第2話


「果たして運がよかったのか悪かったのか」


 フードを目深に被って顔を隠し、マントで全身を覆った人物がブツブツとぼやく。


 ここは砂漠の中にあるオアシスの国、エルクト王国。


 四方八方を砂漠に囲まれているのに、何故かこの国だけ緑が豊かで水も豊富。


 オアシスの国の名に相応しく道行く旅人たちの憩いの場となっている。


 国の中心には巨大な宮殿があり、対極の位置に大神殿がある。


 その神殿に大きな穴が空いたと話題になったのは、つい最近のことだ。


 天変地異の前触れだとか、いや、神殿に恐れ多くも侵入した盗賊だとか。


 色んな説が飛び交っている。


 そのせいで姿を隠しているのだ。


 キョロキョロと周囲を見回す眼は漆黒。


 それは周囲をみれば、あまりに浮いていた。


 ほとんどの人が金髪だったり茶髪だったり、瞳に至っては青かったり緑だったり。


 漆黒というのはありえない。


 それだけではなく肌も人々は白いのに、この人物は黄色みがかかっている。


 目立ってしかたないので、姿を隠すように匿ってくれている親子に言われていた。


「まあ生命があっただけ儲けものか」


 それは事実なのだが、自分が置かれた現状を思うとため息しか出ない。


 今思い出しても人生最大の強運を使ったようにしか思えないのだから、まあ助かっただけ儲かったと思うべきなのだろう。


 が。


 しかし。


 その結果がこれでは素直に喜べない。


 大神殿はただいま改修の真っ最中で、そこに大穴を空けてしまったのだから、労働力は予定していた以上に必要。


 この国の奴隷たちが大勢駆り出されている。


 自分もそのひとりとして働いているのだ。


 それが1番無難だとはいえ、なんの因果で奴隷なんてしなければいけないのか、天を恨みたい心境だ。


「とはいえ、その奴隷に助けられたのも事実なんだよなあ」


 やれやれとため息が出る。


 あのとき、気絶しているところを発見した奴隷の親子が、とっさに自分を庇ってくれた。


 それから後も同じ奴隷仲間として接することで庇ってくれている。


 だから、文句を言える筋合いじゃない。


 それはわかっている。


 わかってはいるのだが……。


「暑い」


 思わず声がもれる。


 砂漠のど真ん中にある国だけあって暑さは尋常じゃない。


 そのうえに太陽を遮る目的もあるとはいえ、頭から目深にフードを被り、全身をマントで覆っているのだ。


 身体全体が蒸し風呂状態で、服もベッタリ肌に張りつき、気持ち悪くてしかたがない。


 とにかく色を隠せということで、服も分厚い物を着込んでいる。


 マントだって夜はともかく昼には考えられない厚手で、しかも全身を覆うタイプ。


 熱中症になりそうだ。


 これを提案されたときはふしぎに思わなかったが、今は逆に目立つんじゃないかと不安も感じる。


 夜はともかくと指摘したように、昼にこの格好は異常だからだ。


 だが、この国にはカツラとかコンタクト、染め粉の類いはないらしいので、色を変えることはほぼ不可能。


 と、なるとどうしても色を隠したい場合は、こういう変装しかないのも事実だ。


「金髪に染めてりゃまだマシだったのかな?」


 呟きながら水道から出てきた水を水瓶に汲む。


 水は豊富で下水道なども整備されているが、当然ながら大神殿を改修中である工事現場にはない。


 そこへ飲み水を運ぶことが仕事だ。


 力仕事だが、これぐらいしかできる仕事がなかったのだからしかたがない。


 それにこの国で水道を自宅に整備しているのは、金持ちのステイタスらしいので、当然だが下々のものにはないのだ。


 広場にある水道から生活に必要な水を汲んでくるのが一般的だった。


 風呂も広場にある大浴場が一般に普及している入浴法である。


 ここにきてそろそろ1週間ほどになるが、まだ風呂には入っていない。


 何故って男女の区別がないうえに、水の入れ替えなどもないと聞いて、どうしても入る気にならなかったからだ。


 昼にこれだけ汗を掻くのだから、本当は風呂に入りたいけれど。


「とにかく大神殿の騒ぎが収まるまでは、おとなしくしてないとな」


 あらぬ容疑と言い切れないところが負い目と言えば負い目だが。


 大神殿に穴をあけた者。


 そう指摘されたら否定できない。


 それが現実なのだから。





 同じ頃、大神殿に大きな穴が空いた件で、宮殿から第1王子クリストファーがやってきていた。


 銀髪、銀瞳の美青年で歳は22歳。


 母親似と言われる美貌を誇っているが未だ独身。


 花嫁候補には事欠かないが、まだ婚約者を決めようとしない。


 フラフラと付き合う相手を代えて遊んでいる。


 それが周囲の印象だった。


「大きな穴?」


 天井からぽっかり空いた穴を見上げてクリスが呟く。


 大きな穴というから、もっと大きな穴を想像していたが、想像していたよりずっと小さな穴だった。


 空から岩でも落ちてきたら、もしかしたら空くかも? ていどの穴だ。


 大人がひとり通ることも難しいだろう。


「隕石でも落ちてきたかな?」


 不吉の象徴と言われる現象を口にしてクリスは苦笑する。


 続く神官たちの反応が容易に想像できて。


「冗談でもそのようなことをおっしゃらないでください、殿下」


「隕石が大神殿に落ちるなど不吉の象徴。噂にでもなったら……」


「わかっているさ。本当に隕石が落ちたのなら、今頃、神殿はもっと大騒ぎを起こしていただろうからね。で? 不審人物がいたらしいというのは本当かい?」


 振り向いて笑うクリスにそういわれ、大神官が進み出た。


「これを……」


 差し出されたのは白い紙に包まれた髪のようだった。


 数本だ。


 これがどうしたというのだろう?


