タイタニック号の日


 ~ 四月十四日(木)

   タイタニック号の日 ~

 ※釈近謀遠しゃくきんぼうえん

  欲しいものを手にする機会を

  逃すほど迂遠な行い。

  あるいは今をおろそかにして

  将来のことを考えること。




「ああ、ジャック! 私、最期にやってみたかったことがあるの!」

「ローズ! 僕がどんな夢でも叶えてあげよう!」

「今沈みゆく船の先端で!」

「今沈みゆく船の先端で!」

「私、タイタニックポーズをしてみたいから腰を抱いていて?」

「なんてメタ発言!?」


 こんな感じに。

 コメディータッチになることも。


 あるいはさっきのペアのように。

 胸を打つ一幕になることもある。


 お題はタイタニック号の二人。


 世間一般的に。

 言葉では知っていても目にする機会はほとんどないであろうこのお芝居。


 台本のない即興劇。

 それをエチュードという。


「あっは! 最後のはどうだった?」

「おもろかった! ちょっとオチの意味は分かんなかったけど!」


 ――今日は王子くんのお誘いで。

 演劇部の皆様による素晴らしい芝居を堪能することになった俺たち部活探検同好会。


 昨日三人だった一年生は四人に増え。

 もはや部活勧誘のフライングと言われた際には言い逃れもできない有様になっている。


 やかましい凜々花に。

 生真面目控え目な春姫ちゃん。


 引っ込み思案で臆病そうな栗山みらいちゃんに加え。

 今日から参加している仮部員は。


「えっと、名前なんて言ったっけ?」

小石川こいしかわ華瑚かこですぅ!」

「小石川さんは、演劇とか興味ある?」

「皆さん素敵でしたねぇ! こんな部を紹介して下さってありがとうございますぅ!」


 栗山さんの友達と聞いているが。

 やたら対照的な女の子だな。


 笑顔で元気で明るくて。

 背も、秋乃程じゃないけど一年生じゃかなり高い方だろう。


 そんな小石川さんの。

 一番の特徴は。


「それにしても、凄い可愛い声してるね? 声優さん志望だったりする?」

「褒めてくださってありがとうございますぅ! よく言われるんですけど、地声なんですよぉ!」


 まるでアニメから飛び出して来たようなその声は。


 特徴的で印象的で。

 一度耳にしたら誰だって忘れる事ができないだろう。


 並んだパイプ椅子の一番外側に腰かけた小石川さんは。

 照れくさそうに俺に笑いかけていたんだが。


 よっぽど恥ずかしかったんだろう。

 俺が凜々花の方を向くのに合わせて、反対側へ顔を背けたように見えた。


「……けっ!」

「ん? 今、なにか低い声が……?」

「え!? なにか聞こえましたぁ?」

「あ、いや。勘違いかな?」


 俺の聞き間違いだったんだろう。

 だって勘違いまでしてるし。


 顔を背けたと思っていた小石川さんは。

 俺に華やかな笑顔を向けたままだったからね。


 ……さて。

 俺ばっかり話をしてたらいけないな。


 バトンタッチしないと。


「さあ、朱里。出番だぞ?」

「にょっ!? あ、それでは続きまして。西野先輩のご厚意で、これからボクたちも体験させてもらえることになってます!」

「……エチュードの体験、という事かな?」

「そう! ハルキーちゃんはやってみたい?」


 おい、朱里よ。

 お前はこういうの下手くそだなあ。


 誰だって、興味と抵抗感の狭間にいるものなんだ。

 だったら最初は、凜々花みたいに参加したがるやつを狙うのが常套手段。


 一人目が参加したら、二人目以降が手を上げやすいだろ?


「……うむ。ならば思う存分楽しませてもらうとしよう。その上で、厳しいご評価を頂戴できれば幸いだ」

「あれ!?」

「ハルキー頑張れ! 凜々花はここで見てっから!」

「あれれれ!?」


 ちょっとどういうこと?

 予想外過ぎて、口あんぐりだよ。


 折角だからと腰を上げた拗音トリオと共に。

 舞台に上がって説明を受けている春姫ちゃんを呆然と見つめていると。


「立哉君、どうしたの? 呆然として……」

「あ、なんでもないです」

「まるで先輩面をしてみたのに後輩から鼻であしらわれた残念な人みたい……」

「うはははははははははははは!!! 君はどうして俺の全てを赤裸々に分析可能なのです?」


 隠し事不能。

 なのに俺からはまるで思考を読み取れないこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 残った一年生三人が話しやすかろうと。

 俺の手を引いて席を立つと。


 小さな声で呟いた。


「や、優しそうな子が来てくれた……」

「小石川さん?」

「うん」


 優しそう?


