託されたガラスの靴
「その少女の事は、君たちよりも僕の方がよく知ってる」
これ以上は無意味だ。話すことなんて、なにもない。距離を詰められ余計に鼻につく香水の匂いと、勝手に触れてくる指先に嫌悪感が増した。噂話を教えてくれたことには感謝するけど……。馴れ馴れしく腕に巻き付いて来る手が鬱陶しい。いい加減にしてくれと言っても聞きやしない。仕方ないから内ポケットに手をやり、財布を取り出した。この動作がまるで一晩を買ったように、周りに思われるのは不本意だけど、彼女たちが求めるなら一晩の代価として二人に渡すことにした。相場なんて一切知らないけど、なにも手は出してないから、硬貨が少ないも何もないだろ。少なくても今晩の夕飯を確保できるくらいにはある。
このお金は本来、僕がお世話になった孤児院のために。今も働いたお金はほとんど全て仕送りをしていたけど、無くなってしまったから、使い所が分からなくなったのも本音。彼女たちが今夜だけでも客を取らずに済んだなら、僕としても意味があったとも思う。
彼女たちの姿が遠くになるのを確認すると、ふいにさっきも居た花売りの少女が目に入った。夕食と帰りの汽車代を確認して、残りの額を少し、女の子に手渡した。みんなもこのくらいの年頃だと思うと、きつくなった。こんなことで孤児院のみんなを助けられなかった罪が消えることはないけど、なにかせずにはいられなかった。
少女の頭を撫でると、自分の手が震えてることに気づく。その手で拳を作り力で震えを抑え込み、僕はすぐに酒場へと走った。
話に出てきた女の子は、絶対にライアのことだ。なぜか確信があった。嫌な確信だけど。だってライアは歌うのが好きで、周りもそれを認めているほどだったから。きっと貴族の目にも止まったんだろう。
心を込めて幸せそうに歌うから、その眼差しと姿から目が奪われ、耳を傾けずっと聴いていたくなる。嫌なことを忘れていられんだ。今も、思い出せばその時の歌声が鮮明に蘇る。僕らの居た孤児院は、そうやって暖かい歌声でいつも満たされていた。
時には酒場や広場で歌い、孤児院の幼い子たちのために一人で稼いでいた。自分もそこまで大人じゃないのにさ。だからライアが居れば絶対に孤児院は、廃墟にはならない。させはしないはずだ。ライアがみんなを置いて、貴族の暮らしを選ぶとも思えなかった。何処にも行かず、此処でずっと弟たちを守るのがライアの生き方だったから。
それとも、僕の考えすぎで、もしかしたら、移転に伴い別の場所に居るだけかもしれない。ライアも、弟たちもなんの心配もなく、みんな無事なんじゃないか。そんな淡い期待を頭のどこかでした。
大通りの少し裏手に入ったところ。ここからさほど遠くない目的地に着いた。なんせ東部の一番端の街程じゃないけど、働き口に多少困る街だ。不景気だと店の存続も心配になるが……。
「……在った」
思わず、ほっとして見つけてそのまま口に出てしまった。
あの時と同じように、店の外にも少しテラス席が並ぶ酒場が変わらずそこに在った。
「コニーさん!」
勝手は知ってるので、そのまま真っ直ぐ店主の方へ向かう。走った勢いが消えずそのまま、カウンターにひざがぶつかり、前のめりになった。
「此処で歌っていた少女……ライアが貴族に連れていかれたって本当ですか!?」
言ってしまった僕を、店主はまじまじと見る。
「なんだ一息によ、来てそうそう。てめぇは! 歌の上手いだ? ライアを調べたいなら他所に……って、お前!! フロンか?」
グラスを拭いていた手が止まる。コニーさんの元で働かせてもらったり、なにかとライアや僕のことを気にかけてくれた人だ。一年間くらいしか僕はこの街に居なかったこど、五年経った今も覚えていてくれたらしい。
二人して声を荒らげたせいか、周りにいた客も数人、それに反応して視線がこっちに集中した。
「バッカヤロー、お前!! 今まで何をしてた!」
「ら、ライアは……?」
「ったく。あいつは、行っちまったよ。貴族さまに連れてかれてな。お前がここに居れば、どうにかなったかもしれないのにな。馬鹿なヤツだお前は」
コニーさんは、すごい形相で僕を睨む。叱りつつも二言目は、声は張り上げていない。同情するかのように、かけられる声のトーンと表情が逆に突き刺さる。
「……っ」
「なにも言えねぇか。まぁ、そうだよな」
また手に震えがもどり、拳に力を入れた。
「ここに来る前、孤児院に寄ったんだ。……何も無かった。それから嫌な話も聞いた。全部、 本当のことなんだな……」
「この街じゃ良い仕事は見つからないが、それでも街に留まって、稼ぐくらいやりようによってはできたんじゃないか」
「……それは…………」
収入の面だけでは無い、どうしてもできなかった。今もそうだ。ライアと一緒に暮らすのを想像しようとしたけど、それさえ心が拒否している。ライアと居た時のことをありありと思い出し俯くと、「相変わらず肝の据えられない野郎だな」と、頭をどつかれた。
