第10話

「どうしてそこまで駄々をこねる? 悠久の時代離れ離れだったからか? だが、この世を去ったのはそなたの方だ。我々の落ち度にされても」


「いい加減にしろっ!! なんのことかわからないっ!! 人違いも程々にしてくれよっ!!」


「人違いではない。そなたはクルスライム。そうだろう?」


 ギクリと強張った来夢に意外な呼び名を聞いたルヴィも驚いたように彼を凝視する。


「しかし嘆かわしい。何故に男装など?」


「男装……?」


 来夢がブルブルと震える。


 絶対そうだ。


 ハデスはだれかと来夢を人違いしている。


 同じ名前らしいが絶対に人違いだ。


 大体来夢は男装なんてしていない。


 これが普通の格好だ。


 少なくともまだ。


 怒りを込めてハデスを睨みつけた。


「あんた……本格的に人違いしてるよ。俺は男装なんてしてない。俺は……男だっ!!」


 言い切るとハデスが「ガーン」と顔に書いて固まった。


 どうやら意外すぎたようである。


「男? 男? 本当に?」


「なんで嘘つかないといけないんだよ? 初対面のあんたに嘘ついても、俺にはいいことひとつもないだろっ!!」


「だが、ケルベロス」


 ハデスが困惑と顔に書いて、自らの傍で踞る門番に声を投げる。


「彼……はクルスライムだろう? 気配がそうだし力の波動もそうだ。おまけに生命の脈動まで。これで人違いと言われても……」


「悪いがご主人様、彼はまだ覚醒していない。我にはご主人様のようには感じられぬ。そこにいるのはただの人間の子供だ」


「覚醒前? なるほど。なら男でも不思議はないな」


 なにやら納得するハデスに来夢は拳を震わせた。


 人違いだと言ったのに、どうやらハデスは人違いじゃない方に納得したようだ。


「どうやら人違いだと思い込んでいるのはそなたの方だ、クルスライム」


「だからー。なんでそうなるんだよ?」


 来夢は話が通じなくてイライラしている。


「わたしは冥府の王。魂の輝きは間違わない。それにケルベロスもそなたが覚醒前だと言っているし、その場合そなたに自覚がなくて、まして男でも大した問題はない」


「問題だらけだろっ!! 大前提として人違いってのがあるっ!! そもそも魂の輝きとか言われたって、そんなのだれが信じるよっ!?」


「少なくともそこにいる少女は信じると思うが?」


 ハデスにルヴィを指差され、来夢はすがるように彼女を振り向いた。


「信じたなんて言わないよな?」


「……悪いけれどどちらの言っていることが事実なのか、わたくしには判断できないわ。だってライム。相手は冥府の王なのよ? 彼の言っているように魂の輝きは……ごまかせないわ」


「そんな」


「ただあなたがごまかしたくて、必死になって嘘をついているようにも見えない。申し訳ありませんが冥府の王。ここは退いて頂けませんでしょうか? ライムもなにがなんだかわかっていない様子。今無理強いするのは可哀想です」


 疑っていると言いつつも庇ってくれたルヴィに来夢は感激の目を向ける。


「そういうわけにはいかないのだ」


「何故でしょうか?」


「このままではドルトスたちが気付く。気付けば反乱が起きるだろう」


「力の門番ドルトスですか? 反乱? どうして?」


 ルヴィの問いかけにハデスはため息をつく。


「クルスライムが戻ってきたのに、クルスライムとしては存在していないからだ」


「わかりません。なんのことですか?」


「アマテラスをどうした? クルスライム?」


 問いかけには答えずにハデスはそう言った。


 言われた来夢は夢で聞いた情報を思い出す。


「俺は知らない……って言いたいけど、どうもアマテラスは元の場所。つまり日本にいるらしいよ。だから、ここにはいない」


「なるほど」


 ハデスが納得の声を出すのと、ルヴィが驚愕の視線を向けるのは同時だった。


「ではますますそなたには一緒にきてもらわなければならない。アポロンが気付けばそなたを放置しないだろうからな」


「だからー。俺がアマテラスの居場所を知ってるのは事実だよ? でも、それは教えてもらったからで、アマテラスが消えたのは俺のせいじゃない。それでなんでアポロンに恨まれないといけないんだ?」