 元気で可愛い声の子相手に。

 変な印象持つね、お前は。


 でも、さっき春姫ちゃんと凜々花の分析を大外しした身としては。


 何も言い返せないから誤魔化すために話題を切り替えるしか術を持たん。


「えっと、関係性を確認したいんだが」

「うん」

「栗山さんが小石川さんのことを春姫ちゃんに紹介して、友達になってくれないかって頼んだんだったよな?」

「そう。春姫ったら、あんな優しそうな子紹介されておいて、お互いもっと良く知ってからでもいいか? なんて……」

「それは無難な返答だとは思うけど」


 おすねえ、優しそうってこと。

 そりゃ二択なら俺だって優しそうに一票入れるけど。


 まあ、そんなことはともかく。

 もっと変なことに気付かんのかお前は。


 普通は自分が友達になって。

 自分の友達だと紹介するものなんじゃないのか?


 いよいよもって。

 二年前の自分たちの奇行と重なるものがある。


 でも、もしそうだとしたら。

 あんなに明るい小石川さんに友達がいないってことになるのかな?


 ……今は、凜々花を挟んで楽しそうに話す二人だが。

 その思惑は、どちらも友達が欲しいという事なのか。


 もしそうだとしたら、そんな迂遠なことをしなくても。

 凜々花なら友達になってくれると思うけどな。


「あっは! 準備できたよ! どっちのペアが上手かったかみんなで評価するからね!」

「待ってました。最初はどんなペア?」

「ジャックが朱里ちゃんでローズが春姫ちゃん!」

「今更気付いたんだが、にゅが混ざってる時点で二番手チームに勝利はないだろが」

「じゃあ開演です!」


 王子くんの声に合わせて。

 音響の姫くんが壮大な音楽を流す。


 そんなBGMに後押しされるように、役になり切った二人が前へ出ると。


 朱里が、それなり張りのある声で語り出した。


「ああ、ローズ! 私の恋人よ!」


 膝を突いて、なかなか見ごたえのある仕草をまじえた朱里の芝居は大したものだったんだが。


 ジャックへ顔も向けないまま語り始めた春姫ちゃんのセリフが。

 いきなりその場の空気をひっくり返した。


「……ふむ。画家の卵よ。お前と恋には落ちたが、恋人になると決めたわけではないぞ?」

「へ? そ、それはどういう意味なんだい?」

「……私に降りかかる大きな不幸を払ってくれた人。そのような者と出会ってしまったことが私の不幸。あなたがその者を超える事が出来た時、私は晴れてあなたからの求愛に応える事だろう」

「むず……」


 おお。

 春姫ちゃん、ほんとに芝居が好きなんだな。


 現役部員の皆さんも、これにはやられたとばかりに悔しがるプロットの勝利。


 今まですべてのエチュードに盛り込まれていなかった、見る者を惹きつける『シーンの動機』。


 それを織り込んで演技を始めた春姫ちゃんが、どれほど芝居を愛しているかうかがい知れるというものだ。


 さて、沈みゆく船にあって、ジャックはどうローズを口説き落とすのか。

 これは見ものと、誰もが握る拳に力を込めたその瞬間。


「めんどくせえ女!! もう沈むってとこでそんなこと言い出す女はモテないよ!?」


 ……こいつ。

 コントに逃げやがった。


「こら画家の卵。初手で諦めるやつがおるか。身を挺して守ろうとか、暗い海の底へ落としはしないとか、いくらでもネタはあるだろうに」

「いいよ! ボク、他の子に声かけるから! ゆあ! こっちおいで!」

「にゅ!?」

「待て待て待て、譲歩するから。ハードル下げるから」

「海の底まで深く?」

「設置しに行ったら帰ってこれんわ」


 そして始まるドタバタ劇に。

 誰もが楽しく笑う中。


「すげえ残念。かっこよかったのに……」


 なにやら、低い声が耳に届いた。


「ん? 今の、小石川さん?」

「あたし、何もしゃべってないですよぅ?」

「そうなんだ。かっこよかったって聞こえた気がしたんだけど……」

「そうなんですかぁ? 保坂先輩も、かっこいいですね!」


 おいおい、急になに言い出すかな。

 まあ、悪い気はしないけど。


「そ、そう? まあ、空耳ならいいか」

「そうですよ! 空耳空耳ぃ!」

「だよな!」

「……ちょれぇ」

「ん?」

「先輩! 耳がいいって言われません?」

「たまに?」


 そうなんですかぁと笑う一年生は。

 やっぱり俺には、優しいよりも可愛らしいという印象で。


 小石川さんと談笑している間に。

 コントは場内を大爆笑させたまま幕を閉じていた。


 でも。


 戻ってきた春姫ちゃんの不服そうな顔を見た小石川さんは。

 一瞬、彼女と同じような表情を浮かべたような気がした。

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