――お前が、ライアと一緒になるとばかり思ってた。
それはこの街を出る時に、酒場の店主から言われた言葉で、孤児院の弟にも似たような事を言われた。なんでライア姉を置いていくんだ、と問いただされたのを今でも覚えてる。
ライアとは一緒になるつもりは、最初からなかった。それだけは、どうしても僕にはできなかった。それでも、その中で精一杯のことはしたはずだった。どうしたら良かったのか。僕にどうしろというのか。……できることなら、僕もライアの傍にいてあげられる人間でいたかった。
「なにもその気のない奴に、ライアのために一生なれだとか、なにかしろとは口うるさく言わねぇ。好きでもないなら、それまでだ。だけどな、俺はお前に期待してるんだ。フロン、てめぇ自身の気持ちはどうなんだ?」
僕の? 一瞬迷い、首を心の中で振る。
「ライアを見つけるため、屋敷に乗り込みたい」
「俺が聞きてぇの、そういう事じゃねぇ」
答えられずお茶を濁す言葉を返した。
「会ってどうする気だ。屋敷から連れ出すのか? その後はどうだ? どうせまたライアの前から消えちまうんだろう? それとも今度はちゃんとするか? 答えろ」
店主は僕の曖昧な返事を逃そうとしてくれそうになかった。好きだとかそんな名前をライアとの間に付けたくない。会いに行って、どうするつもりかも何も約束できない。一緒になるかなんて、もっとありえない……。けれど、それを抜きにしても僕にとってーー
「ライアは大切な家族だ」
今、行かなきゃ絶対に後悔する。
僕の言葉に、酒場に心底呆れたため息が立ち込める。
「ったく、そんな眼しやがって。言葉と合ってねぇ。考え叩き直すまで会わせたくねぇけどよ、ライアはお前に会いたがってるだろうさ」
悪態をつきながら店主は背を向けた。確かここに仕舞ったはずだ、と奥へ引っ込むとガサゴソと音を立てた。そして少しして、「これだ」と言いながら戻ってきた。それを僕に手渡す。もとい、持ってきた『それ』で僕の頭を軽く叩いた。特に痛みはなく、紙だと分かった。
「本当は、すぐにでも教えてやろうと思ってたのに、お前、消息不明だからよ」
言い返す言葉もない。孤児院のために外で働くと言って、ライアから離れたのは僕自身だ。
「フロン、ライアに住所も教えてなかったみてぇじゃねぇか! ライアが手紙の送り方を知らないだけかと思ったら、そもそも住所も教えてないとはな」
「あの時、もう会わないつもりで出たから」
開き直るなとこっぴどく叱られた。
「ところがお前はライアの危機に、血相変えて飛んできた。それが答えなんじゃないのか」
「灰被り姫がお前に残したものだ」
「灰被り?」
「お前が、ガキどもに読んでやったことあるだろ? ガラスの靴みてぇじゃねーか」
渡されたのは、小さな白い封筒。たしかに本は読んであげたことはあるけど、それとこれとどう関係があるんだろうと思いながら、封筒を開けて手紙に視線を落とす。
『フロンへ』と最初に書かれた文に、なぜかそれだけで身が引き裂かれる思いがした。僕が知っているライアは、読み書きがあまりできずにいた。僕が教え、街を出た後もあれから努力していたんだろう。前より綺麗になってるが、それでもすぐ分かる。
「……ライアの、字だ」
「感謝しろよ? フロンが戻ってきた時に、渡してくれて頼まれて、ずっと持っててやったんだからな」
頷いた気がする。でも僕は、一刻も早く読もうと手紙に夢中になり、ちゃんとお礼を言ったかあやふやになった。
その手紙には、僕がどこにいるのか問うことも、連絡を一切しなかったことへも、何でいてくれないのかと責めることも、愚痴だって何一つ書かれていない。ただ短く、誰の屋敷に行くのか必要なことだけが綴られていた。会いに来て欲しいとか、遠回しの期待の言葉も添えられてはいない。五年前の別れ際に“また会いにいく”と言うのを拒んだ僕に、ライアはこれが最後になるとしても、なにも言わずに気を遣ってくれたのが分かる。
本当は、不安だってあっただろうに、それさえも一切書かれていない。唯一、あと一行添えられた言葉は、“もしなにかあったら、みんなをよろしく頼むね”とそれだけだった。
素っ気ない手紙なんかじゃない。僕がそうさせている。ライアが、どんな思いでこの手紙を書き残し孤児院を後にしたか、想像するだけで胸が締め付けられて痛くなった。
「ライア……」
「分かったか、大馬鹿野郎」
思わず指先に力が入り手紙がくしゃくしゃになる。
「お前が一番分かってんだろ? この街出る時、ライアとなに話したか知らねぇけど、もう一度会いに行ってやれよ。会って全部、聞いてやれ」
ガツンと咳が出そうになるほど強く叩かれた背中が、全身を熱くさせた。
「そして、貴族のヤロウからライアを連れ戻して来い」
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