第6話 不思議で幸運な赤色の糸(4)

日はすっかり傾き、空の上は藍色に成り代わっていた。


アレフは空を眺めながら、隣に歩いているエトナに対して先ほどの問いに質問をした。


「さっきのどっちって質問。あれってどういう意味?」


アレフは林から聞こえてくるミミズクの鳴き声を聞きながら、エトナの反応を待った。


「どっちって、そのまんまの意味よ」


「いやだから、それが分からないんだけど」


「えっ、普通に疑問に持つでしょ?」


アレフはなんだか先ほどから会話がうまく嚙み合ってないような気がして頭を搔いた。


理解できていないアレフに対して、エトナはアレフの質問に答えた。


「性別よ。性別」


「性別?」


「顔はよく見えなかったけど、声色的には女の人の声に聞こえたの。でも、肩幅がそこそこ広かったし、手も意外と大きかったし」


「声色的に女の人だった!?」


アレフの反応にエトナが戸惑った顔をする。


「なによ。女の人っぽかったでしょ? でもあんまり自信がなくて……。だから思わず聞いたのよ」


「いや、声はどう聞こえても男の声だったろ」


「何言ってるの?」


アレフがダァトに抱いた男っぽいイメージと違って、エトナのイメージは女性らしさがあるようで、二人はしばしば頭を悩ませた。


「僕から聞こえた声は中性的だったけど、間違いなく男だった。雰囲気的にも」


「でも、一人称は私だったでしょ? それにアレフのことを、その、好きって……。喜んでいたじゃない」


「違うよ。男から好きとか言われたら、それは引いてしまうだろ」


気付いたら二人とも足を止めて話し込んでいた。


少しの間の後、エトナは一つの答えにたどり着いた。


「見る人によって、見た目が変わるってこと?」


「だとしたら余計に胡散臭い占い師だな」


ダァトの見た目はフードを被っているせいで、顔は分からないうえに、お辞儀する杖を持っているし、一語一句噛まずに話し続けられる舌を持っている姿は、まるで時々孤児院に現れる宗教勧誘する人のようで、余計にダァトに対しての二人の印象は落ちていった。


「私たちが行くところって、あんなのがいっぱいいるの?」


「だとしたら、それはそれで面白いけど」


アレフはセフィラには、あんな変なのが沢山いるのかと想像すると、思わず笑ってしまう。


と思ったが、今、エトナが聞き捨てならないことを言っていたことにアレフは気が付いた。


「え、騎士学院に行くことを決めたの?」


「うん」


「あの占い師のおかげ?」


「違うわ。みんなに迷惑かけたくないもの」


エトナがハニカムように笑った。


アレフもつられて笑ってしまう。


そうして談笑しながら孤児院までたどり着くと、玄関の前には先ほどマーケットでエトナを探し回っていた大男がいた。


思わずエトナは半歩下がると、小枝を踏んづけてしまい、その音に不安な表情をした。


大男はその音に気づき、ぐるりと体の向きを変えるとアレフたちを見つける。


見つけるや否や、大男は驚いた顔をし、一気にアレフたちの傍に駆け寄る。


アレフは先ほどのポンメルンの態度から、この人も多分悪い人ではないのだろうと思っていたが、状況を知らず孤児院から飛び出したエトナは後退り、思いっきり尻もちをついてしまう。


その姿を見た大男は「大丈夫ですか!」と大声で叫び寄った。


「エトナ嬢! 怪我はしていないか!」


「きゃー!」


エトナはアレフが聞いたことのないほどの甲高い声を上げた。


その様子をアレフはどうすることも出来ず見守っていたが、玄関からマクレインが何事かと飛び出してきた。


「どうしたのですか?」


アレフは未だに怯えているエトナと「どうしたらいいんだ!」と叫んでいる男を見た後、マクレインは「分かりません」と答えるほかなかった。


孤児院にはすでにランドルフたちが帰っており、三人とも二階に繋がる階段から、覗くように居間にいる大男を見つめていた。


居間にはマクレインとアレフ、エトナに大男の四人が食卓テーブルを囲っており、先ほど大男が食卓テーブルの上にある電球に頭をぶつけたせいか、ちらちらと埃が舞っていた。


アレフとエトナは対面にいる大男に頭を下げると、自己紹介をし始めた。


「吾輩はマース・ハイアームズと申します。ハイアームズ家の次男であり、現在は中級騎士として、また騎士学院の教師として在籍しております。以後お見知りおきを、クロウリー兄妹。それと、先ほどは申し訳なかった」


