第6話

 微かに笑みのような声が漏れる。


『世界を見ているのよ、来夢』


『世界?』


『こちらへいらっしゃい』


 言われて近づけば雲の隙間から、いつかみた景色が広がっていた。


 豆粒のように広がる小さな世界。


 知っている。


『クルス』


 こうして見ると、とても小さい世界なんだなとわかる。


 世界の中心にあるのはエルクト王国だろうか。


 世界の大部分が砂漠だ。


 あの国がどれだけ特殊なのかが来夢にもわかる。


『どうしてクルスは世界の大部分が砂漠なんだ?』


『そうね。あなたになら言えばわかるかしら。太陽神アポロンが今世界の支配権を得ているの』


『え? ギリシャ神話のアポロン? どうして?』


 どうして異世界でその名が出てくるのかわからない。


『同じ太陽神だったアマテラスがいなくなって、アポロンは暴挙に出たの。彼女が戻ってくるまで、世界を太陽で照らしつづけるという』


 今度はアマテラス。


 日本神話だ。


 天照大御神。


 どうして太陽神がふたりいるのかわからない。


 そもそも異世界の神々がどうして地球の神々なのかも。


『アポロンがいるなら当然、ゼウスだっているよな? もしかしたら日本の最高神だっているかもしれない。そいつらはどうしてるんだ?』


『大神ゼウスは眠っているわ。アマテラスがこちらでの最高神。あなたの知っている日本神話とはすこし違うわね。

 すべての神々を召喚する力を、この世界の人々は持っていなかった。だから、大神ゼウスとアマテラスを召喚するので精一杯だったのよ』


『召喚?』


 ゲームなどで知った。


 術を用いて現実にいない存在を現出させることだよな?


 つまり?


 この世界の人々は地球の神々を召喚し現出させた?


『でもね? 問題はまだあったの。アポロンが暴挙に出ても海神ポセイドンがいればまだよかった。でも、この世界の人々はポセイドンを召喚していなくて、こちらには水を司るべき神がいないの』


『だから、砂漠化が進んでいる?』


『エルクトにはね。水の精霊が住んでいるの。だから、こんな危機的状況でも水に溢れているし、水の恩恵を受けて緑も豊かなのよ』

 周囲をみれば不自然なほどに栄えた豊かな国エルクト。


 そこにも理由があったのか。


『アマテラスはどこに行ったんだ? 彼女がいればアポロンも暴挙には出なかったんだろう?』


『大神ゼウスが眠っているのと同じ理由かしら?』


『どういう意味?』


『始まりの女神がこちらの世界を去るときに、彼女もついていったのよ。始まりの女神を護るために』


『始まりの女神?』


 問いかけたがこれには答えをもらえなかった。


 彼女がさりげなく言葉を続けたからだ。


『クルスは小さいけれど豊かな世界。彼女はこの世界でまどろんでいたかった。けれど彼女には休息は許されない。だから、この世界を去るしかなかった。たとえすべての神々を置き去りにしても』


 なんだか話がみえない。


 だから、「始まりの女神」はどこへ行ったんだ?


 どうして休息が許されなくて、そのためにどこへ行ったんだ?


 どうしてそれにアマテラスが同行しないといけなかったんだ?


 同行してアマテラスはどうなったんだ?


 いくら長く世界を離れてアポロンが暴挙に出ても、短い時間なら世界はこんなことにはなっていない。


 これだけの砂漠化が進むなんて、「始まりの女神」に同行してアマテラスがいなくなったのはいつの話なんだ?


 問いかけたいことはたくさんある。


 でも、問えなかった。


 彼女が言葉を続けたから。


『アポロンはアマテラスの妹のツクヨミに弱いから、それにアルテミスにも勝てないから、夜の世界では身を引いている。だから、かろうじて均衡が保たれているの』


 夜にクルスの砂漠が冷え込むのは、そういう理由か。


 アポロンが表出しないから、クルスの夜は冷えるのだろう。


 しかしツクヨミって男神じゃなかったか?


 今アマテラスの妹って言ったよな?


 ?


 本当に来夢の知っている日本神話とは違うのか?


