第62話 バスキア宣言④(提案するバスキア領主 中編)

 ◇◇◇



 西方の麗人、チマブーエ辺境伯がその発想を初めて聞いたとき、その青年は"悪魔"だと思った。


 精巧な作りで、偽造が極めて困難な契約書。

 普通この説明を聞いただけでは、偽造ができないから便利、としか思わないだろう。偽造ができないから何なのだ、としか思わないものも山ほどいる。それに、真偽を見極める側が見抜けなかったら意味がない。


 便利な契約書ができた。ただそれだけだと世間は考えていた。


(契約書に金額を書きましょう、そうすればお金ができる、とあの子は言ったわね。その通りだと私も思ったわ)


 少し想像力が働く人間であれば、証書の発行を思いつく。

 この土地の持ち主であることを証明する、という証書を売れば金になる。

 この小切手は金貨一枚の代わりに決済に使える、と書いて流通させれば、金貨一枚に近い価値を持つことになる。

 契約書に記載される文字の内容が価値を左右するのだ。


 どちらも問題点は、"誰がそれを保証するのか"という点である。

 子供の落書きで"この土地の持ち主だ"とか"この紙は金貨一枚の価値がある"と書かれていても、実際にその価値はない。

 だが、教皇の直筆での署名や、国王の直筆の署名が書かれていれば、それを信じる人もいるだろう。


 すなわち、発言力や政治力がそのまま価値に直結する。

 ある意味では錬金術。黄金を生み出す寓話の王そのものである。


(発言に影響力がある人物、政治力がある人物がこの契約書を使えば、この契約書には無限の価値が生まれる。ちょっと耳を疑うような内容であっても、本物か偽物かの証明ができる。その意味でこれは画期的な発明ね)


 条約、宣言書、法律、その他重要な文章。

 真偽の疑わしい文章が出てくると、それが理由で内乱になりえるが、その文章が真実のものであると証明できればそのような動乱は起きない。

 その意味では、偽造が困難な紙には、千金の価値があると言える。


(問題は、執行力。たとえ教皇や国王が契約書を書いたとしても、荒唐無稽なことだけしか書かれていなかったら、誰もそれを信じないし、誰もそれに従わないわ。嘘八百を並べ立てられても無意味。書かれた言葉をしっかり守るという信用と実績、そしてそれを保証する権威が必要よ)


 その意味では、セント・モルト白教会を味方につけたのは高く評価できる。

 教会の権威は神の権威に等しい。

 その上、教団内の政治の中心から一旦外れかけた男で、賄賂で動いたりと懐柔しやすいキルシュガイスト司教とつながりがあるというのも、ちょうどよかった。要するに、教会の影響力さえも御しやすいのだ。


 白の教団はバスキア領と仲良くしたい。バスキア領も教会の権威を借りたい。この両方の思惑が合致している内に、お互いに都合のいい関係性を構築できそうであった。


 通貨発行権は持っていないバスキア領だったが、その気になれば、西方辺境伯の副官の名前で似たことをできるし、教会の名前で似たことをすればいい。要はやりようなのだ。


 倉庫業を営んでいるバスキア領では、預かり証書を発行している。

 "金貨を百枚預かっている"という証書は、金貨百枚近くの価値がある。何故ならバスキア領まで持ってくることに成功すれば、その証書を金貨百枚に交換できるから。


 預かり証は、疑似通貨として通用する。

 例えば、金貨を百枚預けている男が、別の街で借金をしたとする。

 バスキア倉庫の預かり証を出して、"この証書をバスキア領に持って行けば、金貨百枚と交換できるから、金貨九十枚で買い取ってくれ"と提案する。交換が成功すれば、この瞬間、預かり証は"通貨代わり"になったことになる。


(通貨発行権が認められるのは、国王か選王侯のみ。バスキア領には権力がない。しかし、倉庫業を営んでおり、かつ偽造が困難な証明書を発行できるバスキア領であれば、預かり証という"疑似通貨"を発行できる。効力の保証については、教会の権威を借りればいい。教会もこの利権に一枚噛みたいと考えるはず。……そう思っていたわ)


