第4話

「きみの素性がはっきりしない以上、きみを奴隷として扱うことも、またなにかの事件の犯人として扱うこともできない。

 わたしの一存になるが、きみを客人として迎えよう。もちろんこちらの質問にはきちんと答えること。これは今から指摘しておくよ」


 偽ることは許さない。


 そう念を押されたことに気づいて来夢の身体が強ばる。


「ところで自己紹介といこうか。わたしはこの国の第一王子のクリストファー。みなはクリスと呼ぶがね。きみは?」


「く……来夢」


 来栖来夢と言いそうになって、慌てて来夢とだけ答えた。


「クライム?」


「だれがクライムだよ? 来夢だよ」


「でも、たしかクって言いかけなかったかい?」


「それは……」


 答えられない来夢を見て、クリスは今はこれ以上突っ込むべきではないと判断したのか、急に話題をかえた。


「家族は?」


「両親がいるけど今は一緒にはいない」


「そう。どうやってこの国に?」


「……」


 また黙り込んでしまう来夢にクリスも、どうやらよほどの理由がありそうだと気づく。


 ここは引くべきかと服の下に落としていたネックレスに手をかけた。


「サファイア?」


 青く美しい宝石は来夢の眼にはサファイアに見えた。


 聞き覚えのない単語にクリスが不思議そうな顔をする。


「サファイアってなんだい?」


「……知らないのならいい。勘違いみたいだから」


 この世界の常識と来夢の常識が違うのは当たり前だ。


 無理に説明しようとすることの無謀さは、ケリーとアンナで実証済である。


 来夢は興味を失ったようにフイッと顔を背ける。


 なにか機嫌を損ねることを言っただろうかと、クリスはすこし悩む。


 しかし来夢に振り向く気配がなかったので、仕方なくネックレスのヘッドを引きちぎった。


 これは必要に応じてつけたり外したりできる作りなのだ。


 引きちぎられたヘッドから光が放射される。


 ハッとして来夢が振り向いたときには、目の前にペガサスがいた。


「ペガサス……」


 地球では幻獣である。


 羽根のある白い馬の姿をしている。


「きみはペガサスを知っているんだね。あまり知っている人間はいないはずなんだけれど」


「いや。実際に見るのは初めてだけど」


 というかいるという現実が信じられない。


 おそるおそる来夢が触れると、ペガサスは気持ち良さそうに目を閉じた。


「自分ひとりの移動だとペガサスが一番速いんだよ。きみひとりくらいなら乗せても大丈夫だろうから」


 ペガサスは聖なる獣とも呼ばれている。


 そのペガサスに触れることのできる来夢に少々驚きつつクリスが説明する。


 来夢の方はといえば、初めてみる伝説の獣の姿にすっかり夢中になり、ペガサスを撫で回している。


 それをペガサスが素直に受けているのでクリスは余計に驚いた。


 普通、ペガサスはこういう真似を許さないのだが。


「とりあえず乗れるかい?」


「んー。どうかな。馬になんて乗ったことないし、ペガサスなんて乗り方わからない」


「そう」


 呟くとクリスは来夢の腰に片腕を回した。


 来夢が驚いたように彼を凝視する


 軽々と片腕に来夢を抱いて、彼はペガサスに飛び乗った。


「しっかり掴まっているんだよ?」


 それだけを呟いて彼はペガサスを空へと舞い上がらせた。


 来夢は最初この世界へきたときのことを思い出し、怖すぎて夢中でクリスにしがみつく。


 ベッタリくっつかれても平気な自分に気づいて、クリスはますます不思議そうに来夢をみるのだった。




 砂漠を一望に見下ろせるほどの高さのある宮殿が王都の中心にある。


 この国はオアシスの国と言われているが、規模は決して小さくはない。


 なぜならオアシスを求めてやってくる諸国の旅人のせいで常に潤っているし、緑や水の豊かな土地は決して少なくないからだ。


