第11話「登校」

 カーテンの隙間から朝日が差し込む。昨日よりも体調はすこぶる元気だ。昨日康太が来てくれたのが一番の薬だったのかもしれない。それか、昨日チンして食べたおかゆが身体に効いたかのどちらかだ。


 いつも通り制服に着替えて身支度を済ませると、私は玄関のドアを開けた。


「よっ」


 家から出て早々に康太が待機していた。ぎょ、と声を出しそうになったけれど、寸前のところで我慢した。別に康太が家の前で待ってくれることは珍しくないけれど。


「おはよう……」


 昨日のこともあってまだ少し恥ずかしい。康太は何食わぬ顔でいつものように「おはよう」と返すと、手に持っていた1本の折り畳み傘を差し出してきた。柄も何もない、水色の傘。一昨日康太に貸したものだ。


「これ、昨日返すの忘れてたよ。借りっぱなしで悪かったな」

「そんなのいいよ、1日くらい。でも、ありがと」


 私はその傘を素直に受け取り、自分の通学用鞄にしまい込んだ。


「行こ、康太」


 そう促して私たちは一緒に登校した。この光景だけを切り取ると人によってはカップルに見えるかもしれない……いや、それは慢心か。現に、私たちはそういう関係にはなれない。少なくとも、康太にとっては。


「でもさ、康太もバカだよね。こんなの玄関とか部屋の前とかに置いとけばよかったのに」

「いやいや、こういうもんは普通手渡しで返すのが常識だろ」

「そうかなあ。私は別に気にしないけど」

「俺は気にするんだよ」


 そういうものらしい。昔から康太は義理とか礼儀とかそういうことに少しうるさいところがある。食事前には「いただきます」ってちゃんと言うし、食事が終わると「ごちそうさま」って言う。周りからそれをからかわれても「だからなんだよ」と平気でいられる。そういう優しくて芯のある人間だ。


 その後も私は康太と雑談をしながら学校に向かっていた。平穏を装うのはもう慣れた。康太となんでもない会話をしている時が一番富永さんのことを忘れられる、はずだった。


 いつまで自分を騙し続けるの?


 ずっと抱えていた感情が、耳元で囁く。もし康太が富永さんと付き合い始めたら、私はもう康太と一緒にいられない。それこそ今の幸せな朝の時間だってなくなってしまう。でもそれは仕方のないことなのだ。康太は私には振り向いてくれない。私は、2人の恋愛に邪魔な存在でしかない。いつか身を引かなければならない時が来る。そんなの、嫌に決まってる。


「おーい、どうした?」


 康太の呼びかけで私は我に返った。どうやら長い間考え事をしていたらしい。


「やっぱりまだ体調悪い?」

「ううん、そんなことない。心配してくれてありがと。私は大丈夫だから」

「それならいいんだけど」


 アンタのせいだからな、と蹴っ飛ばしてやりたくなったけれど、この感情は胸の内に留めておくことにした。きっと、何一つ解決はしないから。


 教室に入ると真っ先に富永さんが私のところへ駆けてきた。


「一昨日はごめんなさい。そのせいで鈴木すずきさん、風邪ひいてしまって……本当にごめんなさい」


 鈴木というのが私の苗字だ。富永さんは深々と頭を下げる。


「そんな、別に気にしなくていいよ。親が迎えに来てくれるって見込んでた私がバカなだけだったんだから」


 そう宥めるけど富永さんは頭を下げるのをやめない。ひょっとしたら土下座まで行くかもしれない。いい子なのは間違いないけれど、ちょっとこれは行き過ぎている気がするようなしないような。


「まあ、朱莉が気にすんなって言ってるんだから、この話はこれで終わり。朱莉も無事に戻ってこれたんだし」


 康太はパチンと手を鳴らす。美味しいところだけ持っていきやがってこいつ。なんだかむかっ腹が立ってきた。私はコツンと康太の足の脛を蹴る。


「いって。何すんだ朱莉」

「べっつにー」


 私は康太に目も向けず自分の席に向かった。その途中で富永さんは1冊のノートを渡してくれた。中身は昨日の授業をまとめたものだった。丁寧な字で、内容も分かりやすい。富永さんは「ご迷惑をおかけしました」と一言添えて、自分の席に戻った。


「そこ、邪魔なんだけど」


 富永さんからノートを貰った位置は丁度康太の席だった。ごめんと告げて私は自分の席に戻る。


 そこからの1日は普段と変わらない日常だった。こんな日々がずっと続けばいいのに。そう思っている自分がどこかにいた。やがてそんな平穏な日々も崩れ去ってしまうことなんてわかりきっているのに。

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