「そういう道理はあの悪戯小僧には通用しない。そもそもクルスライム。そなたがそなたであるという現実の前に、その言い訳は通用しないのだ」


「そんな無茶苦茶な」


「とにかくこいっ!!」


 近付いてきたハデスに二の腕を掴まれ、来夢は否応なく引き摺られていった。


「ちょっと放せよっ!!」


「匿ってやろうと言ってるんだっ!! すこしは大人しく従えっ!! 幾らおまえがクルスライムでも……」


 言いかけたハデスが振り向いて息を飲んだ。


 来夢の目に怒りが浮かんだからだ。


 慌てて腕を放す。


「クルスライム。腕は放しただろう? だから、そんなに怒るな」


「俺を無理に拉致しようとしておいて怒るな、だって? どうやったら言えるんだ? そんなこと」


「バカっ。そなたが本気で怒って力を解放したら、それこそアポロンたちに気付かれるっ!! 今気付いているのは俺だけなんだっ!! そのことに感謝してっ」


「感謝? 人を拉致しようとした奴に感謝なんてできるかーっ!!」


 来夢が叫んだ瞬間、ハデスは小さく舌打ちするとケルベロスに声を投げた。


「ケルベロス。クルスライムを刺激しないためにわたしは去る。だが、そなたは残れ。残ってクルスライムを護れ」


「いらんっ。そんな守護なんてっ」


「……人を都合のいいように振り回そうとするな、ふたりして」


 ケルベロスの抗議も無視してハデスの姿は消えた。


 殴ってやろうと身構えていた来夢は、相手が消えてムッとして顔を背ける。


「あの……」


 ルヴィが恐る恐るケルベロスに声を投げた。


「置いて行かれましたけど冥府に戻らなくていいのですか、冥府の門番ケルベロス?」


「ご主人様がいないと我ひとりの力では冥府の門は潜れない」


「まあお気の毒に」


 あの台風のような主人に振り回されているのかと思ったら、ルヴィはこの恐ろしい番犬に対する恐怖も薄れてしまった。


 ハデスはなんだか印象と違う神だったと思う。


「クルスライム」


「その名で呼ぶなよ、ケルベロス。人が聞いたら誤解するだろ。クルスはこの世界の名前なんだから」


 このやり取りでルヴィは彼の本名は、本当に「クルスライム」なのだと知った。


 それならまあ隠そうとするのもわかる気がする。


 普通に名乗ったら神官たちに大罪人として追われるか、もしくは神の遣いとして崇められるか。


 どちらかだっただろう。


 そして来夢が真実、大神殿を破壊した人物なら、崇められるよりも大罪人と判断されかねない。


 だったら無理もないかと思った。


「しかしあなたはクルスライムだ。他の呼び名など知らぬ」


「ふう。なんだよ」


 言い返すのを諦めて来夢は問い返した。


「我はご主人様の命により、これよりあなたの守護につく」


「いらないんだけどなあ」


「そうもいかないだろう」


「どうして?」


「あなたがクルスライムである以上、世界はあなたを放置してくれないからだ」


「人違いだと思うんだけど。同名の別人だろ、それ」


「人違いかどうかはあなたが判断することではない。それこそ力の門番ドルトスたちが判断すること」


「……なんか納得いかないな。なんで自分の価値を人に決められないといけないんだ?」


 ムッとする来夢にケルベロスは笑った。


「変わったな、クルスライム」


「変わったって……そりゃ人違いだから変わったようにも見えるだろ」


「人違い、、か」


 ケルベロスはそれだけを言って黙り込んでしまった。


 来夢も黙り込んだ相手にこれ以上否定しても意味がないので口を噤む。


 そんなやり取りをルヴィがじっと見ていた。





「キャーッ!!」


 あちこちで上がる悲鳴。


 その中心にいる来夢は頭を抱え込む。