 ペガサスによって宮殿へと連行された来夢は、否応もなく風呂へと入れられた。


 やはり多少は臭かったのか? とまで来夢は疑ったほどだ。


 ちがうと知ったのは身支度が整えられてからだ。


 ひとりで入ると言っても聞いてもらえず、侍従たちの手によって全身を磨かれた来夢は、上品そうで上等な服に着替えさせられ、そのまま夕食の席に招かれた。


 その席にはクリストファーの弟や妹も同席していた。


 唯一の救いは国王や王妃がいなかったことだろうか。


 大事な執務の最中だとかで、ふたりは今国を留守にしているという。


 従って今この国の全権を担っているのが、第一王子のクリストファーなのだ。


 でなければ彼の一存だけで、素性の怪しい来夢を宮殿に連れ込むことはできなかっただろう。


 尤も。


 食事の席での様子をみていれば、クリスがかなり信頼され、自分の一存でなんでも決められれる立場にいることは予測可能だったけれど。


「これは……めずらしいお客人ですね、兄上」


 来夢の姿をみるなり亜麻色の髪、銀灰色の瞳をした美青年がそういった。


 だが、来夢には彼は20歳をこえていないように見えるので、もしかしたら美少年かもしれないが。


 外国人はそうじて歳が上にみえるという。


 この分なら来夢は10歳くらいだと思われていそうだ。


「わたくしよりも年下なのかしら?」


 愛らしく首を傾げた美少女はどちらかと言えば長兄似で髪も瞳も銀だった。


 次男だけがどうやら髪や瞳の色が違うらしい。


 しかし年下ってどういう判断だろう。


 この国にしばらくいたから見当がつくのかもしれないが、この少女はどうみても14歳くらいだ。


 年上にみえてそのくらいにみえると判断したら、もっと年下かもしれない。


 それで来夢のほうが年下にみえるというのは正直、嬉しくなかった。


「そういえばわたしも年齢は知らなかったね。幾つなんだい、ライム?」


「なんか……非常に言いづらいんだけど……16歳」


「「「……」」」


 3人とも眼を丸くして黙り込んでしまった。


 いたたまれないような長い沈黙が続く。


 来夢がこめかみを掻いていると、唖然とした態で次男らしき青年が兄を振り向いた。


「16歳って本当ですか、兄上? ぼくの眼にはどう年上にみても10歳くらいにしかみえないんですが」


「わたくしもそのくらいかと思っていたわ。わたくしよりも2歳も年上?」


 ふたりとも怪訝そうである。


「本当かどうか訊かれても、わたしも彼には今日初めて逢ったからね。それでは彼の言うことを信じるしか方法がないよ」


 苦笑するクリスに彼の弟や妹は素っ頓狂な声をあげた。


「「彼っ!?」」


 今度はさっき以上に驚いたようである。


 来夢はテーブルマナーなどわからないが、付き合うのもバカらしかったので黙々と食事を続けていた。


「そうだよ? 格好をみればわかるだろう? 女物は着せていないだろうに」


「兄上が街から連れて帰ってきたんですよね? ペガサスに一緒に乗って」


「そうだけど?」


「本当に同性ですか?」


 弟の言い分にクリスは口を噤む。


 が、男だと言ってもなお信じられないらしい彼につい来夢はムッとした。


「兄上が一緒にペガサスで連れてきたのなら男のわけが」


「は? なんだよ、その基準?」


 来夢はさっぱりわけがわからない。


 一緒にペガサスに乗ってきたからなんだというのだ?


 これが異性なら王子が連れてきたら問題視されるかもしれないが、男だと言っているのだから信じたらよさそうなものだが。


 そう思っていると無邪気そうな少女が意外なことを言ってきた。


「クリス兄さまはね、たいへんな男性アレルギーなのよ」


「男性アレルギー?」


 つまりあれか? 男に触られたりすると蕁麻疹が出たりするのか?


