第5話 不思議で幸運な赤色の糸(3)

外は既に夕暮れ時で、エトナの目の前にある小さな川は太陽の光に反射して、キラキラとオレンジ色に輝いていた。


エトナは川辺の雑草の上に腰を下ろし、水面を見つめていた。


見つめながら、先ほどポンメルンが放った言葉を、頭の中で反芻していた。


——悪騎士マルクトは、私のお父さん。お父さんはアレフの家族を殺した。


しかし、エトナの記憶の中に、悪騎士マルクトと呼ばれる人物の顔は浮かばない。


アレフと同じように家族の記憶はほとんどないが、アレフと一緒に過ごしていた記憶は存在していた。


アレフとは髪の色も違う、目の色も違う、薄々実の兄妹でないことはお互いに知っていた。


だからだろうか、自分の実の父親らしい人が、アレフの家族を殺したのだったら、自分はどうやってアレフに顔向けすればいいのか分からなかった。


それに血がつながっていなくとも、本物の兄妹のようにしてくれる孤児院のみんなとは離れたくない。


今ここで生活している自分が何よりもエトナ・クロウリーらしいと感じていた。


「行きたくない」


エトナは考えていたことが口に出ていた。


「知ってるよ」


エトナの後ろで声がした。


振り返るとそこにはアレフが立っていた。


アレフはエトナの傍まで寄ると「隣座っていい?」と確認を取った。


エトナは黙って頷くぐらいで、すぐに川に視線を戻した。


「無理矢理だもん。エトナの気持ちを誰も考えていない」


アレフは地面に転がっている小石を拾い上げると川に投げた。


ぽちゃんという音が小さく水面で音をたてるだけで、続く音は見つからなかった。


「そして、それは僕もだ」


「えっ」


エトナは思わずアレフの顔を見た。


「先生が杖を見せてくれた時、すごいと思った。まだ知らないことがたくさんあるんだって。騎士学院に行きたいって思った」


アレフは笑顔を作り、エトナを見た。


そして話を続ける。


「両親のことも知らなかった。そして今日ようやく知ることが出来た。でもまだ知らないことはたくさんある。エトナのこととか、両親がどういう人たちだったのかとか」


アレフは石を投げるのを止め立ち上がり、お尻についた土を払った。


「みんなと別れるのは辛いけど、ずっと、というわけでもないだろうし……」


「でも私は……、私のお父さんかもしれない人は、アレフの家族を殺した。マクレイン先生は否定していないし、ポンメルンって言ったおじさんは、私を腫れもの扱いしてた。誰も歓迎してないところに、どうしてわざわざ行かないといけないの?」


「でも、僕はいる。ポンメルンって言う人も、エトナに謝ってたよ」


エトナの顔は俯いたままだった。


「あっちに行けば、きっと辛いこともあると思う。でも今回みたいに孤児院にけしかけてくる人もいなくなる。先生たちに迷惑をかけなくて済む」


エトナがアレフを見上げる。


アレフを見上げるエトナの目元は少し腫れていた、きっと、アレフが来るまで泣いていたのだろう。


「今回はポンメルンっていう人が来たけど、次来る人たちはもっと、危険な人たちかもしれない。それこそ孤児院に迷惑がかかるかもしれない」


エトナの顔は涙ぐんでいた。


自分が我儘を言って孤児院に迷惑をかけてしまう、そんな情景が浮かび上がったからだ。


エトナは立ち上がり、アレフを見つめた。


「迷惑……、かけたくない……」


涙を流すエトナに、アレフは優しく抱擁する。


アレフは背中を優しく叩き、エトナを慰めた。


「みんなのところに帰ろう」


アレフはエトナを引き離し、手を取り、孤児院に向かって歩いて行った。


「少しお待ちなさい」


アレフたちは突然、背後から声をかけられ声の方へ振り向いた。


先ほどまで自分たちが座っていた場所に、フード付きローブに身を包んだ男(声色的に男っぽい)が立っており、手には何かの民族と思わせるほどの派手な装飾がなされた等身大の杖を持っていた。


男は目深にフードを被り、あからさまに怪しい雰囲気で、アレフたちを見ていた。警戒したアレフはすぐにエトナを守るよう前に出た。


「すみません、どちらさまですか?」


「おおっと、突然で申し訳ないね。しかし、許しておくれ。私はこういう登場の仕方が大好きなんだ。人を驚かすことがね」


フードの男がそう言うと、丁寧なお辞儀をした。


そして手に持っている等身大の杖も同じように中腹をぐにゃんと曲げお辞儀をした。


見間違いではない、今、杖がアレフたちに向かってお辞儀をしたのだ。


思わず二人して目を真ん丸にして杖を二度見した。


すると、フードの男は笑いながら弁明する。


「失礼。こっちの世界では、こんな杖を見ることはないだろう。はっはっはっ!」


明らかに不審者である。


アレフが無言で見ていると、それに気づいたのか、すぐさま男はかぶりを振った。


「自己紹介だったね。と言っても自己紹介するほどの名前は持ってないんだけどね。そうだなぁ、なんて名乗ろうかなぁ……」


先ほどから自由に喋り、今度はぶつくさ呟く男に、エトナは「ああいうの苦手」と呟いた。


その言葉に思わずアレフも笑ってしまうが、そのやり取りに男が反応することはなかった。


「そうだなぁ、私のことはダァトと呼んでくれたまえ。人呼んで予言者とも呼ばれている。だから名乗る名前がないんだ。でも名乗る必要があるなら、こう呼んでもらおう。そうしよう。そうしよう」


