屋敷潜入



 


 汽車や乗り合い馬車を乗り継ぎ、ライアの残した手紙を握り締めて門の前に立った。面接と言っても顔合わせのようなものだ。先に送った紹介状と手紙でやりとりの時点で、大方は話は決まっていた。多分、この屋敷が人手不足だったのもあるかもしれない


 使用人の部屋に案内されると、これから同室になる男が待っていた。ショーンと名乗ったこの男は、同年代に見える。ベッド二つと小さな机。それらを置いたらあまり広くはないスペースだ。使用人の部屋は、まぁ、どこもこんなものだと思うから、さほど気にならない。


 持ってきたカバンの整理をしていると、向かいのベットにどかっと音を立て腰を下ろした。僕の黙々とした一人作業に気にした様子もなく、一気に話し始める。


「それって聖書か? 庶民で持ってるやつなんて初めて見た。読むやつの気が知れねーな。まさかと思うがそれ、ベットサイドに出しとくつもりかよ?」

 驚きと言うよりも、嫌な客にできればお引き取り願うようなそんな顔だった。僕だって信心深いわけではないけど、無下にできないことはたくさん書いてある。


「嫌そうですね」

「や、だってなぁ? これから毎朝、一番に表 目に入るなんて冗談きついぜ」

「表紙でも?」


 苦笑いを浮かべて誤魔化しショーンは、別に良いけどと言いながら話を切り替えた。


「とはまぁ、あれだ。よくこんな屋敷に来たな。他の屋敷の使用人にも知られてるんだぜ。歌姫さんを攫ってきたって」

「歌姫……? 僕は大きな屋敷の使用人になるのは初めてなので聞いたことがなかったです」

「だろうな。聞いてたら変わり者の坊ちゃんがいるところに、好き好んで欲しいものは金で手に入れる。それが人間でもなんてさ、良くやるよな〜。貴族ってやつは」


 あのライアが歌姫って呼ばれてるのかと思うと、なんだか変な気分だ。ご子息様もオペラで耳が肥えてるだろうに、ライアを選ぶのは考えが被ったみたいで釈然としない。


「まぁ、噂はあれど俺らには関係ない話だよ。仕事に支障はない。……いやぁ? 待てよ。あれ以来、人手不足は深刻か。おちおち遊んでらんないしな。ってわけで、男手は必要なんだ。お前も覚悟しろよ。ははは」


 あっけらかんと笑う。

 でも普通に、ライアの話ができそうならば案外、状況は集めやすいかもしれない。とは言ってもどこまで此処で働く使用人たちを信用していいのか分からないから慎重に行くべきだよな。


 孤児院の前で、娼婦に話しかけた時“真面目な顔”“青い顔”をしていると言われたのを思い出して、背をもう少し深く背けて、聞くことにした。


「その歌姫って今も居るんですか?」

「居ると思うぜ? 多分」

「多分って?!」


 思わず、荷物の整理をやめ、勢いよく振り返ってしまった。しまった、と思ってももう遅い。


「お前、面白いやつだな。素っ気ないやつかと思ったけど、良い反応するじゃん。食いつき良すぎか。いいね、仲良くしようぜ」


 そう言って気づいたら、向かいのベットから歩いてきて距離を縮め、勝手に僕の手を取り握手をした手をぶんぶん振り回す。……完全にこの人のペースだ。


「だってさ、歌姫の姿は見かけない。歌声は聴こえてこないからさ。居ないようなものっていうか、人知れず旦那様が、どっかに売られてても俺ら使用人は分からないだろ?」

「……まぁ」

「居なくなったって話は聞かないし、どこかの部屋に居るんだろうな」

「閉じ込められてるっという話は本当に……?」

「そうなんだろうな。アルバート様がいた時は、よく姿を見かけたけど今は、ぱったり。旦那様は、居ないものとして扱いたいんだろう。可哀想なものだよ」


 アルバート・ロス。たしか、ライアの手紙に書かれていた名前だ。歌姫を連れてきた張本人。噂話では聞いていたけど今、この屋敷に居ないのも本当のことか。


「薄気味悪く感じないんですか」

「慣れれば普通さ。歌声も聞こえてこなければ、姿も見えない。名前を呼ぶ人なんて、アルバート様しかいないからな」

 

 アルバート様がいた時は、外に出れてたとは言っても、ご子息様の大切にされてるものに近づけるわけないし。今は尚更、しまい込まれている状態から、それを開けようなんて使用人の立場でする人間はいない。

……突然来たばかりの僕が、嗅ぎ回るのは目立ちそうだ。だったら、どうやったらライアに会える?



