第5話「康太、動く」

 放課後になると少し学校の中が賑やかになる。今日から文化祭に向けての準備が始まるからだ。といっても本格的に準備が始まるのはもう少し先で、ほとんどは部活に行ってしまった。教室に残っているのは部活サボり組か帰宅部のどちらかだ。私は後者である。


 私たち1年生は例外なくクラス内展示と決められていて、教室内を華やかに飾り付ける。コンセプトは自由、というのはありがたくもあるけれど、投げやりにされているような気もする。


 私たちのクラスのテーマは「海の世界」だ。クラスの美術部の子が数日前に見た海洋系動物のドキュメンタリー映画にドはまりしたらしく、是非やろうということで決まった。案を出す時点でかなり力説していたから、相当やりたかったんだろうな、と彼女の熱量が窺える。


 彼女が出してくれた案をベースにどんな展示にするかを企画しながら、実行委員の2人は資材の段ボール集めの度へと出ることになった。近くのスーパーで古段ボールが積まれているからそれを頂けないか交渉するそうだ。


「康太、ちょっと」

「何?」


 2人が出る直前、私は康太を呼び止め、耳打ちした。


「わかってるでしょうね。滅多にない富永さんとの2人っきりのチャンスなんだから」


「うるせえ。そんな心配しなくていいから」


 コツン、と一発殴られたけど、大した痛みではなかった。早く行こう、と廊下から富永さんの声が聞こえる。その声に惹かれるように康太は彼女と共に行ってしまった。


「追いかけなくていいの?」


 後ろからヌッと杏子の声がした。彼女の気配の消し方はプロのそれを感じる。思わず「ひゃあ」と変な声が出てしまった。


「そんなに驚かなくてもいいじゃないか、失礼な」

「じゃあ急に現れないでよ。っていうか、吹部どうしたの?」

「いやー、忘れ物取りに来たんだよ。ついでに朱莉の顔も見に来た。どう? 2人が付き合ったら吹っ切れそう?」

「……どうかな」


 そんなのわからない。その時の感情なんてその時になってみないとわからない。でも、確かに言えることが一つある。


「ただ、康太には幸せになってほしいからさ」


 それが富永さんと結ばれることだとしたら、私は受け入れざるを得ない。だって、康太が肯定するものを私が否定することなんてできないから。私は康太が大好きだ。だから、康太のことなんて否定できるわけがない。


 ふうん、と杏子は合図地を打つ。何を考えているのかわからない、そんな目をしていた。ぼうっとどこか遠くの方を見ていて、掴みどころのない顔だ。


「そこの2人、用がないならちょっと手伝ってくれる?」


 リーダーの子、つまり案出しした美術部員が私たちに呼びかけた。


「じゃあ私部活行くね」

「あ、ずるい」


 杏子はそう言って逃げるように教室を去っていった。なんだか全部杏子に見透かされているのは気のせいだろうか。そんな疑問を抱きながら、私は彼女たちの企画会議に参加する。


 会議の内容は「展示する海洋生物は何がいいか」だった。どうやら段ボールを組み立てて生き物を作るらしい。なかなか凝っている。会議に参加しているのは女子ばかりで、男子は教室の隅で本を読んだり友達と話したりしている。


「やっぱイルカは外せないっしょ」

「クラゲとか可愛くない?」

「えー、アザラシの方がいいよ」


 なんて会話が飛び交う。正直ついて行けない。鈴木さんはどう思う? と急に話題を振られても正直返答に困る。適当に「みんなが決めたものでいいよ」と返した。多分、こういうところでちゃんと答えられないから康太にも告白できないんだろうな。


 結局会話の外にいた男子に「イルカを軸に浅瀬の雰囲気を再現するのはどうだ」という100点満点の案が出たので、私たちは満場一致でその案に決めた。ちょうどその頃資材交渉に行っていた実行委員の2人も帰ってきた。康太曰く、毎年のことだから快くOKしてくれたそうで、現在大量の段ボールは担任の車の中に詰め込まれてあるとのこと。


「今何してたの?」

「どんな展示にするか決めてたとこ。段ボール足りるかな」

「足りなかったらあとは自分らで持ってくるしかないだろ」


 リーダーと康太がそんなやり取りをする。この時の康太の顔は私といつも会話する時と何ら変わらず、改めて康太にとって富永さんがいかに特別な人であるかということが分かった。同時に、富永さんという壁がそれだけ大きなものだということも思い知らされた。


 今日は他にすることもないのでこれで解散することとなった。教室内にいた人たちの半分くらいがぞろぞろと帰宅していく。リーダーはまだ残ってデザインを考えるらしい。


「私たちも帰ろっか、康太」

「ん? あ、いや、まだ実行委員の仕事あるから、もう少し残っておくよ」

「……そっか」


 本当はただ富永さんと一緒にいたいだけなんじゃないか。そんな風に考えてしまう自分が嫌だった。いつから私はこんな性悪な女になってしまったのだろう。


 結局私もこの場に留まることを決めた。正直いても戦力にはならない。だけどできる限り康太と一緒にいたかった。ずるい女だ、とつくづく思う。

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