誇らしげに自己紹介したマースであるが、マースはちらちらとエトナの方を見ているものだから、埃と同じように鬱陶しいなとアレフは感じてしまう。


エトナも明らかに引きつった顔で、「いえ……」と答えをしていた。


「明日の明朝に二人を連れて出発する。そういうことで良いですね? マース」


「ええ、はい。そのようにご案内するように申し付かっておりますので」


マクレイン先生はマースにそう確認すると、アレフたちを見る。


「二人とも、よろしいのですね?」


「はい。お願いします」


アレフとエトナは揃って口にした。マクレインは心配そうにエトナを見た。


「本当にいいんですね?」


「うん、もう決めたから。大丈夫。アレフもいるし。何とか頑張ってみるよ」


「そうですか」


少し物悲しげにマクレインは二人を見つめた。


マクレインのその表情に、アレフは笑顔を作るので精一杯だった。


なぜなら笑顔を作っていないと、なんだか涙が出てきそうな感じがするからだ。


アレフが無理に笑顔を作っていると、対面の席でオイオイと涙を流しながら、マースが黄色いハンカチで目元を拭っていた。


「なんと良い子どもたち。なんと良い先生。なんと良い絆であろうか!」


マクレインやアレフたちは、思わず困惑してしまった。


「マースさんが泣くんですか?」


「マースでよいですぞ。アレフ殿」


マースは黄色いハンカチで、今度は鼻をすすった。


「じゃあ、僕もアレフでいいです」


「そのように呼んでいいのであれば……。ブシュッ! ……呼ばせていただきますぞ」


鼻をすすり終わったのか、黄色いハンカチを所々擦り切れたコートの中にしまい込む。


すると、エトナもマースに向かって口を開いた。


「じゃあ、私もエトナで良いです」


「なんと、エトナ嬢! そのように呼んでよろしいのか! まぁ、なんとお優しい方にお育ちになられて……。さぞかし、素晴らしい教育をなされたのだろう」


飛び上がり喜ぶマースを見て、マクレインが思わずマースの言動に引いていたのを、アレフは見逃さなかった。


マースは「失敬」とにこやかな表情をしながら席に座った。


「さて、明日はバンクーバーの支部まで行きます。長旅になりますゆえ、疲れるとは思います。今日はよく寝て、英気を養いましょうぞ」


「分かりました」


アレフはマースにそう答えると、一つ質問をした。


「そういえば、マースはどんなものを持っているの? 先生と同じようなもの?」


「同じようなもの、と言うのはアーティファクトのことですかな?」


「そうそれ」


アレフは目をキラキラさせながらマースを見るが、マースは階段にいるランドルフたちをちらりと見るとアレフに向き直った。


「残念ながら今お見せすることは出来ません。吾輩たちはあまり公の場でアーティファクトを使ってはなりませんから」


「そっか」


アレフは少しがっかりしてしまう。


すると、隣に座っていたエトナも次は自分の番とばかりに質問をする。


「それじゃあ、ダァトっていう人知ってる? さっき川であったんだ」


「ダァトとは?」


「ダァト……」

マクレインとマースはその言葉を聞くと考え込むように腕を組んだ。


二人がダァトについて思い出している間、アレフはエトナに「なんでさっきから、そいつについて拘るんだ?」と質問した。


「だってどう見ても不思議な人じゃない。予言だとか占い師だとか、お辞儀する杖に、見た目が人によって違うんだよ? 疑問に思わない?」


「全然」


「予言?」


マクレインが話に反応をした。


アレフたちを見ると、続けざまに言った。


「ダァトと言う人物は知りませんが、予言をする変質者の話なら、昔話題になりました」


「そういえば、七年前の時も同じ話をしている方がおられましたな」


「七年前?」


「ちょうど自然公園の戦争があった時に噂になりまして、なんでも、自然公園の戦争の予言をして的中をしたとか」


「はあ」


マースが思い出すように話をした。


マクレインも「街中で予言の話をする人がいたような……」と呟いていた。


「予言ってどんな内容なの?」


アレフはマースから目を離すまいと前のめりになった。


エトナもまた、マースを見ていた。


「確か、戦争の結末について。詳しくは分かりませんが、悪騎士マルクトが負けるという予言をしておられたようで、しかし……」


マースは考え込み、少し間を開けた後、アレフを見て口を開いた。


「吾輩が聞いた話では、人ではなく狐だったようで……」


「狐?」


思わずアレフとエトナは声を揃えた。


そしてお互いに目配せすると、マースに問いかける。


「その話、詳しく知ってる人はいるの?」