 事実上の通貨発行権。


 国外貿易を行っている大きな港を持っており、さらに金融業も営んでいるバスキア領が、その上で通貨発行権を握ってしまえばどうなるか。

 火を見るよりも明らかである。手が付けられないほどの富が、バスキア領に集中する可能性がある。


 いずれにせよ、この通貨発行権をめぐって、セント・モルト白教会はより一層の権力を得て、キルシュガイスト大司教は枢機卿になる可能性が高まる。

 これをもし、王家の手である程度統制をとりたいとお考えならば、バスキア領主を伯爵位とすべし。


 ――と、王家に伯爵位への昇爵を交渉する。

 ここまでが、一つ目の筋書きであった。


 だがしかし。


(あの子、とんでもないことを言ってたわね。"教会とか貴族とか、そういう権威で保証しなくても大丈夫。むしろこの証書の使い方は……")


 正直に告白すると、チマブーエ辺境伯は、あの青年の発想に呑まれてしまっていた。

 この話にはまださらに続きが存在する。


 二つ目の筋書き。

 否、チマブーエ辺境伯でさえ賛同しかねてしまった、あまりにも新しすぎる発想。


 "この証書の使い方は、教会や冒険者ギルドやくざ者や大手商会の影響力を弱めて、古くからの貴族の結束のあり方を否定して、一国の構造を変えるためのものだ"




 ◇◇◇




 ざわめきの中、俺は口を開いた。


「そもそも皆さんに聞きたい。貴族同士で友好関係を構築したとして、相手が自分を裏切らないことを、どうやって保証しますか?」


 素朴な問いかけ。だがこの質問は思った以上に深い意味を持っている。

 いわゆる、答えのない命題である。貴族同士の関係は、常に裏切りと寝返りの繰り返しである。

 だがそれでも、貴族同士は、大きな目的のためには、時に打算でつながる必要がある。


 喧噪の合間をぬって、一人の貴族が吠えた。


「アシュレイ卿! よもや歴史と伝統を存じないとは言いますまいな? この青き血の義務と誇りにかけて、先祖代々、常に変わらず王家に忠誠を誓い続けてきた。その血が流れておる。それが理由だ!」


「いやよくわからん」


「なっ!」


 よく分からないので適当にあしらっておく。顔を真っ赤にして憤怒の顔を作っていたがどうでもよかった。いい事言ったつもりなのだろうが、言葉だけ恰好つけているだけで、結論が迷子になっている。

 俺は裏切らないための保証のやり方を聞いているのだ。


「……話が進まないのでまとめると、貴族同士の親戚関係があるからだと思ってます。お互いの子供を婚姻させることで、あの家とこの家は親戚筋、だからお互いに仲間である、ということをやってるんですよね」


 例えば、信頼が置けない家同士だが戦略的には手を組んでおきたい。そんな時に、子供を人質にしてお互いにつながろう、という方法がある。

 どこかの国が戦争を仕掛けるときに、背後から攻め込まれては困るから、先に周辺国と親戚関係になっておく等、このような例は歴史に多く見受けられる。婚姻は外交なのだ。誰だって子供は大事である。互いに人質にするには十分以上の効力がある。


「でもそれって信用できますか? 青き血のつながりにどこまで価値があります?」


 この質問は本質的なものだ。果たして親戚だからと言って信用できるか。


 自分の兄弟や親ならばともかく、従兄や伯父、甥などの関係ともなると、一度も顔を合わせたことがない、なんてこともざらにある。有力諸侯の誕生祭や結婚祭、その他夜会やかいや舞踏会などに積極的に参加していないと面識がなくてもおかしくはない。親戚関係をたどっていって浅くつながっているような貴族なんかよりも、舞踏会などで何度か顔合わせしたことのある友人の貴族の方がよっぽど信頼できるだろう。