 人の髪と思うと気持ちが悪いが興味が勝って持ち上げてみる。


「眼の錯覚じゃない? 漆黒の髪の毛?」


 細く柔らかな髪質だが、どう光を当てて透かしてみても、色は漆黒以外にはみえない。


「漆黒の髪の持ち主なんてこの国にいたかな?」


「……わたしの知るところではいません」


「だろうね。わたしも知らない。異国にいるらしいというのは聞いているけれど、行き来が可能な距離の国じゃないし」


 と、なるとこの髪はいったいどこからきたのだろう?


「この髪……いったいどこで見つけたんだい?」


 このクリスの問いに大神官はさりげなく穴の下を指さした。


「え? ここ?」


 クリスが驚いた顔になる。


「はい。大音響が響いて駆けつけた後、見つけました。この含んにパラパラと落ちている髪を」


「ふうん。それは不可解だね」


 空からなにかが降ってきて大神殿に穴を空けた。


 その現場に落ちていた数本の漆黒の髪。


 ミステリーだなとクリスは思う。


 神官たちが不審がるのもわかる気がする。


 神官たちはいやがるだろうが、落ちていたのが岩の残骸ならば、まだ納得のしようもあるのだ。


 岩が降ってきて穴を空けたんだな、と。


 が、残っていたのが髪となると、降ってきたのは漆黒の髪の人間、ということになってしまう。


 その状態で死体がないというのは、どう考えても常識はずれな現実だ。


 だいたい神官たちには言えないが、人間が空から降ってくるなんてありえない。


 万が一ありえたとしても、人間が降ってきたくらいで穴が空くか?


 なんだか不可思議なことばかりだ。


 降ってきたのが本当に人間なら、神殿にぶつかって降ってきた人間のほうが潰れそうなのに……死体はなかった。


 どう判断するべきか?


「それにしてもふしぎな話だね。神殿に穴が空いたのは昼間だと聞いてる。その状態でなにかが空から降ってくるところを、だれもみていないというのも……奇妙だね」


 これも降ってきたのが人間なら仕方がないのかもしれない。


 どの高さから降ってきたのか知らないが、空から落ちてくる人間なんて視界に止めることのできる者などそうそういないだろうから。


「とりあえずご報告は致しました。神殿に穴を空けた不届き者をすぐにでも捕らえて頂きたい」


「大神官。空から本当に降ってきたのだとしたら、天の御使いということも考えられるよ?」


「天の御使いが神殿に穴を空けるなどありえるわけが……」


「そうかい? 天の使いが降り立つ地が神殿である。これはごく当たり前に思えるけれどね?」


 皮肉を言われた神官たちは不安そうに顔を見合わせた。


「まだ事実はなにもわかっていない。先走らないことだ」


「は……」


「本当に天の御使いなら、きみたちは天への反逆者ということになってしまう。それは神官としては許されざることじゃないのかな?」


「殿下」


「不用意にこの噂を広めないこと。いいね?」


「承知致しました」


 神官としての名誉がかかっていたら、だれも拒否はできない。


 穏やかでありながら、決して逆らうことを許さない第1王子に、神官たちは頭を垂れるのだった。





「あっつー」


 げっそり呟きながら家に戻ると、ふたりはもう戻っていたらしかった。


 笑って出迎えてくれる。


「ライムは口を開くと暑いばかりだな」


「ケリー。そう言うものじゃないわ。仕方がないでしょう? 昼間にあの格好ではそうとう暑いはずだから」


 奴隷としての身分は高いらしく、大神殿の工事を担当している奴隷たちのまとめ役として、この家を与えられているらしい親子。


 息子のケリーと母親のアンナだ。


 来夢は幸運だったと思う。


 大神殿に落ちてきた来夢を最初に見つけたのが、この親子だったのだ。


 大神殿に穴を空けて落ちてきた来夢を見つけたふたりは、とっさの判断で来夢を布でくるみ、その場から連れ去ってくれた。


 でなければ今頃、来夢は処刑されていたかもしれない。


 ただ外見で少女だと思っていたらしく、来夢が口を開き男だとわかると、アンナは驚きケリーはガッカリしていた。


 これには来夢も苦笑するしかなかったが。


 助けられたことを知り名を訊ねられた来夢はこう名乗った。


「来栖来夢」と。


 するとふたりは意外そうに呟いたものだ。


「クルス? 悪い冗談はやめてちょうだい」


「それはこの世界の名だ。クルスを名乗れる者など存在しない」


 そい驚いたように言っていた。


 来夢は驚き、とりあえず自分が名字を名乗るのはマズイらしいと理解した。


 何故なら当然のようにクルスを名乗った来夢が、あまりに人間離れした美貌の持ち主だったので、アンナもケリーもしばらく来夢を天の御使いだと信じていたのだ。


 大神殿に落ちてきたことも、その誤解に拍車をかけた。


 空から大神殿に落ちてきたにも関わらず、来夢が無事だったことも確信を深め、来夢はその誤解を解くのにかなり苦労したものだ。


 それから来夢はただ「来夢」とだけ名乗っている。


 来栖と名乗ったことは内緒にしてほしいと、ふたりに頼み込んでいた。


 そうして1週間。


 このまま何事もなく過ごせればいいのだがと来夢は不安を胸に抱く。


 奴隷としては豪華だが、日本の食事に慣れた来夢には、質素で味気ない食事を食べているときに、ざわざわてざわめきが広がってきた。

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