第9話
「で? なにを知りたいの?」
講義までは時間があるからと、ルヴィに図書館に連れてこられた来夢は、途中で何度も凝視され居心地が悪かった。
黒髪、黒瞳が珍しいらしく、通りすぎる者すべてに注視されたのだ。
できればこれ以上注目を集めたくないと思いつつ声を投げる。
「この世界……国の神々について知りたい」
(この世界って言ってから国って言い直した?)
怪訝に思ったがルヴィは彼の言うとおり神話の書物を手に取った。
「この国の神々って基本的には大勢いてね? 大神ゼウスなどが有名ね。元はギリシャの神々だとか」
「ギリシャ……知ってるのか?」
来夢の驚きの意味がわからなくてルヴィは首を傾げる。
「大神ゼウスがそう名乗ったそうよ? ギリシャ神話の大神だと」
これこれと開いた書物を指差すルヴィに来夢も本を覗き込んだ。
そこには精悍な顔立ちの男性が描かれている。
「これがゼウス?」
「そう伝わっているわ。ゼウスの兄神で対立している関係なのが冥府の王ハデス」
パラリとページを捲ると黒装束の男性の肖像画があった。
おそらくハデスなのだろう。
「ハデスは冥府以外には住めないと言って、無理にこちらに冥府を造ったらしいのよ。ギリシャではどうしていたのかしらね?」
「普通に冥府にいたんじゃないか?」
来夢に平然と返されて、ルヴィはますます怪訝な気持ちになる。
こちらの説明することを彼はすべて飲み込んでいるように見える。
言葉も通じないのにそれは変だ。
「ハデスがいるなら、もしかして冥府の門番はケルベロス?」
「どうしてあなたが知ってるの? 異国人でしょう?」
問いかけられると来夢は口を噤んでしまった。
それで知られたくないのかなとルヴィは判断した。
「じゃあハデスの奥さんは?」
「奥様? 女神ベルセフォネー様のこと?」
「やっぱりいるんだ?」
ハデスと共に召喚されたようだ。
「他には?」
「そうね。太陽神アポロン。月の女神アルテミス。美の女神ヴィーナス。戦いの女神アテナなどが有名ね。あとは今はいないけれどアポロンと同じ太陽神アマテラスとか、月の女神アルテミスとすごく仲のいいらしい同じ月の女神のツクヨミとか」
「なるほど」
そう呟いてから来夢は「夢で説明されたとおりだな」とボソッと呟いた。
しかしその言葉はしっかりルヴィの耳に入った。
(夢って?)
疑問には思ったが顔に出さずに説明を続けていく。
「この世界には月がふたつあるでしょう?」
「うん」
最初は驚いたけどと、来夢は心の中で呟く。
それもあって異世界だとすんなり納得できたのだ。
地球の月はひとつなので。
「昔は月はひとつだったのよ。月の女神がふたりになるまでは」
「じゃあ太陽も昔はふたつあった?」
「どうしてそのことを知ってるの? それは神殿の神宮や巫女たちか、もしくは王族しか知らないことよ?」
「アマテラスがいなくなったから、太陽はひとつになったのかなと思ったんだ。知ってたわけじゃないよ」
来夢はこれでひとつ暴露してしまった。
一部の者しか知らない極秘事項のアマテラスが現在はいない、という事実を知っていると。
ルヴィは眉をしかめたが、それ以上顔に出すことはなかった。
「そのたったひとつの太陽で、クルスを砂漠化に追い込んでいるわけか。すげえなアポロンって」
ぶつぶつ呟く来夢にルヴィは何度目かわからない疑問を抱く。
調べたいと言って言葉も通じないわりに、彼は神話に詳しすぎる。
それもこの世界の神話はそのまま召喚術に通用するものだ。
つまり来夢の持っている知識は召喚術に関するものということになる。
どういうことだろう?
