飼育の日


 ~ 四月十九日(火) 飼育の日 ~

 ※千呼万喚せんこばんかん

  何度も呼びかけること。

  何度も促すこと。

  何度も招くこと




「どうしたんですぅ? あたしの顔に何かついてますかぁ?」

「いやべつに」


 昨日のホラー体験のせいで。

 被った被害と手に入れたいびつなピース。


 夜、一人でトイレに行けねえと凜々花に叩き起こされ。

 仕方なく連れて行った時にした世間話。


 栗山さんは、連日のように小石川さんへ友達候補を紹介するのに。


 小石川さんは、そのすべてに保留的な返事をしているそうだ。


 それが気になって、同じように友達候補として紹介された春姫ちゃんに聞いてみたところ。


 やはり、友達と呼ぶにはまだ早いかなと言われたらしい。


 ……と、いうことは。

 俺と秋乃が行った、お互いに友達を作る作戦。


 あれをやっているわけではないようだ。


「ねえせんぱぁい。難しい顔してかっこつけてるところ悪いんですけどぉ」


 想像していたパズルの完成形。

 急に出て来た、どこにもはまらないいびつなピース。


 一体、彼女たちの思惑は。

 どこにあるというのだろう。


「先輩の頭に乗ったオウム、粗相してますよぅ?」

「え? ……うわなんか垂れて来たっ!!!」


 途端に笑いで満たされたプレハブ小屋。

 今日、部活探検同好会がお邪魔しているのは。


 飼育部の鳥小屋だ。


 そして、飼育部と言えば。

 我がクラスの清楚要素を独り占めというこの人によるエスコート。


 普通、好みは人によってまるで違うのに。

 男子全員が、好きなタイプの相手をクラスの中から三人挙げろとアンケートを取った際。


 ダントツで一位を獲得した可憐な子。


 三年生になって、さらに可憐で清楚な容姿と仕草に磨きがかかる。

 『彼』の名前は伊藤くん。


 パラガス同様、俺の付けたあだ名が定着してしまった不憫な奴だ。


「乙女くん。外の水道借りるぜ」

「うん。洗い落とすの手伝おうか?」

「それはクラス男子一同にやきもちを焼かれるからパス」

「僕、男子なのに……」


 しょんぼりと可愛らしく肩を落とす乙女くんを制して。

 籠から出した鳥たちが飛び出さないよう気を付けて外へ出ると。


 部員揃って、改めてケタケタと笑い出す。


 ちきしょう、余計なこと考えてたせいで。

 えらい目にあっちまったぜ。


 三寒四温の三の方。

 水浴びには向いてない陽気の中、冷や水を浴びて全身に伝わる震えとしびれ。


 水の流れる音は存外周りの音を掻き消すけれど。

 悪口というものは、どれだけ騒音があっても耳に届くようだ。


「トイレと勘違いしちゃったんですかね、先輩の頭を」

「おにいの頭、たまにトイレ臭い時あるけど」

「あはは! じゃあ先輩のことはこれからトイレット先輩って呼ぼう!」

「にゅ!?」

「あははははは! よしそうしよう是非そうしよう!」


 ひでえなあいつら。

 でも、こんな事で怒ったりしたら威厳が保てん。


 事前に聞けて良かったぜ。

 あいつらが何と言ってきても、大人の余裕で受け流そう。


 蛇口を閉じて、濡れた髪をガシガシと掻いて水気を飛ばす。


 そして心もとないが、ハンカチでなんとか髪を拭いていると。

 こんな会話も聞こえて来た。


「みらいは、入りたい部活決まったの?」

「まだ……。でも、気になるところがあるにはある」

「……ふむ。そんな気がしていた」

「へえ? 舞浜さんには分かるの?」

「……何となく。そしておそらく、私も凜々花も同じ気持ちが芽生えていることと思う」

「ふぅん」


 なんだか、今のやり取りを聞く限り。

 四人揃って部活探検同好会に入ってくれそうな未来を感じたんだが。


 もしそうなったら、九人所帯に男一人とか。

 パラガスあたりが血の涙を流しそうな状況になるな。


 でも、世間的にはこのパターン。

 男子の立場は明々白々。


「あ! トイレット先輩が戻って来た!」

「トイレット先輩、綺麗に洗いました?」

