第4話 不思議で幸運な赤色の糸(2)

孤児院に着いたときにはアレフもエトナも額に汗をかき、息も絶え絶えであった。


アレフたちは玄関をくぐると、急いで居間の方に向かった。


いつものように、居間の食卓にはマクレインが座っていた。


ただ少し違うのは、マクレインの対面には一人の男が座っていることだった。


黒いコートを椅子に掛け、濃い緑のセーターを着たちょび髭の男性が座っていた。


マクレインと男は会話中だったのだろうか、なだれ込んできたアレフたちにマクレインたちは驚いた様子でこちらを見た。


「どうしたのですか、アレフ! それにエトナまで!」


マクレインはこちらを心配そうに見たが、何かを察するとすぐに表情を一変させ、ちょび髭の男に怒鳴りつけた。


「まさか! エトナを襲わせたのですが!」


「まさか! 襲わせるなど、選択肢にはございませんよ。ただ、円滑に話を進めたくて、マースに少し様子を見るように頼んだのですが……」


男は笑いながら降参だと両手を上げ、マクレインに見せつけてはアレフたちをちらりと見る。


「あー、怖がらせてしまったようですね。マースは生徒たちに人気があると聞きましたが……」


「ポンメルン!」


孤児院全体が大きく揺れるほどの大声が響き渡った。


ポンメルンは顔を隠すように両手を覆った。


アレフたちも思わずその大声にすくんでしまう。


アレフたちはマクレインがあんな風に怒る姿に驚きを隠せなかった。


普段は温厚で、怒るといっても、大声を出すような人ではなかったからだ。


「あなたのような人に、エトナを渡すつもりはありません!」


——渡す? エトナを? いったい何の話をしているんだ。


アレフがそう考えると服の袖をエトナが掴んでいた。


袖の方を見ると、袖を掴んでいる手は震えており、エトナの顔を見ずとも、怯えているのは一目瞭然だった。


「いいですか、マクレイン先生。先ほども言ったように、エトナの親はあの悪騎士マルクトです。これ以上、この子をアインに置いていくのは賢明ではありません。エルトナム学院で預らせていただきます」


