11/4(金)お引越し

11月4日(金)11時——。鳴尾浜球場


優勝パレードから一夜明けて、監督室に入り荷物を片付ける。島谷新監督は、明日から始まる秋季キャンプのため、高知へ行っているが、それでも早く部屋を明け渡さなければならない。


「……しかも、矢崎さんの物もあるし」


思い返せば、あの時の交代劇はバタバタしたモノであったため、あとで取りに来ると言ったまま、放置されている者もある。特にこの『俺たちの野球』と書かれた直筆の額や『ビックウェーブ』とスピリチュアルの先生に書いてもらったという色紙は、埃を被ってはいるが壁に掛けられたままだ。


「どうしよう……これ……」


今更ながら、すっかり忘れていたなと思いながらも取り外し、一先ず机の上に置く。着払いで送るか、あるいはゴミ袋に入れるかは悩むところだが、決断は新監督に引き継ぐことにした。


「辛井さん」


「ああ、ミスター……いや、永嶋さん。そっちは片付きましたか?」


コーチを退任して覆面を外した彼は、再びタレントに戻るようだ。だから、呼び方も変えた。けじめとして。


「ええ……ですので、お別れをと」


永嶋さんはそう言って、右手を差し出してきた。


「今までお世話になりました」


「こちらこそ。あなたがいなければ、優勝なんて無理でした」


そして、その右手を握り返して、「おつかれさまでした」と労をねぎらった。


「東京に来たら、また飲みに行きましょう」


それまでお互い元気で。それだけ言って、永嶋さんは監督室から去って行った。


「寂しくなったなぁ……」


監督席に腰を下ろし、部屋を改めて見渡して独り言ちた。


井藤バッティングコーチ、ブルペンを担当していた金田コーチ、守備コーチの八慈コーチ、バッテリーコーチの井藤コーチは、自分や永嶋さんと同じように退団することになり、今日同じように荷物整理をしてすでに球場を後にしている。


白原コーチは、1軍打撃コーチとして島谷新監督と共に高知へ、豊原コーチ、藤村コーチは2軍へ配置転換となったため、尼崎球場で秋季練習に付き合っている。当然、ここにはいない。


つい此間まで、ここでチームの勝利のために戦っていた仲間が、それぞれの道に散っていく。そして、自分も……。


「さて、そろそろ行くか」


最後に、勝ち取ったチャンピオンフラッグを折りたたんだ状態で机の上に置く。引継ぎ書など何もない。そんなものは必要ないだろう。これがその代わりなのだから……。

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