第3話

 マントを脱いでいた来夢は、慌ててマントを身に纏いフードで顔を隠した。


 家の中では不自然だが姿を見られるわけにはいかないのだ。


 仕方がない。


 やがてアンナやケリーが緊張していると、当然なようにひとりの青年が入ってきた。


 銀髪、銀瞳。


 目鼻立ちの整ったたいそうな美青年だ。


 身分が高いと一目でわかる服装。


 腰にある剣も高価な物だとわかる。


 来夢は警戒してじっと息を殺した。


「「殿下っ!!」」


 ふたりが慌てたようにその場に跪く。


 どうやらそうしないといけないらしいと判断して、来夢も慌てて跪いた。


(デンカ? それってなんだっけ? 耳慣れないような……デンカ、電化、伝家、殿下? 殿下? もしかして……王子?)


 わからないようにマジマジと相手の顔を覗き込む。


「今回の監督官はきみたちらしいね。訊ねたいことがあるんだけれど」


「「はい?」」


 クリスは用件を切り出そうとして、その場に不似合いな格好をした人物がいることに気づいた。


 家の中だというのにマントで身を覆い、フードを深く被って顔を隠している。


 マントを押さえる手に眼をやれば、すこし黄色がかった肌が見えた。


(黄色がかった肌?)