「許しません、そんなこと。エトナはごく普通の女の子です。普通のいい子なんです」


——悪騎士? アイン? 先ほどから交わされる言葉の中には聞きなれない言葉がいくつも出ており、アレフは困惑していた。


だがその中でもおかしな点にアレフは気づいた。


「悪騎士マルクトってだれ? エトナは俺の妹じゃないの? 何を言っているの?」


アレフがまくし立てるように質問をする。


その姿にマクレインたちがアレフを見る。


「アレフ。その名前はさっさと忘れてしまいなさい。エトナもそうよ。一生覚えなくていい名前よ」


「そうですよ、アレフ君。君は覚えなくていい。だがエトナ、君は覚えておくんだ。忌まわしき名前を」


「ポンメルン!」


「なんで、俺の名前を何で知っているのおじさん。一方的に名前を知っているのは不公平だ。名前を名乗ってよ」


アレフの声色は苛立っており、ポンメルンを睨みつけていた。


エトナをポンメルンから守るようにアレフはエトナの前に立ち、勇敢にも胸を張った。


その姿を見て、ポンメルンは「やはりあの夫妻の子どもだ」と呟いた。


「あの夫妻?」


「そう、あの夫妻。クロウリー夫妻のことさ。君のお父さんとお母さんだよ」


「俺のお父さんとお母さんを知っているの?」


「知っているとも。でも教えるつもりはありませんがね」


ポンメルンはそう答えながら、席を立った。


「自己紹介をしよう、アレフ君。私の名前はポンメルン・ジギリグリッチ。グリゴノーツ騎士団の騎士をやっている。あー、おほん、ポンメルンで構わないよ」


「騎士?」


「そう、騎士。覚えなくていいよ。君には関係のない世界の話だからね」


そう言うとポンメルンは席に座る。


騎士とはなんだろうか? 少なくとも学校で聞く職業ではなさそうだ。


どちらかというと、絵本などの物語の世界でしか出てこない言葉である。


だが、このちょび髭の男が恥ずかしげもなく、堂々と言ったことにアレフはくだらなく少しニヤついてしまった。


しかし、ポンメルンはそんなことを気にすることもなく話を続けた。


「さて、さっきの話の続きだが、エトナはエルトナム学院で預からせてもらいます。これは騎士長命令だからです。」


マクレインは机に両肘を置き、頭を抱えた。


アレフの後ろにいるエトナも体を震わせ縮こまってしまっている。


少しの静寂のあと、口を開いたのはエトナだった。


「やだ」


「なんだって?」


ポンメルンが聞き返してきた。


「やだって言ったのよ」


「やだ、という言葉は社会じゃ通用しませんよ。エトナ」


ポンメルンの口調は先ほどアレフたちと話していた時よりも冷たい言葉だった。


明らかにエトナを嫌っている口ぶりに、アレフは苛立ちを覚えていた。


「子どもをあやすのは苦手みたいですね」


「そのようだ」


ポンメルンはアレフに対してはにこやかな表情で返事をする。


その表情の豹変具合に嫌気がさし、アレフはポンメルンに質問をする。


「なんでエトナをそんな蔑むようにしてるんですか?」


「おー、まだ十二歳なのに、難しい言葉を知っているね!」


ポンメルンは笑顔で言葉を返した。


「決まっている。悪騎士マルクトの子どもだからだ」


「悪騎士って何なんです」


「君は知らなくていい」


——君は知らなくていい。


アレフはその言葉を引き金に怒りを露わにした。


「あなたさっきからなんなんですか? 人の家族を連れ去ろうとしたり、俺のことも知っていたりして気味が悪い!」


ポンメルンはアレフの激昂に思わず驚いた。


アレフの感情は抑えが効かず、知りたいことがどんどん口から零れ落ちた。


「僕のお父さんとお母さんのことも知ってるんでしょ? なんでおしえてくれないんですか?」


「秘匿事項だからです」


「なんだよそれ!」


「二人ともおやめなさい」


マクレインはアレフとポンメルンの会話に口をはさむ。


アレフは未だに怒りが抑えられず、ポンメルンを睨みつけていた。


ポンメルンはアレフのその姿を見て、やれやれといった態度を取った。


マクレインは「アレフ」と言うと、アレフはマクレインの方を見た。


「私から、あなたのご両親のことを教えましょう」


マクレインの言葉にアレフとエトナは目を見開いた。


ポンメルンも同じように見開き、マクレインの方を見た。


「先生。お父さんとお母さんのこと知っているの?」


「マクレインさん、あなた……」


ポンメルンの言葉を遮るように、彼に向かって静止の合図を送ると話し始めた。


「アレフ。よく聞きなさい。あなたのご両親は七年前の騎士の戦いに巻き込まれ、そこで命を落としたのです」


七年前。


アレフがまだ五歳の時だ。


正直なところ、孤児院に来る以前の記憶をアレフはあまり覚えていなかった。


それは雲をつかむように、思い出そうとも思い出せなかった。


たとえそれが、両親のことであってもだった。


だがそのことも、今日知ることができるのかもしれない。


アレフは生唾を飲み込み、隠れていたエトナも顔を出した。


「あなたのご両親は騎士であり、悪騎士マルクトたちと戦う使命がありました。それが七年前の事件につながります」


「七年前の事件って?」


「バンクーバーの自然公園での爆発事故。実際は騎士と悪騎士との戦争。その戦争であなたのご両親は亡くなられました」


「うそ……」


エトナは驚き、口を手で覆い被せた。


アレフも同じような反応をしたかったが、アレフはマクレインが嘘をつく人間でないことを知っていた。


「事件のあったあの日。あなたたちは戦争の真っ只中にいました。ですが、戦争があったその夜に、あなたたちはこの孤児院に訪れたのです。遠く離れたこの孤児院に。きっとご両親が決死の覚悟で逃がしたことでしょう」


