第三章
第7話 ウィルカート街へようこそ!(1)
時間は六時を過ぎた。
アレフとエトナは手荷物に大きめのボストンバッグを持ち玄関の前にいた。
そこにはパジャマ姿のマクレインとランドルフ、ミルキィに目を擦っているマルクの姿もあった。
八月の終わりとはいえ、日の出てない外の気温は少しばかり肌寒く、長袖のジャンバーに身を包んだアレフとエトナは、マクレインたちの方へ振り返っていた。
「もう行っちゃうんだな」
ランドルフは悲しげにそう言った。
「大丈夫だよ。聞くところによれば、夏休みには帰ってこれるし、ずっとお別れって訳じゃないよ」
アレフとエトナはランドルフにハグをした。
それにつられ、ミルキィとマルクもハグをする。
「元気でね」「一緒に学校へ行けなくて残念」といった言葉を交わすと、マクレインも同じようにハグをした。
「大丈夫。あなたたちならどんな困難も乗り越えられるわ」
「うん、ありがとう。行ってきます」
「先生もお体に気を付けて」
二人は別れの言葉を告げると、玄関の扉を開けた。
玄関先にはマースが立っており、マースの後ろをついていくように二人は孤児院を後にした。
二人は途中何度も振り返り、玄関で見送ってくれている四人に何度も手を振った。
孤児院から少し歩き、一つ目に十字路を右に曲がるとマースは足を止めた。
この辺りは砂の道以外に木々が茂っており、ちょうど孤児院から隠れるような位置になっている。
「さてこの辺りで大丈夫でしょう」
マースはそう言うと、ポケットから黄色いハンカチを取り出した。
「おおっと、これは違いますな」
そういってポケットに黄色いハンカチをしまい込むと、今度は円形状の物を取り出した。
二人が一連の動作に不安を感じた後、マースは口を開いた。
「これは、跳び抜けのフープと言うもので、行きたいところにパッと行けるのですよ」
そう言って跳び抜けフープを投げると、マースは「バンクーバー教会へ」と言った。
すると、フープは人一人がくぐれる大きさにまで広がり、フープの中に長椅子とステンドガラスが写っていた。
その状況を確認できると同時に、マースはしたり顔で二人に向かってウィンクした。
その姿に二人も笑顔で返すと、「さぁ、ついてきてください」と言って、フープの中に向かって飛び降りる。
それを見たエトナはアレフに「お先に」と言って、マースのように飛び降りていった。
アレフをその姿を見て、少し深呼吸をすると、好奇心に満ちた笑顔でフープへと飛び込んでいく。
しかし、アレフが考えていた着地の仕方ではなかった。
アレフの足元にはステンドガラスがあり、なんで? と思うときには、背中を床に打ち付けていた。
ちょうど、荷物がクッションになってくれたのか、頭は地面に付かなかったが、腰を思いっきり打ち付けてしまう。
思わず「うっ」とうめき声をあげたようで、マースが申し訳なさそうに駆け寄ってきた。
「ああ、すまないアレフよ。どうやらフープ先の向きを間違えてしまったようで、飛び込んだ先に背中を打ち付けるようにしてしまったみたいだ。フープに飛び込むとき、思いっきりジャンプしたのだろう。さぞかし、痛かったろうに」
腰をさすりながら立ち上げるアレフであったが、辺りを見渡すとそこには一面ステンドガラスと石柱で支えられた教会の中だった。
なぜ教会なのか? その疑問を声にする前に、マースが説明をしてくれた。
「教会はアインで行動する際の私たちの隠れ家みたいなもので、ほかにも協力してくれている所はありますが、まあ授業は学院で」
そう言ってマースは跳び抜けフープを回収すると教会の中を歩きだした。
アレフは腰をさすりながら、思わず手放してしまった荷物を持ち上げる。
荷物の傍にはエトナがおり、アレフが「怪我しなかったの?」と聞くと、「私はマースがクッションになってくれたから」とにやにやしながら言って、マースの後をついて行った。
アレフも最後までクッションになってくれたら俺だって怪我しなくて済んだのに、と思いながら後をついていくのであった。
マースについていくと行く先々で神父やシスターがおり、マースが現れても決してその巨体に驚くことはなく全員がマースに挨拶をしたり通りかかった神父から「今度一緒に飲みに行こう」と誘われていた。
マースの交友の深さが分かる一方で、エトナはその挨拶に疑問を持ったのかマースに質問をする。
「今、飲みに行こうって、教会で働く人たちってお酒飲んじゃダメなんじゃないの?」
エトナの発言にそんな規則があるのかと感心していたアレフだったが、マースからの回答は思わぬものだった。
「ええ、あの方は騎士の人間なんですよ。アインでのアーティファクトを回収するため、ここでは神父のふりをして情報を集めているのです。それに、あの者は手ぶらです。すれ違った神父たちはみんな、ロザリオを持っていたでしょう」
その発言に思わず二人は先ほどの神父を振り返るが、どこからどう見ても、神父のような風貌をしていた。
しかしよく見ると、すれ違った神父たちは聖書やら、ロザリオを持っていたが、先ほどの神父にはそれらが見当たらなかった。
「あなたたちもいずれ、あのように働き、騎士の仕事で情報を集めることになります。それを踏まえての騎士学院となりますぞ」
「でも、なんで教会なの?」
アレフの質問に足を止めたマースはこちらを振り返り、「罪の告白には意外とアーティファクトの手がかりがあるのですよ」と言うと、マースは正面の個室へと入っていった。
二人も一緒に扉を通り抜け、部屋の中へと入っていく。
部屋は水色のタイルで敷き詰められた質素なつくりとなっており、入ってきた扉の対岸にある、マースよりも大きな石造りの扉以外は目立った物は置いていなかった。