それにアポロンが砂漠化の原因と言った。
それは聞いたことがない。
確かに現状を招けるのはアポロンだけだが、神を召喚できる召喚師がいなくなって、そのアポロンも表に出られなくなった。
だから、真剣にそれを疑う者もいなかったのに。
「冥府があってギリシャから神々を招いたってことは、クルスの人々は異世界との行き来もできたってことなのか?」
「それについては答えられないわ。王族だけの重要な機密なの。それにわたくしも教わっていないし、こういうところに置かれている書物には、おそらく書かれていない事実だと思うわ」
「そっか。それもそうだよな。クルスにとっては重大な知識だもんな」
「それについて知りたければ、クリス兄さまにでも訊ねるしかないんじゃないかしら? もしくはアルト兄さまか。少なくとも王女が知るような内容の知識ではないわ」
「あのふたりかあ」
来夢は頭を抱えてしまった。
こうしてふたりで過ごしてルヴィは違和感を感じていた。
不思議なほどに異性とふたりきりで過ごしているという実感がない。
何故か同性の友達とこうして過ごしているような錯覚が消えないのだ。
どういうことなのか、自分でもわからない感覚だった。
「ケルベロスってやっぱり頭が3つあるのかな?」
「ケルベロス? いいえ。獰猛ではあるらしいけれど、頭はひとつだって聞いているわ。ただ黄金の瞳をしていて、まるで獅子のようなたてがみをもった狼みたいな体躯だって。ほら」
そう言われて示されたページには、ケルベロスらしい獣の姿が描かれていた。
確かにライオンのたてがみみたいなものをもった狼みたいな獣が描かれている。
「どうして頭が3つあるなんて変な想像したの? そんな動物は聞いたこともないわ」
「いや……そんな気がしただけだよ」
まあ地球でも諸説は色々あったし、そもそも実体のない幻の獣だ。
どういう形で召喚されていても不思議はないのだろうが、これがケルベロス。
やはり来夢の知っている神話とは、すこし形が違うようだ。
こういうケルベロスは聞いたことがない。
地獄の門番というより、なんていうか獅子の姿をした狼といった感じだ。
「他の神々は?」
「そうね。あとは色々知っているけれど、有名ではないわね」
「どうして?」
「有名な神々って要するに人間に協力的だった神々なの。たとえば大神ゼウス。その昔人間のためによく動いてくれたらしいわ」
「ハデスも? 冥府の王なのに?」
「ハデスの場合はどちらかといえば、死者の管理をやってくれていたのよ。人間の魂が正しい形で転生できるように手助けしてくれていたのがハデスなの」
「へえ」
つまり有名な神々は人間に召喚できて、その力を振るってくれた神々ということなのだろう。
有名じゃない神々はおそらく召喚したものの、人間には扱いきれなかった神々に違いない。
「この世界に添わない魂は、ハデスによって弾かれるとも聞くわね。それも今となってはただのお伽噺だけれど」
「この世界に添わない魂?」
来夢は真っ青だった。
ルヴィは首を傾げる。
「どうかしたの?」
「なんでもない」
そう答えるものの真っ青なままだった。
それから物思いを振り切るようにポツリと呟いた。
「どうしてポセイドンを召喚しなかったんだろう?」
「え……?」
(どうして彼が実在しない海神ポセイドンの名を知っているの? そんな人には逢ったことがないわ。神官でもないかぎり、知らされない名前なのに)
ルヴィの驚愕に来夢は気づかない。
彼女が持っていた書物をパラパラと捲っていくだけで。
「やっぱりポセイドンらしき神々はいないな。いたら今頃は世界の様相も変わっただろうに」
「ライム。あなたどうして……」
「なに?」
振り向いて見上げる来夢には問題発言をしたという意識は見受けられない。
だから、ルヴィはさりげなく誘導した。
「どうしてポセイドンがいないのか、それはここに書いているわ」
適当なページを指差す。
彼はなにも気づかないまま、そのページに目を落とした。
だが、その顔に疑問の色は浮かばない。
「ごめん。読んでくれないか?」
やはり彼は文字を読めていない。
認めていたら全く関係ないページだと、すぐに気づいたはずだ。
だったら何故ポセイドンの名を知っている?