「じゃあ、お父さんとお母さんが死んだのって……」


「あなたたちを守るためです」


アレフはマクレインの言う言葉を真剣に聞いていた。


それと同時に、アレフは不思議に思ったことを口にした。


「でも、なんで戦争の真っ只中に僕らがいたのさ? そもそもどうやってそんな距離を歩いてきたの?」


「分かりません。ですが、一つ言えることがあります。それは……」


ポンメルンが「それ以上は規定に引っかかる」と言うが、マクレインは無視をした。


「アーティファクトと呼ばれる不思議な道具を使ったということです」


マクレインはそう言うと、ポケットの中から、小さな杖の形をしたものを取り出した。


「それは何?」


「お見せしますよ」


マクレインは杖の形をした物を手に、まっすぐと突き出すと言葉を発した。


「〝ワンド(杖よ)〟」


その発言と共に一瞬にして、マクレインの手から百センチほどの杖が現れた。


アレフもエトナもその状況に頭が追い付けず、最初に発した言葉は「手品?」だった。


「残念ながら違います。〝レベルテレ(戻れ)〟」


マクレインの手元に現れた杖は一瞬で姿を消した。


正確にはマクレインの手のひらで、先ほど持っていた杖の形をした物に変わっていた。アレフとエトナは恐る恐るマクレインに近づき、手のひらの物を覗き込んだ。


「どうやったんです?」


「アーティファクトの力を使いました。これに声をかけると、反応してくれるのです」


椅子に座っているポンメルンはため息をついていたが、アレフにとってはそんなことどうでもよかった。


なぜなら、今まで見聞きしてきたイルカのショーやら、ランディのくだらない話よりも心躍るような光景だったからだ。


「すごいや……」


二人は思わず笑みをこぼした。


その光景にマクレインも微笑んだ。


「重大な規定違反だ。アレフ君の記憶を消さなければ」


一人真剣な表情をしていたポンメルンは落胆するよう呟いた。


「ええそうですね。ポンメルン。しかし、彼ら二人が騎士として学院に行くとしたら?」


「……なんですって」


その言葉にアレフは大きく目を見開いた。


「先生、なんていったの?」


「騎士学院へ行くのはエトナだけではありません。アレフも行くのです」


「ダメだ。アレフ君は普通に生活を送るんだ。ご両親からの遺言だ」


思わずポンメルンは席から立ち上がった。


だが、マクレインも言葉を返す。


「ですが、ご両親の遺言にはこう書かれています。アレフとエトナは互いに助けあい、兄妹として共に成長するように。エトナを騎士学院に連れて行くのであれば、アレフも一緒に行かせるべきでは? それに騎士になったからといって、普通の生活が出来ないわけではありません。違いますか?」


ポンメルンはそれ以上何も言えず、マクレインから目をそらした。


マクレインはアレフとエトナの顔を覗いた。


「いいですか、アレフ、エトナ。あなたたちはこれから先も協力し、互いに助けながら生きていくのです。決して、離れ離れになってはいけませんよ」


アレフは笑って返したが、エトナは違った。


「私は、ランディやミルキィ、マルクとも一緒にいたい」


そう言ったエトナはアレフを突き飛ばして、玄関へと走っていった。


アレフはエトナの行動に反応できず、よろけてしまう。


ポンメルンは「待て!」と叫んだが、エトナが止まることはなく、アレフはただ遠のいていくエトナを見てることしかできなかった。


ポンメルンはすかさず立ち上がり、後を追いかけようとするが、アレフが玄関までの通路を仁王立ちしたため足を止めた。


そして、アレフの背後でドアが閉まる音が聞こえた。


ポンメルンはアレフを無理どかそうとはせず、「なぜ止めるのです」と尋ねた。


「僕はまだあなたのことを信用していない」


「家族の話をしても?」


「家族の話をしてくれたのはマクレイン先生だ。あなたじゃない」


「そうですね」


ポンメルンは先ほど座っていた椅子まで戻ると、そのまま座って話をし始めた。


「どうすれば、信用してくれるのです?」


アレフはまだポンメルンを睨みつけたまま口を開いた。


「まずは、エトナを蔑むのを止めて」


「いいでしょう。止めます」


ポンメルンの回答はあっさりしていた。


アレフも思わず驚いた顔をしてしまう。


「私も分かってはいるのですよ。悪いのはマルクトであって、あの子ではないと」


先ほどまでとは打って変わって、態度を一変するポンメルンに、アレフは思わずマクレイン先生に確認を取る。


「ポンメルンは元々優しい騎士よ。ただ……、命令に従順なだけ」


「そう従順なだけ。手荒でもいいから、エトナを捕まえてこいとの命令でね。仕方なく型にはまった演技をしていたのだよ。そうすれば、騎士というのは悪い奴らだ、という印象をアレフ君に植え付けることができるからね」


ポンメルンはにこやかにアレフに笑顔を送る。


付け足すように、ポンメルンは話を続けた。


「悪い奴と印象付ければ、騎士になろうとしなくなる」


アレフはポンメルンを睨みつけるのを止め、マクレインに見る。


「先生はどこまで知っているんですか?」


「何をですか?」


「全部です。エトナのこと、全部」


マクレインはアレフから目を逸らし呟いた。


「……知っていました。といっても知ったのは先月のことです」


アレフはマクレインの言葉になんだか裏切られたような気がして、唇を噛んでしまう。


「エトナは確かに悪妙名高いマルクトの実子です。彼女には危険な力が宿っていることでしょう」


「危険な力? でも一緒に生活しててそんなことは」


「そんなことはなかった。そしてこれからも、その力を使わせないためにも学院に入るのです」


ポンメルンが口を挟んだ。


マクレインは悩みながら口を開いた。


「そうなの。だから、あなたがエトナを支えてあげて。あの子の兄として、家族として」


マクレインは物悲し気に語った。


その悲しい表情に、アレフは思わず目を逸らした。


「でもエトナはここに居たがっています。それにその学院だって、きっとエトナを受け入れない。そうでしょ?」


「半々といったところだよ」


ポンメルンが応じる。


「エトナの存在をよく思わない人もいるが、処刑することは禁じられた。だから、迎えに来たのだよ。エトナを守れる準備が出来たんだ」


ポンメルンが諭すようにアレフに言った。

そして、ポンメルンはアレフの目の前に座り頭を下げた。


「お願いだ、アレフ君。エトナを説得し、連れてきてくれないか? 私は怒られるかもしれないが、君も連れて行く。そして、エトナの支えになってあげてくれ」


アレフはその言葉に頷くことはなく、エトナを追って孤児院を出た。

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