二人は黙ってマースの傍にいると、マースはまたポケットからペンダントのようなものを取り出した。
「それは?」
「これですか? これはセフィラに続く扉を開ける通行証みたいなものです」
そう言ってペンダントを二人に見せつけた。
ペンダントというより銀時計であり、表面の紋様には剣とドラゴンの紋様が刻まれていた。
マースは二人に銀時計を見せつけた後、大きな扉の前に立つと大きな声を発した。
「私はサー・マース・ハイアームズ! 銀の紋様を持つ者! 扉を開けたまえ!」
大きな扉はガタガタと音をたて、ひとりでに開いていく。
扉の先は暗く、ろうそくが下へ続く螺旋階段をほのかに照らしているくらいで、そのほかの光源は見当たらなかった。
マースの背後からそっと扉先の螺旋階段の終点を探そうとするアレフたちだったが、そんなものは見当たらず、螺旋階段の先は暗闇がずっと奥まで続いていた。
「今からここを降りるの?」
エトナがあまりの暗さに思わず質問する。
その表情と言ったら、これまでにないほど怖っていた。
「いかにも。ここを降りて行った先がセフィラになります」
「なに。エトナって暗いところ嫌いだったっけ?」
「どちらかと言うと、手すりとか付いていない所を降りるのが怖いのよ!」
エトナはマースのズボンをしっかり掴んでそう言った。
「なら、しっかり捕まっていなされ。すぐにはたどり着きませんから」
そう言ってマースとエトナはくっつきながら階段を降りていく。
その後を付いていくようにアレフも降りて行った。
ろうそくの光を頼りにコツコツと、石造りの階段を降りる音を響かせていく。
しばらく螺旋階段を降りていくと、マースはアレフに質問をした。
「アレフはご夫妻のことをどのくらいご存じで?」
「いえなにも、不思議なことに孤児院からの記憶しかなくて……。知っているのは名前と誕生日、エトナのことくらいで」
「なるほど。エトナもそのような記憶しか持ち合わせていませんか?」
「うん。私も、そのくらいしか知らないの」
「それは悲しいことですな」
マースは暗がりで先頭を歩いているため表情は分からないが、悲しそうな声をしているのでその表情は容易に想像できた。
「クロウリー夫妻は、一言で言ってしまえば、優秀な騎士でした。悪騎士マルクトの陰謀を暴き、騎士団から追い出したのは夫妻の功績です」
マースは明るい声で、アレフたちの両親のことを話し始めた。
「お母様の方は成績優秀。騎士団の団長の一角を務めておりました」
「一角って、複数いたの?」
「ええ、アインの世界でのアーティファクトを回収する任務の団長だったようです」
アレフはその話に食いつき、催促するようにマースに質問する。
「それで、それで、お母さんたちはどんなことをしたの?」
「アーティファクトの回収はもちろんですが、ドラゴンの討伐まで成し遂げたと聞かされております」
「ドラゴン!?」
「おとぎ話でしか聞いたことない……」
アレフとエトナは驚いた。
アレフは学校の机を運ぶのだって疲れてしまうほど自分の力はないのに、そんな子供の親がおとぎ話で聞くような、巨大で凶暴なドラゴンを倒してしまうなんて思えなかった。
「そうですね。ですが本当のことです。そもそもおとぎ話で登場する生き物は、大方セフィラで生息するものばかりです。ドラゴンやユニコーン。トロールや鬼とかも」
マースがセフィラに生息する生き物の名前を言うたびに、アレフの心は跳ね上がった。
「お父様の方も大変優秀で、私と同じく騎士学院で教鞭を取っていました。科目は、防衛術です」
「防衛術?」
エトナは初めて聞いた単語を繰り返した。
「そうです、防衛術。今は私が担当しておりますので、その時はどうぞよろしくお願い致します」
マースがそう言うと、アレフも質問をし始めた。
「防衛術って何するの?」
「一言で言ってしまえば、自分を守る術。セフィラではアーティファクトの他にも、悪騎士の討伐などの役目がありますゆえ」
「悪騎士って殺しちゃうの?」
エトナが思わず質問する。
その声は少し震えているように聞こえた。
「いいえ、捕まえるだけです。しかしながら相手は容赦いたしません。その際に逃げれる術をあなた方に教えなければなりません」
マースの声がいつになく真剣に答えていたのは、やはり防衛術の教師だからだろうか。
そうこう話をしていると、螺旋階段の下から優しい暖かな空気がふわりと通ってきた。
「おお、もうすぐですぞ。アレフ、エトナ」
三人は風が吹いてくる方へどんどん降りていくと、階段の終着点にある入り口から光が見えてくる。
アレフとエトナは思わず、マースを追い越して螺旋階段を降りていく。
心躍りながら二人は石造りの階段を全て降りきると、光指す入り口を潜り抜けた。
するとそこには、レンガで作られた道路、遠くには山々が見え、空は翼を大きく広げた鳥が羽ばたいていた。
周辺にはショーウィンドウに商品を飾ったお店や馬車が止まっており、辺りには多くの人が歩いていた。
歩く人の中には、アレフたちと同じ年頃の子どももおり、身に着けているマントの背中には剣とドラゴンの刺繍が入っていた。
それは子供だけではなく、街ゆく大人の中にも、同じようなマントを着ている者もいた。
アレフたちはまるで物語の一説に入り込んだ気分になり、見るものすべてが新鮮に見えた。
「ようこそ、ウィルカートの街へ」
後ろで階段を降りているマースは誇らしげに言った。
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