28:自分の価値

 センター試験の帰り道、帰りの電車に揺られる梨央奈はあまり機嫌がよくなかった。

 これまで休みもイベントも返上して勉強してきた成果は、十分に発揮出来たはずだ。しかし、あれも駄目だったのではないか、これも駄目だったのではないかと、不安が次々に首をもたげる。


 更には先ほどから、ジージージージーと引っ切りなしにスマホが揺れていた。塾から怒濤の勢いでLINEが入っているのだ。


 問題用紙を持って塾にすぐに来い。琥太郎を見つけたら首根っこ掴まえてでも引きずって来い――そんな内容を、言葉を換えて何度も何度も何度も繰り返し送ってくる。


 未だに電車に慣れないため、緊張しながら駅を確認し、ホームに降りる。地元の駅だと再三確認した梨央奈は、無意識に制服の上からお腹を撫でた。制服の下には、お守りのようにジュラピケの腹巻きを装備してある。


 階段を上っていると、人混みの中でも一際目立つ男子を見つける。


(……コタロー君だ)


 期せずして同じ――三年前の受験日。

 あの日からずっと、琥太郎は梨央奈にとって特別な人だった。


 今では苦い思い出ばかり浮かぶが、梨央奈にとってはずっと初恋の人だ。たとえ万里を好きになっていても、一生消せない特別の中にいて、誰であっても消すことは出来ない。初恋というのはきっと、そういうもの。


(……お友達かな)


 階段を上り終えた通路で、琥太郎は他校の女生徒三人と話していた。あの首根っこを掴んで塾まで引きずることなんか、梨央奈には到底出来そうにない。


(これは申し訳無いけど、見ない振りしよ……)


 先生達には自力で連絡を取ってもらうしかない。


 塾では、用事があれば話すが、互いに進んで異性に話しかけるタイプではない。

 同じ目的地へ行くからといって「一緒に行こう」なんて声をかけるほど、仲が良いとも言えない。


 そのため「琥太郎が友人と話しているなら話しかけなくて済む」と、梨央奈はほっとして通り抜けようとした。


 しかし、近付けば近付くだけ、琥太郎が女子に囲まれ、困っていることに気付く。


 梨央奈は悩んだ。

 かなり悩んだ。


 そんなに親しくもない人間に割り込まれたって、お節介でしかないだろう。迷惑に思われるかもしれない。梨央奈は負けず嫌いなくせに、小心者のびびりだった。


(けど多分、清宮さんなら、多分……)


『梨央奈なら出来るやろ』


 親でも先生でもない大人に認められるという経験は、梨央奈にとって初めてだった。だからこそ、宝物のような言葉になった。


 梨央奈は自分を奮い立てると、足を踏み出した。


「――コタロー君?」


 話しかけたが、若干震えてしまった。恥ずかしさに、手汗が滲む。

 振り向いた琥太郎と他校の生徒――白石らは、訝しげな表情をしていたが、琥太郎は相手が梨央奈だとわかると、明らかに表情を緩めた。


(そんな風に、信頼してもらえてたんや……)


 苦いだけで終えた初恋だったが、こんな風に、違うかたちで人の心に残ることも出来るんだなと、梨央奈は勇気をもらった。


「……先生から、急げってLINEめっちゃきてるんやけど、大丈夫?」

「吉岡さんも呼ばれてるの?」

「うん。うち迎え来るから、一緒に乗る?」

「お邪魔していい? ありがとう」


 迎えなど来ていないが、嘘も方便だ。

 琥太郎が笑顔で近付いてくる。声をかけてよかった。ミッション成功とばかりに安堵していると、白石が琥太郎の鞄を掴んだ。

 驚いて、琥太郎が白石を振り返る。白石は綺麗な顔で、梨央奈をじろじろと見ていた。


「彼女?」

「……違いますけど」

「だよねぇ」


(鼻で笑われた)