今では知っている者の方が少ない神なのに。
「あれ? このページに載ってる神って阿修羅じゃないのか?」
3つの顔を持つ神が描かれていて、その姿は仏像でよく見掛ける阿修羅に似ていた。
来夢が怪訝そうにルヴィを見る。
「どういうことだよ? これ、ポセイドンのページじゃないだろ?」
「あなた……神話を調べる必要ないんじゃない?」
「え?」
来夢は驚いた声を上げたが、ルヴィは真剣なようだった。
「少なくともあなたはこの国の神話について、とても詳しい部類に入るわ。大神官にも匹敵するんじゃないかしら」
これには来夢もなにも言えなかった。
知らないあいだに地球での知識を披露していたようだと気づいて。
「どこで覚えたのかは知らないけれど、あなたが知りたい知識は、わたくしでは教えられないわ。わたくしよりあなたの方が詳しいみたいだもの」
「それはその」
たしかに来夢は昔から神話には興味津々で、色んな国の神話を調べていたから、年頃の同性と比較すれば物知りな方だ。
だが、そのせいでここで疑問視を向けられるとは思わなかった。
できれば召喚術について問いかけたかったが、どうやら状況が許さないらしいと来夢にもわかった。
墓穴を掘ったことを苦く噛み締めながら。
「じゃあわたくしはそろそろ授業の時間だから」
そい言って本を閉じたルヴィに来夢もなにも言えなかった。
彼女が閉じた本のページには見覚えのない神が描かれている。
首を傾げる。
「さっき開いたページに載っていた神って?」
「え? ああ。力の番人ドルトスね」
「力の番人ドルトス?」
これは聞き覚えのない名前だった。
この世界特有の神だろうか?
「この世界で力の均衡を司っている神よ。ゼウスですら彼を無視して力を振るえないらしいわ」
「へえ。『はじまりの女神』でさえも?」
「『はじまりの女神』は特別よ。どうしてあなたが知ってるの? ドルトスの名前は知らなかったのに」
問われても来夢にも答えられない。
しかしこれであの夢が普通の夢ではないことは明らかになった。
どうして来夢があんな夢を見たのかはわからないままだが。
「とりあえずありがとう。そろそろ部屋にもど……」
言いかけて来夢の眼が点になった。
「あれ? 眼の錯覚かなあ?」
「どうしたの?」
眼をゴシゴシこする来夢にルヴィが怪訝な声を出す。
「あれ、なんに見える?」
来夢が指差す方をルヴィが振り向く。
同時に彼女の身が竦む。
「ケルベロス」
「やっぱりケルベロスに見えるんだ? 眼の錯覚じゃない?」
獰猛な唸り声をあげる獣にふたりして後退する。
「なあ。どうしてだれも気づかないんだ? 図書館ならもうすこしくらい人がいたって」
「ここは王族専用の図書館なのよ。兄さまたちでもないかぎり人はいないわ」
「それって絶体絶命って言わない? アハハー」
来夢の乾いた笑い声にもルヴィは反応を返せない。
そのとき、唸るケルベロスを撫でる手が見えた。
徐々に姿を現す黒衣の青年にふたりして眼を瞠る。
「落ちつけ、ケルベロス。警戒させるのは得策ではない」
「「冥府の王ハデス」」
ふたりで彼の名を呼ぶ。
名を呼ばれた彼は冥府の王の呼び名には相応しくない屈託のない笑みを見せた。
「そなたを迎えにきたぞ、ライム」
「なんで」
来夢が強張って後退る。
ルヴィも意外なことを言われ、ふたりを交互に見た。
「そなたが地上にいるのは困る。だから、冥府まで迎えにきた。どこか変か?」
「全部変だよっ!! なんで俺が冥府に行かないといけないんだっ!?」
「ベルセフォネーもそなたを待っている。駄々をこねずにこい」
「話通じてないしっ!!」
来夢は力一杯拒絶しているが、ハデスは聞いていないようだった。
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