「トイレット先輩、きちゃないから寄らないで下さい!」

「びっしょびしょじゃないですか。床が濡れるから外にいてくださいよトイレット先輩」



 そう。

 サンドバッグ一択だよな。



 ……だが俺は。

 いつもの短気を飲み込んで。


 爽やか笑顔で後輩たちがじゃれて来るのを受けとめる。


「綺麗にしたから、まぜてくれよ」

「トイレット先輩!」

「確かに、鳥にはそう見えたのかな?」

「トイレット先輩……」

「はっはっは。センスいい語感じゃないか、トイレット先輩」

「にゅ!」

「もう勘弁してくれって」

「ト、トイレット先輩……」

「お前はふざけんなよ?」


 俺が顎をしゃくらせてにらみつけた相手。

 そいつの名前は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 貴様だけは許すわけねえだろこのやろう。


「あ、あたしだけ怒られた……」

「当然だ!」

「き、気に入らなかった? じゃあ言い直す……」

「ああそうしろすぐそうしろ」

「トイレット」

「『先輩』部分に腹立ててるわけじゃねえ!」


 我慢してた怒りを全部込めて。

 頭を両こぶしで挟んでぐりぐりぐり。


 そんな梅干しの刑を執行する俺に。

 女子一同から非難の声が飛ぶ。


「ひどい! 舞浜センパイ! 反撃ののろしをあげるべきです!」

「にゅ!」

「そうだそうだ」

「で、でも酷いことを言ったのはあたしだから……」


 そうか、分かってるじゃないか。

 殊勝な態度に免じて許してやろう。


 でも俺が秋乃を解放してやると。

 まだ怒られるとでも思ったのか。

 小屋の隅っこへエスケープ。


 そんな、可哀そうな背中を指さして。

 二年トリオと凜々花がさらに俺を責め立てて来たんだが。


「動物たちの前で、なんて連中……」


 また、いつもの低い声が耳に届いた気がした。


「ん? 小石川さん、何か言った?」

「あ! 伊藤先輩が困った顔されてるので、どうしたのかなってぇ!」


 ……うん。

 同一人物のものじゃねえよなあ、この可愛らしい声とさっきの声。


 俺は首をひねりながら。

 乙女くんの目を見ると。


「あのね? 動物たちは人の気持ちに敏感だから、優しくしていないとダメ……」

「なるほど。……だ、そうだぞお前ら」


 彼の言葉を聞いて。

 素直に反省したお騒がせカルテット。


 残った時間を、ごめんねと謝りながら。

 穏やかな気持ちで鳥たちと過ごし。


 そろそろお暇しようという頃合いで。

 俺は、未だに部屋の隅でうずくまっていた秋乃にようやく気が付いた。


「あ。すまん秋乃、まだ怒ってたか?」

「ううん?」

「じゃあ、こいつらに言われた反撃の手段でも考えてたか?」

「ううん?」


 じゃあ何してたんだよと思っていたら。

 ようやく立ち上がった秋乃の胸には。

 俺に粗相をはたらいたオウムの姿。


 なんだ、怒ってたわけじゃなくて。

 そいつと遊んでただけなのか。


「それじゃあ、乙女くん。こいつらのうち誰かが入部希望出すかもしれないけど、その時はよろしくな」

「もちろん。期待して待ってますね」


 部活見学させていただいた後の定型文。

 それに清楚な笑顔で返してくれた乙女くんを伴って。


 扉を閉めて、今日の部活はここで終了。

 そう思っていた俺の耳に飛び込んできたのは。


「トイレットセンパイ! タツヤクンハトイレットセンパイ!」

「うはははははははははははは!!! やっぱり反撃してやがった!」


 どうやら、一目散に逃げたんだろう。

 ひでえ反撃を部屋の隅で仕込んでいた秋乃の姿はもう見えやしない。


 でも、怒り心頭でその姿を探す俺の肩を。

 一年たちが優しく叩きながら、揃って言うには。


「動物の前じゃ、怒っちゃダメですよ? トイレット先輩」


 ……もちろん俺は。

 全員を怒鳴り散らしながら追い掛け回すことになった。


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