 こちらでは神の番犬のはずなのに、やはり地獄の番犬と言うべきか。


 ケルベロスは恐れられているようだった。


  ケルベロスを見た人々が一斉に悲鳴を上げるのを見て、来夢はつくづくと自分の不幸を噛み締める。


 こんなものを置いていったハデスを恨みたい。


 目の前にいたら今すぐ殴ってやりたい。


 しかし相手がいないのでは、この怒りも向けるべき矛先がない。


 肩を落とす来夢の傍で一緒にいたルヴィが気の毒そうな顔をしている。


「あなた。あのままハデスと一緒に冥府に行った方が、まだよかったかもしれないわね。これから……揉めるわよ?」


「俺のせいじゃない」


「我のせいでもない」


 白々と言い返すケルベロスに来夢はカッとなった。


「どこから見てもおまえのせいだろっ。どうしてくれるんだ、かの混乱の坩堝!!」


「我が冥府の門番だからといって無闇に怯える方が悪い。門番ということは、だ。我に気に入られなければ、そもそも冥府には行けない。冥府に行けないと転生できないということなのだから」


「冥府に行けない魂はどうなるんだ?」


 素朴な、とっても素朴な質問にケルベロスはケロリと答えた。


「そうだな。我が食うか、閻魔が食うか。どちらかだ」


「閻魔大王までいるのかよ?」


「ふむ。そなたが招いたのだろう? そう驚かなくても」


「招いてないっ。変な言い方するなっ」


「しかしな。我はともかく閻魔に喰われた魂は浄化され転生できる。それだけでも救いだと思うが?」


「我はともかくって。ケルベロスが喰った魂は?」


「地獄の業火に焼かれ、悶え苦しんだ後でようやく転生が許される。それもご主人に許されれば、だが」


「気に入られるための条件って?」


「一言で言って顔の良し悪し?」


「は?」


 呆気に取られる来夢にケルベロスは大真面目に言ってのけた。


「ご主人様はあれで面食いなのだ。顔の悪い男も女もキライでな。ゼウスを思い出すとかで」


「ゼウスって醜男だっけ?」


「ご主人に言わせれば、どれほど顔が良くても、性根が腐っているから醜男なんだそうだ」


「つまり顔の良し悪しって性格も込み?」


「そういうことになるな」


 人柄込みで顔を判断されて、それで不細工と判断されたら地獄へ落ちると聞いて、来夢は今更のようにこの世界の転生のシステムが不憫になった。


 生前の善行だけを問われた方がまだマシな気がする。


 性格が多少悪くても善人だっているだろうに。


「閻魔よりご主人様の方がマシな採点だと思うぞ? 閻魔は嘘ひとつ生前についていただけでも喰うからな」


「そりゃ怖い」


 嘘をつかない人間なんていない。


 つまり閻魔大王にかかると、すべての人間が喰われるということだ。


「だからこそ閻魔には浄化という能力が備わっているのだが」


「なるほどねえ」


 閻魔はたしかに善行にはうるさい。


 嘘ひとつついていただけで魂を喰う。


 しかし喰われた魂はすべて浄化され、結局のところ転生できるのだ。


 これは本当にハデスの方がマシなんだろうか?


 さっきの説明通りなら閻魔の方がマシな気がするが。


「地獄の業火に焼かれるかどうか、それは結局本人の資質次第だ。人殺しはどこまでいっても人殺し。改心しても罪は消えない。だから、苦しむ。

 そういう意味で喰われた瞬間だけの苦しみですむ閻魔より、ご主人様の方がたしかに厳しい。だが、それだけの価値があると我は思う」


「そこまでお話ししていいのですか、ケルベロス? わたくしもいるのですが?」


 割って入ったルヴィにケルベロスは彼女を見て小さく笑った。

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