26:かがやけり、ほがらかに 2
「梨央奈」
どのピザの切れ端が一番チーズが載っているかで盛り上がっていた梨央奈は、万里に顔を向けた。
「どっちがい?」
先ほどまで何も持っていなかったのに、万里は自分の顔の高さに二つの小さな紙袋を浮かせている。
梨央奈はぽかんとして、紙袋を二つ見た。
二つの紙袋には英語のロゴが書かれていた。どちらの名前も、全く見覚えがない。ただ、その二つが近所のスーパーマーケットで簡単に手に入るような物ではないことは、はっきりと伝わって来た。
同じくピザを見ていたはずの心と夏帆が、小さな声できゃあきゃあと騒ぎ出す。梨央奈は顔を赤くして、眉根に皺を寄せた。
「……右」
「はい」
万里がその場で紙袋を差し出す。「取りに来い」というメッセージに、梨央奈はよろよろと立ち上がり、万里のもとまで歩いた。夏帆と心に見られているのが、とてつもなく恥ずかしい。
「いい子の梨央奈は、なんて言うん?」
「……ありがとう、ございますっ」
からかうような言い方をするサンタに、梨央奈はつい強めの口調で言い返す。そんな梨央奈に万里は心底楽しそうに笑って、プレゼントを差し出した。
「ありがとう……」
受け取った瞬間、思わずもう一度礼を口にしていた。万里にしか聞こえないぐらいの小さな声だった。万里は口角を上げると背を曲げ、梨央奈の耳元で「メリークリスマス」と言う。
梨央奈は紙袋を持っていない方の手で耳を覆い、ハスキーな声の侵入を防いだ。そんな梨央奈をにやにやと至近距離で見る万里の顔は、恋のフィルターもあいまって、もの凄く格好良くて困る。
嬉しいんだか歯痒いんだかよくわからない感情で、梨央奈は口を開いた。
「……そっちは」
「?」
「これから、誰かにあげに行くんですか?」
聞きたくなんてなかったのに、聞かずにはいられなかった。ふて腐れたような声色になってしまったのが、心底悔しい。
万里の右手――梨央奈から見て左側――に握られたままの、梨央奈に選ばれなかったプレゼント。これからそれを渡しに行く相手が、クリスマスに万里が過ごしたい女性なのだろうか。
梨央奈が知らないブランドのロゴも、きっとその女性は知っているに違いない。こういうものが似合う、大人な女性に会いにいく万里を想像して、しょんぼりと気持ちが萎む。
「これ?」
左手に持っていた紙袋を見ていた万里が、梨央奈を見る。俯きがちの梨央奈を見て、ぱちぱちと瞬いた万里は、口元を綻ばせる。
「これは、二月七日まで俺んとこでいい子に留守番」
梨央奈は反射的に顔を上げた。
二月七日は、梨央奈の誕生日である。
「梨央奈もいい子に受験、頑張ろうな」
冬になっても大好きな牡蠣も焼けず、クリスマスも家で勉強し、年始から共通テストを受けねばならない梨央奈は、冬になんの楽しみもなかった。
なのに―― 一瞬にして、憂鬱が全て吹き飛んだ。
二月七日まで、ありとあらゆるものを頑張れる気がする。
梨央奈の顔が瞬く間に輝いたのを見た万里が、ふっと笑う。長い指で、梨央奈の頬をつまむ。
「ママさん、夜には帰るっつってたから。それまで誰が来てもドア開けんなよ」
「また過保護……」
「そら、大事なもんは大切にするやろ」
唇をぎゅっと絞って、眉根に皺を寄せる。そうでもしないと、顔面が崩壊してしまいそうなほど、にやけてしまいそうだった。
「心、夏帆。またな」
微妙な顔をする梨央奈越しに、万里が夏帆と心に手を振った。
出来る限りこちらの会話を聞かないように、後ろでそわそわしていた夏帆と心が、万里に手を振り返す。
「! はーい!」
「清宮さんもぉ、またあ」
最後に梨央奈の頭をくしゃりと撫でて、万里は玄関から出て行った。泰輝はすでに外で待っていたらしい。しばらくして聞き慣れたエンジン音が聞こえると、そのまま音は遠ざかっていった。
紙袋を持った梨央奈が、眉根を寄せて夏帆と心のもとに戻る。
二人は、梨央奈をからかうと反発してしまうことを知っているためか、にこにこ、にこにこと、笑顔で見ている。
「……貰った」
なんとか梨央奈がそれだけ言うと、夏帆と心は「待て」を解除された犬のように、きゃっきゃと話し始める。
「見てた見てた」
「開けてみようよぉ」
紙袋を留めてあるシールを慎重に剥ぐと、中には不織布で包まれたプレゼントが入っていた。
リボンを解き、品物を取り出す。硬い紙箱に覆われた中身を、おもむろに取り出す。
「わぁ! 可愛い! 何? クリーム?」
「それ、数量限定のスクラブ洗顔だよ!
中から出て来たのは、可愛らしいすりガラスの小瓶に入ったスキンケア用品だった。心の口ぶりからして、有名なコスメブランドの商品のようだ。
「……可愛い」
可愛くて、大人っぽくて、驚いた。
(私は清宮さんから――こんな素敵なのが似合うって、思われてるん……?)
嬉しくて、誇らしくて、胸がいっぱいになる。また泣きそうになって、梨央奈は貰った小瓶をぎゅっと胸に抱いた。
そんな梨央奈を、夏帆と心が左右からドンッドンッと肩で押す。梨央奈も押し返しているうちに涙が引っ込んで、気の抜けたシャンパンと、冷えたピザを、三人でゲラゲラ笑いながら食べた。
三人で好きなだけ食べて飲んで、母が帰ってきて慌ててリビングを片付けて、お風呂に入って、二人分の布団を敷いて、部屋を真っ暗にして布団に入った頃――梨央奈はようやく、自分が何も万里にプレゼントを返していないことに気付いた。
慌ててスマホを取り出し、LINE画面を開く。日付はもう変わっているが、きっと万里は起きているだろうとメッセージを送った。
【 Liona / 清宮さん 】
【 Liona / どうしよう 】
【 Liona / 私プレゼントない 】
スマホで文字を打つのが苦手な万里の返事は遅い。
けれど、待っている時間は全く苦にならなかった。
【 清宮 万里 / 受験終わったら貰うからいい 】
【 Liona / 高いのはやめてくださいね 】
【 清宮 万里 / 梨央奈次第 】
梨央奈はそれに、ちいさくてかわいい動物が真顔になっているスタンプを送った。
LINEの画面に写真が送られてくる。見知らぬ部屋で日本酒の瓶を抱いて寝る、泰輝の姿だった。自撮りをしようとしたらしく、万里の頭の先も見えるが、全然入っていない。下手くそすぎる。そして、他の人間はいないようだった。
(……これ、清宮さんの家かな)
一度も見たことも、行ったこともない万里の部屋を見て、梨央奈はドキドキした。いつも万里が見せてくれる顔以外を垣間見た気がして、眠気が吹き飛ぶ。
(いいな、泰ちゃん)
最高に楽しい高校三年生のクリスマスを過ごしたはずなのに、そうも思ってしまう。梨央奈は、布団で眠る心と夏帆にほんの僅かな罪悪感を感じつつ、スマホを消して、布団に潜り込んだ。
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