29:戦友
「梨央奈ん家にいるから、帰りLINEしろよ」
当然のように吉岡家に帰って行く万里の車を見送り、梨央奈と琥太郎は塾へ入った。大歓迎を受けたのは問題用紙だけで、先生達が空き教室の机の周りに集まって問題用紙を解いている間、梨央奈と琥太郎は隅の席に座ってぼうとしていた。
「彼氏?」
「違う」
咄嗟の否定は、思ったよりも力が入ってしまった。
「久世先生に送ってもらうの断ってたの、もしかしてあの人が迎えに来るようになったから?」
「……」
たったあれだけしか見せていないのに、琥太郎はそんなことまで瞬時に見抜いた。もしかしたら、夏に吉岡家で会ったのが彼だと覚えているのかもしれない。
「大人っぽい人やったね」
「割と子どもっぽいんやけどね」
時折子どもっぽい面も見せるが、万里は基本的に梨央奈よりもずっと大人だ。
けれど、万里を自分と全然違う世界の人間として扱いたくなくて――そう扱ってしまえばそうなってしまうことに気付いたため――梨央奈は強がった。
梨央奈の強がりなど知りもしない琥太郎は少し黙ると、苦笑を浮かべた。そして優しい声で名前を呼ばれる。
「吉岡さん」
「?」
「さっき言ってた、俺の好きな人ってのもね――年上なんだ」
梨央奈は一言だって、万里を好きだなんて、言っていない。
なのに当然のように琥太郎に言われ、観念した。
「同じやね」
――万里が好き。
そう認める言葉を、梨央奈は初めて口にした。
口にしたことで、本当に自分は万里を好いているんだな、なんて。変な実感が湧く。
「コタロー君は、怖くない? 年上」
高校二年生のクリスマス。あれほど琥太郎の好きな人が気になったというのに、彼本人から好きな人が年上だと聞かされても、何も気持ちを動かされなかった。
「吉岡さんは怖いの?」
「……怖くなくはない」
梨央奈がびびっているところは実際そこではなかったが、せめて年が同じならと思わないでもなかった。同じ年なら、今よりもずっと接点も多かったかもしれない。
梨央奈の心細さが声から伝わってしまったのか、琥太郎は「んー」と唸ると、真剣に答えてくれた。
「怖くても嫌でも、何をどれだけ頑張っても、俺が年下なことだけは変えられないからね。頑張るところはそこじゃないかなって」
驚くほどに前向きで、建設的な意見だった。
「ま、俺はね」
しかも、うだうだと恋に戸惑っているだけの梨央奈とは違って、もう動き出していることも窺える。全面的に、何もかもに負けている。
「俺はあの歳のあの人が好きだし、この歳の俺を好きになってもらいたいから、必死なだけ」
眩しくて、梨央奈は思わず目を細めた。
(好きじゃなくなってからのほうが、コタロー君のいいところを見つけてる気がする)
梨央奈は彼を「西君」と呼び始める前に「コタロー君」と呼び始めてしまった。一人の男の子として見るよりもずっと、「みんなのコタロー君」として見る方が結局、楽だったからだ。
自分を知り、出来る精一杯でぶつかろうとしている琥太郎は、Instagramの中で綺麗に整えられた写真よりも、もっとずっと格好良かった。
「吉岡さんは?」
「……己の不甲斐なさに落ち込んでいます」
琥太郎の頑張りに比べれば、自分のなんと情けないことか。
「周りの人が美人過ぎて……自信がなくて」
「あはは」
琥太郎が朗らかに笑ったので、梨央奈は首を傾げて琥太郎を見る。
「それは吉岡さんが頑張る頑張らないには、関係ないでしょ」
あまりにもばっさりと言い切られ、梨央奈はサーッ……と風化した。
「あ、ごめんね?」
眉毛を下げ、申し訳なさそうな表情を作った琥太郎が、固まってしまっている梨央奈に謝る。
(その通りすぎた……そして私は本当に、コタロー君のこと何にも知らないで好きになってたんやな……)
こんなに清々しく切られるとは思ってもいなかった。
そして、またもや突きつけられた自分の弱さに落ち込んでいると、琥太郎が「あっ」と言ってスマホを触った。
「ごめんね。ちょっとLINE」
「どうぞどうぞ」
琥太郎がスマホを取り出し、LINEを開く。
つい目に入ってしまった琥太郎の液晶画面に、梨央奈は椅子から転げ落ちそうなほど驚いた。
「なっ……!? んで、その人が!?」
琥太郎のLINEに貼り付けられていた写真に、あのピンクラベンダー色の髪をした美女が写っていたのだ。
「え? なに? ――え? まさか『周りにいる美人』って、ひーちゃんのこと?」
「こ、コタロー君が好きな人、その人なん!?」
ものすごい勢いで交錯する情報をなんとか整理すると、どうやら彼女は
一二美を初めて見た時、どこかで見たことがある顔だと思ったのだが――どうやら琥太郎のInstagramにちらりと写っているのを見たことがあったようだ。
――そして、そのInstagramの投稿者が、琥太郎の好きな人らしい。
(つまり、みんなが好きな「コタロー君」は……コタロー君が好きな人と一緒にいる姿、ってことやんね……)
そんなの、誰も勝てるはずがない。負け確定が完凸していて、思わず笑ってしまった。
「うーん。普段写真撮らない人だったんなら、ひーちゃんが無理矢理撮ったとかもありそうだけどね。ネロみたいな人だから」
「パトラッシュ?」
「ううん。ローマ皇帝のほう」
とんだ暴君ではないか。
唖然とする梨央奈に、琥太郎が笑う。
「どっちにしろ、気になるなら吉岡さんが聞かなきゃね」
にこにこと笑顔で突き放す琥太郎に、梨央奈は頬を引きつらせて、項垂れる。
――琥太郎を好きになった時、頑張ろうという気持ちすら湧かなかった。
遠くから見て、元気を貰うだけで、満足する恋だった。
恋の全てを頑張らねばならないとは思わないが――あの星空の下のような瞬間をまた万里と過ごしたいのなら、梨央奈も動かなければならない。
「コタロー君はずっと頑張ってるの?」
梨央奈の質問に、琥太郎は笑みを浮かべるだけだった。けれどだからこそ、彼の頑張りが伝わって来て、梨央奈は眉を下げた。
「すごすぎて尊敬する」
「ありがとう。……とはいえ、受験だけどね」
「そうやね」
受験が終わったら――いつかどこかで聞いたような言葉を、梨央奈も胸で呟いた。
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