 梨央奈の腹で、カッと怒りが湧く。

 琥太郎の隣に相応しくないと、外見で判断されたのだ。


 相手がどれだけ可愛かろうが、自分がどれだけモブかろうが、相手に見下される筋合いはない。


(ああ、そうか。そうなんだな……)


 梨央奈は琥太郎の隣にいるのに、違う人物のことを考えていた。


 万里の親しい相手がどれほど綺麗でも、その女性も――そして梨央奈自身も、自分を見下さなくていいのだ。


(だって、清宮さんはずっと、私を見下したことなんてなかった)


「――ちょっと誰か思い出せないんだけど、俺、好きな人いるから」

「え……?」

「誤解されるようなことしたくないんだ。ごめんね」


 梨央奈が考え込んでいる間に、いつの間にか話が大きく動いていたようだ。

 会話の流れから、知り合いでもなかったのかと驚いている梨央奈に、琥太郎が振り返る。


「――吉岡さん、待たせてごめん」


 琥太郎が爽やかな笑顔を浮かべる。


(うわ、やっぱ格好いい……)


 今まで万里のことでいっぱいだった頭が、ガツーンと殴られる。

 多分、梨央奈の好みの顔は、万里よりも琥太郎なのだ。好みの暴力に虚無の精神で耐えつつ、梨央奈は琥太郎と連れ立って駅の改札へと向かった。


「迎えが来る」というのは方便だったため、琥太郎と二人で塾まで歩いて行こうとしていると、改札で見慣れた顔を見つけた。


「あ」


 周りの人間が全員、その男を見ているようだった。

 外でこの男を見ることがほとんどなかったため忘れていたが、本当に、腹が立つほど目立つ容姿をしていることを思い出す。


 両手をポケットにつっこんで、なにをするでもなく人の流れを見ていた万里が、梨央奈に気付いて顔を綻ばせる。

 その笑顔にぎょっとしたのは梨央奈だけではない。周りで万里を盗み見ていた人間も、眼球が落ちんばかりに目を見開いている。


 しかしとうの万里は周りの視線など全く気にならないらしく、梨央奈の方へ歩き出し――顔を顰めた。


「……オツカレー」


「お、つかれ……様です……」


 もしかしたら万里はセンター試験を心配し、LINEを入れてくれていたのかもしれない。

 塾からの一方的なLINEに辟易し、万里からの連絡に気付けなかった梨央奈は、顔を引きつらせた。

 万里も珍しいことに、あまり機嫌がよくなさそうだ。


「まさかセンター帰りに男引っかけてくるとはね」

「清宮さん、そういうこと言うのやめて」


(夏帆や心でさえ知らないコタロー君とのことを、なんでも知っているくせに)


 琥太郎に気付かれないよう、ギリギリのところでからかおうとする万里を、梨央奈が険のある声で止めた。


 万里は面白くなさそうに、表情を殺す。小さな変化でも、なんとなくわかるようになってきた。


 無言の万里から鞄を奪われそうになり、一旦は自分で持つと主張したが、ここで駄々をこねると万里がへそを曲げるかもしれない。梨央奈は渋々通学鞄を渡す。琥太郎の前で万里と揉めたくなかった。


 梨央奈が折れたことで機嫌が直ったのか、万里はいつものように梨央奈にくっついてきた。腰に腕を回され、頭に頭を乗せられる。


「帰るやろ? 迎え来た」

「迎えは大変ありがたいです。塾に送ってくれます?」

「は?」

「コタロー君も」

「はあ?」


 万里は面白くなさそうな声を出し、梨央奈を抱いたままじろじろと琥太郎を見た。


(……もう好きやないって言ってるんやから、ほんとやめてほしい)


 以前煙草の件は説明したはずだが、過保護モードが発動しているらしい万里に、梨央奈は心底気まずい思いをしていた。


 そして、じろじろ琥太郎を見つめた挙げ句――


「顔、やっぱめちゃくちゃ普通やな」


 そんなことをのたまった万里の口を、顎を持ち上げることによって、梨央奈は物理的に塞いだ。




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