 見たことのない肌の色だった。


「わたしの用件を切り出す前に訊ねるよ。そこにいるのはだれだい?」


 ビクリと来夢の身体が震える。


 アンナもケリーも困ったように顔を見合せて口をつぐむ。


「身体付きも小さそうだし、まだ子供のようだ。どうしてマントで姿を隠しているんだい? ここは家の中だっていうのに」


「あの子はすごく寒がりでして」


「砂漠の夜は答えるらしく、家でもあの格好です」


 ふたりがなんとかごまかそうとする。


 来夢は普通に話せるが、やはり発音が違うらしく、人前では話さないように言われている。


 だから、ここでも口をつぐんでいた。


「そう。でも、わたしは顔がみたいんだ。フードをおろしてくれないかい?」


 そう言われても顔を出せるわけがない。


 そんなことをしたら来夢が、この国に属さない色の持ち主だとはっきりしてしまう。


 スパイだと疑われるのは困るし、万が一大神殿の事件に繋げられても困る。


 答えられずにいると相手がツカツカと近づいてきた。


 来夢はとっさに身を遠ざけようと立ち上がろうとしたが、その動きが逆にフードを乱す結果となった。


 クリスの手がフードを掴んだのと、来夢が立ち上がろうとしてフードが乱れたのが重なって、バサリとフードが落ちる。


 現れたのは眼を疑うほどの完璧な美貌と、異彩を放つ漆黒の髪と瞳をもつ来夢の姿である。


 脅えたように見開かれる黒い瞳を、クリスはじっと凝視した。


「漆黒の髪と瞳……しかも肌の色も見たことのない色だ」


 来夢は逃げ出そうとしたが、右手首をしっかりと握られていて無理だった。


 そもそも来夢は16の少年としては小柄だし、力だって普通の同性と比べたら、ほとんどないに等しい。


 成人している上に鍛えているらしい彼の腕を振り切れるわけもなかった。


「綺麗な少女だね。どこからきたんだい? どうして奴隷に?」


 来夢はできるだけ事を荒立てるまいと思っていた。


 色々突っ込まれては困ることがあるんだし、なるべく逆らうまいとも思っていたのだ。


 だが、この一言は来夢のジレンマに切り込んで、気がつくと叫んでいた。


「俺は男だっ!!」


 自分に言い聞かせるようにそう言われて、クリスはすこし驚いた。


 しかしそう主張する来夢の方が、自分は男なんだと言い聞かせているように思えて、ちょっとだけ笑った。


「間違ったのは悪かったけれど、そんな自信なさげに断言されると、よけいに真実味が薄れるよ?」


「っ」


 グッと詰まった来夢がそっぽを向く。


 つかんでいた手首を引っ張って、クリスは来夢の手を開いてみせた。


 予想外の動きに来夢の身体が強ばる。


「これは……奴隷の手ではないな。シミひとつない。荒れてもいない。水仕事ひとつしたことのない天女のような手だ」


 シミひとつない荒れてもいない手というのは事実である。


 来夢はこれまでろくに家事をしたことがなかった。


 全部母親任せだったし。


 が、ここ1週間ほど風呂に入っていないのである。


 もしかして臭うんじゃないかと、ちょっと身を引こうとした。


「綺麗な手なのに汚れているね。風呂に入っているかい?」


「……水も入れ換えない混浴の風呂には入れない」


「貴族みたいなことを言うね?」


 水に恵まれていて、なおかつその価値を知る貴族たちは、清潔な風呂に入ることをステイタスとしている。


 王子であるクリスにしても、毎日風呂の水は入れ換えられて、しかも個室の大浴場を城に持っている。


 奴隷として暮らしていた来夢の言い分は、どう聞いてもおかしかった。


 奴隷なら広場の大浴場に入ることに抵抗はないからだ。


 それに毎日重労働をこなしているから、どうしても風呂には入る必要に迫られる。


 入れるだけありがたい。


 そう感じるはずだった。


 それが水が入れ換えられないから不衛生。


 混浴の風呂には入れないなんて、どう聞いても奴隷の言い分ではなかった。


 まあこの手を見て本物の奴隷だと思い込むほど、クリスは愚かではないが。


「まあ本物の奴隷かどうかは別にして、今は奴隷として振る舞っているんだから、きみの身柄はわたしが引き取ろう」


「冗談っ」


「何故? わたしは本気だよ?」


「俺はいやだってっ」


 来夢はジタバタと暴れたが、相手は一向に堪えないらしく、手首を捕まえる腕には震えもない。


 ケリーとアンナも予想外の展開に困っているようだった。


「……漆黒の髪」


 クリスがサラリと来夢の細い髪を掻きあげる。


 来夢はちょっとドキリとした。


 この国で漆黒の髪が珍しいことは、アンナやケリーから聞いていたので。


「わたしはこの髪の持ち主を捜していた。きみ以外にもいるとは思えない。その場合、きみを連行する義務がある」


 淡々とした口調だけに怖いものがある。


 来夢は怯えた眼を見開いた。


「このふたりを罪に問われたくはないだろう?」


 クリスの視線がアンナとケリーに向かう。


 大神殿を破壊した来夢を庇ってくれたふたりである。


 そのことでふたりが罪に問われるのはさすがに困る。


 来夢は抵抗をやめた。


 肩を落として立ち尽くす。


「待ってくださいませんか、クリストファー殿下。ライムがいったいなにをしたと申されるのですか?」


 ケリーがなんとか来夢を救い出そうとしてくれる。


 だが、来夢はこれ以上自分に関わってほしくない。


 それがふたりに危害を加えることは明白だったので。


 恩人を自分のために危険な目に遭わせたくないからだ。


 来夢はクリスに手首を掴まれたまま、近くで跪くケリーに視線を向ける。


「ケリーさん。もういいよ」


「でも……」


「今までありがとう。俺みたいな厄介者の世話をしてくれて。この家で過ごしたこと忘れないよ」


「「ライム!!」」


 アンナとケリーが泣きそうな顔をしている。


 たぶん来夢がしたことを思えば、無事に済まないと思っているからだろう。


 来夢も自分がどうなるのか自信はなかったが、別れ際に泣き顔はいやだった。


 無理をしてとびっきりの笑顔を返す。


 そんな来夢にふたりはなにも言えないまま黙り込んで見送った。


 来夢がクリスに連行されていくのを。


 外に出ても護衛らしき者の姿はなかった。


 この人は王子じゃないのかなと、来夢がクリスを見上げる。


 ややあって彼が不思議そうに来夢の瞳を見下ろした。


「きみ……本当に男?」


「……こんな顔でも男だよ。なんで疑われないといけないんだ?」


 ムスッとした来夢にクリスは答えない。


 ただ手首を掴む手に力を込めて、更に不思議そうな顔になった。


「とりあえずきみを宮殿に招待しよう。客人としてね」


「客人? 囚人の間違いじゃないのか?」


「囚人扱いされる覚えでもあるのかい、きみは?」


 瞳を覗き込んで言われ来夢は口をつぐむ。

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