あまりによく喋るものだから、アレフたちの警戒心は未だに解かれないままであった。


その姿を見て、男は落胆すると「まあいいや、本題に入ろう」と言って仕切り直した。


「私はこう見えて凄腕の予言者でね。予言したことは絶対に当たるんだ。どうだい? 今なら無料で占ってあげよう」


「結構です。マクレイン先生から、タダより怖いものはないって教わったから」


アレフはバッサリ切り捨てると、踵を返す。すかさず男は静止をかける。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。占いじゃなくてもいいんだよ? 例えばそうだな、そうだな……」


ダァトがあまりにも情けすぎるので、アレフたちは随分と冷ややかな目で男を見ていた。


「アレフ君はアインという言葉の意味を知りたくはないかな?」


「えっ」


アレフは思わずダァトの方を振り返った。


先ほどのポンメルンの言葉から、アインという言葉が出てきたのは印象に新しく、アレフは黙って男の方を見続ける。


「足を止めたってことは、興味があるということかな。結構。さて、ではアインについて教えよう」


ダァトは一歩、アレフたちに近づいた。


「アインというのは、他ならぬこの場所を指している」


ダァトは地面に向かって杖を一回叩いた。


「君たちが生活している世界のことさ。この世界で暮らすものをアイン族と呼ぶ。そしてこれから先、君たちが進む道は、セフィラと呼ばれる世界になる」


「セフィラ?」


「今日は疑問が絶えない日だろう、アレフ君。君のその好奇心はとてもいいものだ。私も好きだし」


アレフは思わず身震いをした。


突然知らない男に好きだと言われたのだ。


少し引いてしまう。


しかし、隣にいるエトナはその言葉を聞き、なんだか複雑そうな表情をしていた。


「さて、セフィラというのは不思議なものでね。まぁ、ここから先は実際に行って確かめることお勧めするよ。習うより慣れよ、というやつさ」


アレフはダァトがフードの奥底でニヤリと笑ったような気がした。


「あなたは、セフィラってとこから来たの?」


エトナが問いかける。


その言葉に男は「いかにも」とだけ答えた。


「さて、話を聞いてもらったことだし、そろそろ占ってあげようか」


「占いしたいだけじゃないですか?」


アレフは何となく、このダァトのしたいことの核心を突いたつもりで質問をした。


ダァトは照れくさそうにして、フード越しに頭の後ろを掻いた。


「よくわかったね。君、占い師の素質あるよ」


「あー、ありがとうございます」


ダァトはフード越しに頭を掻き終え、喜ぶ子供のように体を軽く揺らした。


その表現の仕方に、アレフの顔は苦虫をかんだような顔になっていた。


「さて、エトナちゃんからいこうか」


突然名指しされたエトナは驚いていてしまう。


「そうだな、君が想像しているよりも先の未来は明るいさ。少なくとも、アレフ君よりかはね。友達もできるし、称賛もされる」


「はぁ、どうも」


エトナは少し笑顔になり、突然飛び火した予言にアレフは思わず口をあんぐり開け、自身の方を指さし、エトナに確認する仕草をした。


「近いうちに君の周りには不思議なことが起きる。落とし物は必ず拾った方がいいし、ゴミ拾いもしっかりしなくちゃね。君が落し物になることもある。このくらいかな」


君が落とし物になること、という台詞にきょとんとするエトナであったが、そんなことはお構いなしにダァトはアレフの方を向いた。


「さて、問題は君の方だ」


ダァトがそんな風に言うものだから、アレフは予言とは何なんだろうかと思いながら、顎を触わり男の方を見る。


「君はエトナちゃんのことを守るために、たくさんの困難に立ち向かうだろう」


アレフは顎を触り続けながら、男の言葉に耳を傾けていた。


「だが、君は……」


「僕は……?」


アレフは未だに顎を触り続けているが、エトナは前のめりになりながら聞いていた。


男が一拍置いたあとに口を開いた。


「別れがあることを知った方がいい」


アレフは顎を触るのを止め、ダァトに質問した。


「別れってなにさ?」


「別れ、というのはあくまで比喩的な表現さ。遠い場所に行ったり、この世とは思えない所に行ったり、そういう意味さ」


アレフは一瞬、フードの奥でダァトがニヤリと笑ったような気がした。


「さて、あくまで予言だからね。鵜吞みにしない方がいい。だが信じてくれた方が、占い師冥利に尽きるというものさ。……さてとセフィラに戻るか」


ダァトは杖を地面に二回ほど叩くと、杖の先端から霧が噴出し、それがどんどん辺りに広がり、その霧はダァトを覆い隠そうとする。


あまりの速度に、アレフたちは思わずたじろいでしまう。


そんな中、エトナは男のいた方向に向かって大きな声で質問する。


「待って、胡散臭い人!」


「胡散臭いとは失礼な! しかし、引き留めてくれるとは嬉しいね。大丈夫! 君たちは騎士学院に行くのだろう? それなら近いうちに、また会えそうだ」


「違うの!」


「えっ、違うの?」


思わずアレフも男も同じように、驚いた反応をしてしまった。


「あなたって、本当はどっちなの?」


アレフはエトナの質問の意図が読めなかった。


エトナはダァトに何か感じ取ったのか、ダァトもエトナの質問に対して「なるほど、さすが女の子だ」と言うとダァトは霧の中へと消え、最後に言葉を残した。


「どっちであって欲しい?」


この短い時間でアレフやエトナが知った、ダァトという人物のそれらしい答えが霧の中から返ってきた。

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