「それでしたら、騎士団総長のローレンス殿が知っていると思いますぞ」


「騎士団総長?」


「ええ、私たち騎士の、いわゆる顔役と言った方々で、とても素晴らしい方々ですぞ。そして何より、とても強い実力者ですぞ」


またもや新しい言葉が出てきて、アレフは椅子にもたれかかった。


その様子を見たマースは眉を上げると、「あちらに行けば会えます」というと、席を立ちあがった。


「え、帰るの?」


アレフがそう言うと「ええ、ここだと子どもたちが驚いてしまいますので」と言った。


さすがに見かねたマクレインは「まあ、待ってください」とマースを引き留めた。


「二階にはまだ客室があります。今夜はそこでお休みなさい」


「しかし、ご迷惑をお掛けするんじゃ……」


マースはつるつるの頭を掻き、申し訳なさそうに言った。


「そんなことはありませんよ。さぁ、客室へ。アレフ、ご案内してあげなさい」


「はい」


マクレインがアレフに優しく微笑みながらそう言うと、アレフは席から立ち上がった。


連れていくよう、アレフは階段の方に向かっていくが、そこにはランドルフたちがまだこちらを見ていた。


マースがランドルフたちを見て頭を下げると、三人はそそくさと自室まで行ってしまう。


その姿を見たマースは「吾輩は嫌われてしまっているのでしょうか……」とぼそりと呟いた。


そんな姿を見て、マクレインはフォローするように声をかけた。


「きっと、あなたの体躯と、アレフとエトナの旅立ちに驚いているのでしょう」


マクレインが優しくマースへ声をかけるが、マースは落ち込みながら「家族がいなくなるのですから、気持ちはわかります」というと、アレフに案内されて二階の客室に入っていった。


アレフがマースを客室に案内し終え、居間まで戻ると、マクレインは遅めの晩御飯を台所から持ってきた。


中身はシチューであり、シチューからは湯気が立っていた。


エトナはマクレインを手伝うように、スプーンを棚から取り出すと食卓に並べた。


アレフとエトナが椅子に座るとマクレインが「さぁ、お食べ」と言い、二人は「いただきます」と言ってシチューを口の中に頬るように入れた。


二人がシチューを食べている様子を見て、マクレインは何かを思い返すように話し始めた。


「懐かしいですね。最初にあなたたちが来たときも、シチューを食べさせてあげたものですよ」


「最初に来たって、七年前?」


エトナがシチューをスプーンですくいながら質問する。


「ええ、七年前です」


マクレインは手を組み、それを見ながら話を続けた。


「アレフはエトナを背負いながらここまで訪れ、ついた矢先に電池が切れたように眠ってしまったのです」


「今も遊び疲れるとすぐ眠るわよね」


「うるさい」


アレフとエトナのやり取りを見てマクレインは微笑んだ。


「あなたたちが訪れたときは、あの場にポンメルンもいたのですよ? その調子だと知らなかったようですが」


アレフとエトナは思わず、ほおばっていたジャガイモを噛むことを止めた。


「いたの? あの酷い人」


「だから、あれは演技だって」


アレフは何とかポンメルンの印象を正そうとするが、エトナは聞く耳を持つつもりはなかった。


「あの時はびっくりしました。アレフは傷だらけでボロボロでしたが、問題はエトナの方でした」


二人はほおばっていたジャガイモを飲み込んだ。


「エトナの体に大きな傷跡がありました。しかしどういうわけか、出血もしていなかった。よくあれ程の大きな傷を負っていても、致命傷になっていなかったのか不思議でなりませんが」


「先生それって」


「ええ、そう言うことでしょう。ポンメルンが言う、エトナが持ってる危険な力、その一遍でしょう」


「何の話をしているの?」


エトナはアレフとマクレインを交互に見た。


アレフとマクレインは(主にマクレインだが)、エトナが逃亡した後の話をした。


その内容を知ったエトナはどこか悲しげな表情をしており、「余計にここにはいられないじゃない」と呟いた。


話が終わるころにはシチューは二人の胃袋の中に収められ、お互いに自室に戻っていった。


アレフは身支度をしながら考え事をしていた。


それはアーティファクトという不思議な物がある場所に行けるという好奇心と、両親のことを知ることができる喜びだった。


まるで遠足に行く子どものようにわくわくしていたアレフは、重要なことを忘れていた。


「騎士学院って、何かを必要なものとかあるんじゃないか……。教科書とか……」


だがそう思いついた時には、部屋の隣の客室から大きないびきが聞こえており、アレフはまた明日聞くことにしようと思うのだった。

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