♪♪





「えっと、此処は――」


 翌日、同室であり先輩になるショーンは、屋敷の案内をしてくれている。伯爵の貴族階級を持つこの家は、当たり前だけど僕が以前居た小さな屋敷よりも、格段に立派だった。

 厨房、ランドリー、ハウスメイド、庭師、馬丁、家政婦長に、ページボーイ、フットマンと執事。旦那様の従者に奥様の侍女。それぞれに担当分けされ業務を任される。これだけ人が居ても、まだ人手不足なんて驚く差だ。でもこんなにも大勢の使用人が働いてるのを、初めて見たわけではなかった。何年かぶりの感覚だ。


「驚いたか?」

 いえ。……前にも。言いかけてやめた。何処で見たのかと、もし訊かれて詮索されても困る。


「でもな」

 そう言って急に声を潜めて、耳打ちをしてきた。「あんまし金が無いんだとよ」と。早いうちに転職しようかなと冗談ぽくショーンは言う。


「金がないって噂、街であった?」

「聞いてないですね」

「ふーん。そこは流石に知られてないのか。格好悪いもんな。さーてと。あとは庭だな」


 屋敷の中を一通り回ると、外へと促された。最初に来た時も思ったけど、やっぱり大きな敷地だ。噴水に水路、温室、バラ園、馬小屋。


「あそこは、なんですか?」


 一つだけぽつんと、ある建物。屋敷の本邸から少し離れた位置に、背丈のある木々に囲まれあその空間だけ時がゆっくり過ぎているかのように、建てられている。入り口正面には、よく整えられている花壇とテディベアの形をしたトピアリーが見えた。どちらかと言えば、可愛らしい雰囲気だ。生前のお嬢様の好みだろうか。


「あ、あれは蔵書室だな。室内から見た景色は森の中にいるみたいで、静かで良いぜ。まぁ、あそこしでのんびり本読んでる暇なんて、俺たちにはあるわけないけどね」



 この蔵書室は、旦那様がお嬢様のために建てられたものらしい。生前は良く使われていたそうだけど、今はあまり使われていない。それでも、孤児院と違いきちんと手を行き届かせ、綺麗にしているように見える。木々は多くても、地面も落ち葉や雑草などで荒れていないし、窓も磨かれている。急に来訪者が蔵書室を見たいと仰っても大丈夫なよう、掃除だけはきちんとされているらしかった。


「だいたいこんな感じかな」


 屋敷の敷地を回っている中で、ライアの気配を全く感じなかった。言われてた通り、歌声も響いてはこず、何も知らなければ気にもとめず、ごく普通の穏やかな屋敷。日中、働いて、夜は寝る。そんな日常を繰り返すのだろう。本当はもう此処に居ないんじゃないかって嫌な予感さえしてしまうほどに。

 いったい、何処にいるんだ。


 地下部にある使用人の部屋は全部使われているし、此処にライアが居たら見かける人は多くいるだろうから、多分ここには居ない。まだ見てないなにかの保管室や使われない物置などはないか、客間はどうか。使用されてない空き部屋は他にないか。旦那様や奥様の自室の側、主の目の届く範囲にライアが居るとしたら、それを掻い潜って会うのは一筋縄じゃいかない。


 ーーっ!!?

 そんな時、目の前になにか飛び込み破裂するような音がした。よく見るとそれは、ショーンが手をパンと叩いただけだった。


「ほら、ぼけっとしてないで、行くぞ。初仕事だ」

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