第9話「風邪」

 翌日、私は目が覚めるとすぐに体の不調を感じた。頭はガンガンと打ち付けるように痛く、少し熱っぽい。全身の倦怠感もひどい。どうやら風邪をひいたらしい。原因は昨日の雨だ。起き上がる気力もなく、意識もぼうっとして自我を保つのも難しい。とりあえずスマートフォンで母を呼び、病院に連れていってもらった。


 処方箋を貰い、部屋に戻ってベッドに横たわると、すぐに睡魔が襲ってきた。よほど体力が消費されていたのだろう。事実母の支えがなければおそらく病院に行くための車にも乗りこめなかっただろう。熱を測っても40℃近くあったし、私の体は相当まずいことになっている。傘なんか貸さずにそのまま帰っていればよかった、なんて感情がふと頭をよぎる。そのまま思考はもやがかかるように不鮮明になっていって、そこから先のことはあまり覚えていない。


 目が覚めるともうすっかり夕方だった。ぐっすり寝たせいか、体調はかなり回復した。倦怠感も取れ、熱っぽさはなくなった。まだ少し頭痛は残っているけれど。


 勉強机の方を見ると、お茶碗におかゆがラップされた状態で置かれていた。その隣には付箋が張られていて、母の字で「元気になったらチンして食べてください」と書かれていた。どうやら昼に持ってきてくれたらしい。一体どれだけ眠っていたんだと、自分で恥ずかしくなる。


 すると、トタトタと誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。私の部屋は階段を上ってすぐ左の部屋にあるから、よりはっきりと聞こえてくる。足音から察するに、母ではないことは間違いない。父が早く仕事を切り上げて帰って来たのだろうか。


 足音が止むと、今度は私の部屋の扉を3回ノックする音が聞こえた。


「朱莉、入ってもいい?」


 康太だった。予想もしなかった来客に、思わず「ひっ」と自分でも聞いたことがないような声が出た。


「今日風邪だっておばさんに聞いたから心配になって……お見舞いに来たんだけど、入っていい?」


「え、えっと……風邪うつったらいけないから、入らないでくれると助かる」


 入ってもらえよ私のバカ。でもこんな寝起きのカッコ、康太にも見せられない。


「そっか。じゃあ俺、入らずにここにいるから。それなら問題ないだろ?」

「まあ、いいけど」


 か細い声で私は答えた。どうして入ってこないんだ、少しは察しろ、なんて思ったけれど、こういうところも康太の優しさなんだろうな。


 それにしても緊張する。まさか康太がここに来るなんて。康太が私の家に遊びに来たのはおそらく小学校6年生の時が最後だ。それ以来誰かを招いたことなんてなかったから、どんな風に接すればいいのかわからない。頭の中が真っ白になる。


「ごめんな、急に押しかけて。でも心配だったんだぞ。お前風邪なんかひかないタイプだから、本当にマズいやつなんじゃないかって」

「何それ。ただの風邪なんだし心配しすぎ。それに、今日は1日ぐっすり寝たからもう元気だよ。明日にはもう学校に戻れそう」

「そっか、ならよかった」


 康太はドアの向こうで安堵したように呟く。本気で心配してくれていたようだ。少し、いやとても嬉しい。心がぽかぽかと温まる感じがする。だけど、まだ心のどこかが冷えてしまっているのは、この優しさが私だけのものではないと知っているからだ。むしろ私に向けるその優しさが、深く、確実に、私に牙を向ける。お願いだからそんな風に優しくしないで。でないと、私はアンタを諦めきれなくなる。


 すごく嬉しい、嬉しいはずなのに、どうしてかそれと同じくらい悲しかった。

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