 それに直接の子供同士の婚姻関係であれば、まだ拘束力が強いかもしれない。

 だが、子供が長子ではなければ、また嫡子でなくて庶子であれば、ほぼ後継ぎにはなれないので、そこまでの拘束力はない。

 果たして、血縁関係や婚姻関係はどこまで信用できるか。


「バスキア子爵! お前は、血のつながりを軽んじるのか! あんな、文字を書くだけの、効力の怪しい、条約、宣言、協定、署名などの公文書をいちいち求めるというのか? 文字は後からどうとでも解釈を変えられるし、破棄できるし、言い逃れできてしまうが、血縁関係はちがう! 血縁関係は後から変えることはできん! それに血のつながりを裏切れば、それは派閥全部が敵に回るということだ。青き血のつながりは、文章よりも遥かに重いのだぞ!」


「文章の方が正しいでしょう。破棄したり解釈を変えたりするのがおかしいのです」


 俺の発言は、王の間の貴族たちに動揺をもたらした。もともとかなり過激な意見ばかり述べていたが、殊更この発言は効いたらしい。

 血のつながりは確かに有用である。ほとんどの貴族は、祖先をたどれば、昔の国王もしくは聖人や武人に辿り着く。己の血は高貴な血が流れている、と信じる寄りべが祖先の偉大さなのだ。

 そして何もない人は、教会に寄進して高貴な出身であることにしている。それほどに血は重要なのである。


 だが、文章とて効力を持たないわけではない。

 事実、権力にものを言わせて公文書をどんどん破棄してきたのは、昔の時代の考え方である。今の時代は、戦乱に明け暮れる野蛮な時代ではない。


 ここに今一度、俺が一石を投じたわけである。


「ギュスターヴ国王陛下。ここに提案がございます。封建制の考えが大陸各地に根強く残っている今こそ、血の結束などという曖昧なものに頼り切りではいけないのです。各諸侯が王家から離反しないかを心配したり、各諸侯と中央官僚が疑心暗鬼になって対立したりするのは王国の損失です」


「……大きく出たな。許す、申せ」


 苦り切った顔で、しかしむやみに却下することなく、国王は発言を続けることを許諾した。

 強引に打ち切ろうとすればできたものを、あえて続きを聞こうとは恐れ入る。

 よほど酔狂か、開明的なのか、策があるのか、腹の底が分からない。


 だが、実際のところ、王家が各諸侯の離反を防ごうと腐心していることは周知の事実である。

 中央官僚と諸侯の対立も永遠の課題である。これらの対立のせいで、多くの血が流れ、いくつかの内乱が生まれた。同じ王国の同胞同士なのに、である。

 これを回避できる方法があるならば、それはもう、藁にも縋る思いで掴みたいものなのだ。


 俺の切り出そうとしている話題は、それだけ関心の高い内容なのである。

 ならば、俺のやるべきことは。


「分かりました、陛下。では俺から説明します。昨今、航海保険や相互扶助の考えはちらほら各地で生まれておりますが、バスキアではこれを拡大します。貴族間の条約の破棄や裏切り行為に罰金を課して、それぞれの貴族の万が一の経営難のときに相互扶助を促すような仕組みを作ります。これを――」


 突然、話が明後日の方向に飛んだのではないか、と貴族たちが眉を顰める。航海保険、相互扶助、降って湧いたような単語。

 もちろん、話は飛んでいない。俺の考えは、最初から最後まで一貫している。

 今日はこの話をするためだけに、ここにきたのだ。




「――バスキア貴族契約として、我がバスキア保険組合・・・・が請け負います」




 俺の考えはただ一つ。

 血のつながりが結束を守るのではない。

 保険契約が、それを執行するのだ。






――――――

(2022/06/07)文章を一部修正しました。次の話が想像以上に難解になったので、バスキア貴族契約の中身を一部簡素化しました。

  

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