第26話「結婚」
結婚。
そのワードはあまりにも衝撃的で、そして私を破壊するものだった。いつの間にか下の名前で呼び捨てしている。しばらく頭の中が真っ白になった。目の前も、何もかもが真っ白。世界がひっくり返ったようだ。
「そうなんだ……」
その言葉を絞り出すのに精一杯だった。こんなことしか言えない自分が情けない。
「籍は先週入れた。結婚式は来月やる予定。お前には……やっぱり来てほしい」
そんなこと急に言われても返答に困る。そのまま即答で「はい、喜んで」なんて言えない。仮にも私が唯一愛した人だから、その康太が私じゃない誰かと結婚する様子を見せられるのは正直耐えられないだろう。
「もし、今私と会っていなかったら、私にどうやって伝えるつもりだったの?」
「その時はお前んとこのおばさんから伝えてもらうつもりだった」
だとしても私が康太の結婚式に行く可能性はゼロに等しいだろう。康太は、何もわかってくれなかったんだ。押し倒して、絶交までしたのに、私の気持ちには何一つとして見向きもしてくれなかった。悲しくなった。もう逃げ出してしまいたかった。
店内に流れる有線の音楽がうるさい。私の苛立ちのような感情は康太にも見抜かれていたようで、大丈夫か、と尋ねられた。とっさに大丈夫だよと返したけれど、心中は穏やかではない。誰のおかげでこうなったと思っているんだ。
「ごめんね……やっぱり結婚式には行けないかな」
「そう言うと思った」
でも、と語る康太の顔は真剣な表情だった。ああ、本気で来てほしいんだ。そう痛感する。だけど行けるわけがないし、祝うことなんて無理だ。
「朱莉は、俺にとって大事な存在だから」
その言葉の中に恋愛感情が何一つとして入っていないことが悲しい。こんなの普通恋人が言うセリフだ。なのにただの幼馴染である私に使うなんて、本当にこいつはズルい性格をしている。それが無自覚なのがなおさら腹立たしい。
だから、ヤケになって私もズルい質問をぶつけることにした。
「じゃあ、私と奥さんどっちが大切か答えて」
「は?」
「答えて」
戸惑う康太なんてお構いなしに私は尋ねた。当然答えは決まっている。ここで私なんかを選ぶようなバカではないことくらいわかっている。
「それを知って、お前はどうするんだ」
「別に。だけどさっきの康太の言葉、なんかムッときたから」
ギアが全開になった私に怖いものなんてない。思ったままをそのまま口にする。それでも康太はまだ私の言いたいことがよく伝わっていないようだった。頭上に「?」のマークがいくつも浮かんでいるのがよく見える。
康太は何かを観念したかのように、はあ、と溜息をついて口を開く。
「もちろん楓のことは好きだ。そうじゃなきゃ結婚だってしていない。でも朱莉のことも俺は大事だと思ってる。小さい頃からずっと一緒だったし、いつも隣にいた。恋愛感情とは違うけど、大事な存在だとはずっと思ってた。それは今も変わっていない」
満足か、と康太は私に問う。大満足だ。予想していたものと寸分も違わない百点満点の回答。
「そっか……ならいい」
これ以上話すことも何もない。私は席を立ち上がった。目の前で私の恋愛が粉々にされたのだから、むしろ清々しいくらいだ。だけど康太は、私がこの場を去るのを許してはくれなかった。
「待って!」
突然叫び出したかと思えば、急に私の手を掴む。フードコートのほとんどの客が私たちに視線を向けていた。恥ずかしいなんて騒ぎじゃない。顔が真っ赤になっていく。
「場所、移そっか」
「そうだな……」
この場にいられない空気を感じた私たちは、そそくさとフードコートを後にした。でもあの時呼び止めてくれたことで私に少しだけ決心ができた。それは、今まで抱えてきた重い呪縛から解放されるかもしれない、あの言葉のことだ。
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