『クルスでは地球の神々を召喚することで、その力を使ってたんだよな?』


『そうよ』


『じゃあ今は? 今のクルスには神々を召喚できる者はいないのか? あの王子を見ていたら、今もクルスの人間は普通に召喚術って使ってる気がするけど?』


 ペガサスを突然呼び出したクリストファー。


 どう考えても、あれは召喚術だ。


 だが、問いかけると彼女はやるせない声で否定した。


『今のクルスには神々を召喚できるほどの力の持ち主はいないわ』


『え? でも』


『クリストファーがペガサスを召喚したとき、彼は媒介を使っていたでしょう?』


 媒介。


 この場合、術を補佐する道具で合ってるだろうか。


『アマテラスがいなくなった時代から、あまりにも永い悠久の時が流れて、クルスの人々は力を失っていったの。今のクルスには媒介を用いずに召喚術を行使できる者なんていないのよ』


『つまり媒介を用いなければ召喚術を使えない程度の力では神々は召喚できない?』


 問いかけると彼女は「そうよ」と笑った。


『じゃあ「始まりの女神」が戻ってくれば、アマテラスも戻ってくるんじゃないのか? そうしたらアポロンだって』


 言いかけると彼女があっさり否定した。


『無理ね』


『どうして?』


『始まりの女神はもうこの世にはいないから』


 それはアマテラスもいないということか?


 問えないその言葉に彼女は振り向いたようだった。


 顔らしき影が動いたから、たぶん振り向いたんだと思う。


『始まりの女神の消えた今、アマテラスを取り戻すために、人々は奇跡を望むでしょう』


『つまりアマテラスは消えてない?』


『アマテラスは元の場所にいるわ。だから、あなたがここにいるのかもしれないわね、来夢』


 元の場所?


 つまり日本にいる?


 だから、日本人の来夢がここに召喚された?


 でも、だれに?


 どうやって?


 そしてなによりもなんのために?


『だれに? どうやって? なんのために? それを考えるのは無駄なことよ、来夢』


『どうして? 俺は元の世界に戻りたいんだ。クルスなんて俺には関係ない世界だよ』


『関係ない世界だから滅ぼうとどうしようと構わない?』


『そんなふうには……言わないけど』


 さすがに滅んでもいいとは言いにくい。


 関係ないとは思うし、どうして来夢にそういうことを望むのかとか、そういう疑問も浮かぶ。


 でも、だからといって来夢には関係ないから、クルスは滅んでもいいなんて言えない。


『来栖来夢』


 フルネームで呼ばれて来夢は彼女を見た。


 まっすぐに見られている気がしたから。


『来栖の家がどうやって受け継がれてきたか、あなたは知っている?』


『さあ? ただ来栖の直系は婿養子に行ったり、嫁に行ったりするのは禁止されていたみたいだな。長男がいないなら長女が家を継ぐべき。そういう風潮はあったみたいだ。でも、それが?』


 そうして来栖の家は長い間受け継がれてきた。


 だれがそれを言い出したのか、今ではだれも知らないのに、今もそれを守っている。


 バカげたことだと来栖の直系の父は言うけれど。


 それでも来夢が男でよかったと、一度そんなふうに言っていた。


 これで来栖の名前は受け継がれる、と。


 でも、来夢は……。


 来栖の家は資産家で、だから、家名を守ろうとしたのかと、来夢はそんな風に考えていたけれど、今となっては不思議で仕方ない。


 資産家ではあるけれども、元は華族だったとか。


 そういう名家でもないのだ。


 ごく普通の家。


 なのに誰もが必死になって来栖の名を受け継いできた。


 なにがそうさせるのか来夢にはわからない。


 わかろうともしなかった。


 しなくても何れ自分が来栖を継ぐんだろうと思ったから。


 でも。


 頬に柔らかな感触が触れて来夢は顔をあげた。


『そんな顔をするものではないわ。あなたはあなたの道を行けばいいの』


『……でも』


『あなたの望んだことではなくても、それがあなたの宿命なの。それがなにを招きあなたがどう生きるのか。選べるのはあなただけだわ。だれにも強制できない』


 どちらの道を選ぶのか。


 決めるのは来夢。


 でも、もしかしたら選んだ道によっては子孫を残せないかもしれない。


 今の来栖の直系は来夢ひとりなのに。


 だから、来夢の意思を尊重してくれる両親だけれど、本当はなにを願っているか来夢は知っている。


 来夢が普通に子孫を残すことをふたりは望んでいる。


 でも。


 でもっ!!


『あなたのその迷いはクルスでの生活が晴らしてくれるわ』


『え?』


『現実にお帰りなさい。来夢。あなたがここへ来るのはまだ早いようだわ』


 トンっと肩を押され、来夢は雲の隙間から足を滑らせた。


 どこまでも落下していく。


 初めてクルスへやって来たときのように。


 見上げれば彼女が手を振っているような気がした。

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