 マジマジとクリスをみると彼は苦笑して言った。


「残念ながら蕁麻疹は出ないよ」


 考えを読まれて来夢は口を噤む。


「いや。出る暇もないと言うべきかな? なにしろ同性に触れると一瞬で気絶してしまうから」


「気絶」


 確かに最初触られたときは性別を知らなかった上に、その後もすこしのあいだは異性だと誤解していた。


 だが、男だとはっきりした後で彼は不思議そうに来夢に問いかけていた。


 本当に男なのか? と。


 あれは……こういう意味だった?


 来夢が本当に同性なら彼は一番に気絶するはずだから、来夢の性別を疑った?


「ぼくでも触れないのに、兄上がきみをペガサスに同乗させて戻ってきたなら、絶対に男のはずがないっ!!」


 いや。


 断言されても男なんだけど。


 来夢はそう言いたかったが言わなかった。


 言えなかったのだ。


 こちらへ飛ばされる前に起きた出来事を思い出す。


 最近ではほとんど思い出す暇もなかったが、事態は進んでいるということなのだろうか。


 来夢が選んでも選ばなくても。


「どうしてそこで黙り込むんだい? わたしが問いかけたときは、あれだけきっぱり男だと言い返してきただろう?」


 どう言い返すべきかすこし悩んで、来夢は当たり障りのない返答を選んだ。


「あれは……そういうこと知らなかったから。今どれだけ否定しても、そういう病気持ちなら信じてもらえないだろう?」


「まあ普通はそうだろうね」


「だから、男だと言っても信じてもらえないなら、とりあえず口を噤むしかないかなって」


「そういうものなの?」


「ルヴィ」


 兄からたしなめられて若干14歳のプリンセスは不思議そうに首を傾げる。


「男の子にしても女の子にしても、性別を疑われるのって相当ショックでしょう? いくらそういう事情があっても、普通はもっと強情に否定するものではないの?」


「否定しても信じてもらえない場合、否定するだけ疲れるからしない」


「そういうもの?」


「だってどう考えたって俺なんかの言葉より、この国の王子の言葉を周囲は信じるだろう? 男性アレルギー持ちの王子が一緒に帰ってきた。

 その事実だけで周りは俺の性別を疑うはずだ。それでどれだけ俺は男だって言い返してみたって無駄な労力。疲れるからしないよ。誤解したいなら好きに誤解すればいいんだ」


 投げやりにもみえない来夢に第二王子は怪訝そうな顔になる。


 一見して筋道の通った主張に聞こえる。


 だが、その場合、ここで絶対に投げやりにみえるはずで、どこか落ち込んだ様子なのが解せない。


 兄をみたが兄はすこし戸惑ったような顔をして口を開いた。


「きみが男性であることは理解しているよ」


「嘘は言わなくていいよ。その症状が重い場合、自分が1番疑うものだろ?」


「いや。きみが男性であることはきみの世話を任せた侍従から報告を受けたから理解しているよ」


「ちょっと待て。だったらなにか? 俺がひとりで風呂に入れなかった理由って……」


 信じられないと問う声に第一王子は朗らかに笑った。


 それで当たっていたと知る来夢である。


 侍従たちの強硬な態度は来夢の性別を確かめるためだったのだ。


 呆れてものが言えない。


「ただ腑に落ちない点があるとは報告を受けたけれどね」


「腑に落ちない点? なんですか、兄上?」


 不思議そうな弟に兄は肩を竦める。


「風呂の世話をすると言ったら異様なほど抵抗したらしい。同性ならさほどの抵抗はないはずなのに、徹底的に逆らった、と。

 だから、これは疑いが事実かと侍従たちも思ったらしいけれど、彼が諦めてから同性だったと知って解せないと言っていたよ。

 同性ならどうしてあんなにいやがったんだろう? と。顔も赤かったらしいしね」


 3人の視線が来夢に集中する。


 しかし来夢はなにも言わず食事を再開した。


 来夢だって同性相手なら別にさほどの抵抗はなかった。


 学校で倒れるまでは。


 同性ってなんだろうなと来夢は思う。


 なにをもって同性と判断するのか。


 その術が今の来夢にはない。


 やれやれとため息が出た。

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