記憶であれば思い出しも容易だったため、丸暗記系のテストは大得意だけど、解釈に依存する国語、英語のヒアリングなどは壊滅的だった。


 何より、当たり前に活用している能力が、他の人に備わっていないという事実を知ると、それまで優越感すら覚えていなかったのに、何故だか猛烈な孤独感に苛まれた。

 便利な能力。

 でも、身の回りにそんなヤツがいたとしたら、あまり歓迎されないと思う。

 俺だって、見えないカメラで盗撮するようなヤツとは距離を置くだろう。

 必然、俺は一人を好んだ。






―――― ◆ ―――――






「ずっと前から好きでした!」


 体育館裏に辿り着いた俺に、見た記憶はあるけど名前と紐付いていない可愛らしく小柄な少女がいきなり告白してきた。

 名前と関連付けしていない以上、少女と俺の接点は特にないはずだ。


「初めまして」


 俺は動揺を必死に隠しながら、周囲に目を配り返事をする。

 きっと悪ふざけか、罰ゲームの類だろう。


「そ、そんな……覚えてないの?」


 少女は俺の挨拶に対し驚愕の表情を浮かべつつ、やたら熱っぽい視線で見つめてくる。


「あ、その顔で思い出した。今朝、廊下でぶつかった子だ。まさか、それがきっかけとか?」


 登校時、階段から廊下に出る際、俺の胸元に突っ込んできた女子だ。

 慌てていたのか、えらく驚いた顔をしていたことを思い出し苦笑する。


「それまで忘れていたことは事実ですが、そんな浅い想いじゃありません!」

「ところでこれ、君の?」


 俺はメモを取出し振って見せた。


「はい。申し遅れました。支保須春香しほすはるかと言います」

「残念ながら人違いだと思う。君の顔と名前は少なくとも高校入学前までの記憶に存在しないんだ。理由を説明するつもりはないけど」


 記憶に無い以上、彼女の言う「ずっと前」は成り立たない。思い出を勘違するくらい忘れる事が出来れば、俺も少しは期待できたのにな。


「それはあなたが覚えていないだけです。私は覚えてる。あなたの体温も、息遣いも……叩かれた痛みも」


 言いながら支保須は赤面し語尾は震える。


「ちょっと待て! 言いがかりはよせ! そんな経験があったら能力なんてなくても忘れる訳ないだろうが!」

「能力?」

「……俺はさ、信じてもらえないかもしれないけど、見たモノを瞬間記憶できる。君の顔はこの学校に入った先月以前には覚えてないんだ」

「見ていなかっただけでは?」


 驚きもせずそんな返しをする支保須。


「見ていない? 目隠しプレイ……いやいや、俺にそんな記憶はない」

「ああ、言い忘れてました。私、匂いを覚えているの」

「匂い? 俺そんなに変な臭い?」

「匂いに、変もなにもないよ? それに、あなたの匂いは生まれて初めて体験したもの、忘れられるワケない」


 照れながらモジモジする支保須の姿をとりあえず全力で記憶しておく。

 え、今なんて言った?


「匂いを覚えてる?」

「うん。産まれた時から嗅覚が発達してるみたいで、ついでに匂いの識別と記憶ができるの」

「俺の視覚記憶と同じ? じゃあ俺の記憶ってのは?」

「誕生日、先月でしょ?」

「……そうか、コウノトリ産院?」

「そういうこと。ね、もういいよね?」


 そわそわしてる支保須がじりじりと近付き、承諾もなく俺の胸に飛び込んできた。


「ちょっ! おい!」

「あーこの匂いぃぃ、ずっと探してたのよー。この前まで花粉症で鼻が利かなくて分からなかったんだ」


 俺の胸で陶然とした声を上げる彼女の頭頂部は綺麗だった。

 

 こうして俺たちは新生児室以来の再会を果たし、その後、俺が記憶する彼女の姿は頭頂部ばかりになった。

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