第1話「大バカ野郎」

 康太が好きになったのは、富永楓というクラスメイトだった。腰までかかるくらいの黒い長髪がとても似合う子で、芋っぽい私なんかよりもよっぽど美人だ。スタイルもいいし、勉強だってできるし、スポーツだってなんでもこなせる。誰に対しても分け隔てなく優しいし、非の打ち所がない。まさに完璧美少女だ。康太が惚れこむのも無理ないかもしれない。


「俺さ、中学の時から富永とみながさんが好きだったんだ」


 衝撃のカミングアウトを食らったのは夏休みが明けた少し後のことだった。この日もいつものように康太と帰り道を一緒に歩いていた。そうしたら突然「相談したいことがある」って言い出すから、期待半分不安半分で「何?」って尋ねたらこれだ。


 富永さんとは中学が一緒だった。私も康太も富永さんと中学3年生の時にクラスメイトになったことはあるけれど、その時はあまり接点がなかった。だけど、その時からずっと好きだったなんて……ハンマーで殴られたような痛みが頭の中で響く。


「……ふうん」


 平穏を装うのも精一杯だった。確かに富永さんは私よりも優れているところがいくつもある。むしろ私が富永さんに勝っている要素を探し出す方が難しい。強いて挙げるなら、私の方が康太を好きになった年数が長い。でも告白できていなければ意味はない。はあ、と心の中で鈍色の息が漏れる。


 その後も康太は富永さんのことについて色々話してくれたけど、全く頭に入ってこなかった。どうして、どうして、といろんな感情が私の中を駆け回っている。康太を取られることが悔しかった。告白できなかった自分が情けなかった。どうしてもっと早いうちに告白しなかったんだと、自分の意気地なさを恨みさえした。


「康太はさ、なんで、富永さんのこと好きになったの?」


 どうしてそんなこと尋ねてしまったんだ、と口に出してから気が付いた。メンタルをズタズタに引き裂かれて、それでもなお傷口を広げようとするなんて自殺行為に等しい。


「なんで……か。恥ずかしいから言えないな」


 それは、私が今まで見たことのない顔だった。頬を赤く染め、照れくさそうにはにかむ康太の顔は、紛れもなく恋をしている人だ。私には決して向けられることのなかった顔。ああ、本気なんだ。ぎゅっと胸が苦しくなる。


「……バッカみたい」


 私はその場から逃げ出すように走った。「どうしたんだよ」と呼び止める康太の声なんか聞こえないふりをして、一目散に家へと向かった。ここから家まではそこまで離れていない。だけど全力で走ったせいか、玄関を開けた時はもう息も絶え絶えだった。


 自分の部屋に戻った私は、制服のままベッドへダイブした。バタバタと脚を動かす。ゴロゴロとベットの上を転がる。そんなことをしても心の中の慟哭は収まらない。


 バカじゃん。


 大バカ野郎じゃん。


 どうしてもっと早く告白しなかったんだ。中学で告白していたら、康太が富永さんを好きになる前に告白していたら、きっと結果は変わっていたかもしれないのに。


 気分が悪い。頭がクラクラする。今日はもう何もしたくない。私は仰向けになって天井をぼうっと眺めた。カーテンも開けず、電気もつけない6畳の私の部屋は、まだ日の明るい夏の夕方でも薄暗かった。


 ピコン、とスマートフォンが一通のメッセージを知らせる。康太からだった。


『大丈夫?』


 たった一言だけだったけど、その言葉が胸の中をえぐる。今は康太の言葉一つ一つが私を壊す凶器だ。あと何通か文章が送られたらえぐられ過ぎて臓物が全部かき出されるかもしれない。


『なんでもない。ちょっと急ぎの用を思い出しただけ』


 サムズアップするキャラクターのスタンプと共に私はメッセージを送信した。文面ではいつも通りだけど、本当はもう心の中はぐっちゃぐちゃだ。今すぐに淀んだ感情や黒ずんだ恋心を吐き出して、何もかもを忘れてしまいたい。


『ならいいけど、あんまり無理はするなよ』


 康太からの追撃だった。そういう中途半端な優しさを見せるのは本当にやめてほしい。私が勘違いしてしまう。


『無理してないよ、ありがとう』


 また明日、と会話を締めて、私はまた天井を眺めた。思い描いていたのは、康太のあの笑顔だった。今まで見たことのない恥ずかしそうな表情。やっぱり康太、富永さんのこと好きなんだ。そう実感せざるを得ない。


 もしも康太と富永さんが付き合うことになったら、康太のことを奪ってしまおうか。そんなことを思ってしまう自分が怖かった。

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