24:ごめんなさいの朝

 とぼとぼと泰輝の部屋に戻ってきた万里を見て、泰輝は「あー……」とばつが悪そうな顔をした。


「……なんか、あった?」


 泰輝の部屋に敷かれた客用布団の上に、万里がばふんと横になる。伸ばした足は、和式布団からゆうにはみ出る。

 お値段以上の量販店で買ったふかふかのホテル枕に顔を押し付けて、ゆうに一分。沈黙が間延びし始めた頃、万里はようやっと口を開いた。


「……梨央奈に好きな男がいた……」

「へえ」

「軽……」

「って言ってもなあ」


 泰輝はぽりぽりと頭を掻くと、胡座をかいて体を揺らす。


「そんで?」

「男の落とし方聞かれた」

「へえ」

「ちなみに、好きな男は、俺やないって」

「あー……」


 うーん。と泰輝が頭を抱えるのを、気配で察した。


「っていうか、あれは俺だろ……。俺以外の誰だよ……何言ってんだよあいつ……」

「『あいつ』って。俺の妹だからな」

「知るかよ……」


 万里はもの凄くショックを受けていた。


『――男の落とし方、教えてくれるって言ってたの、まだ有効ですか?』


 男の落とし方を教えろと言ってきた梨央奈は、新しく好きな男が出来たと言った。


『清宮さんが相手だった場合は、何したらいいんですか!』


 喜びも束の間、見事に好きな相手ではないと否定された万里は、気付けば本心を伝えていた。


『俺なら、手でも握って、好きって言やぁ、いんじゃないの』


 梨央奈にしてもらいたいことを、正直に。


 しかし万里は、すぐさま自分の発言を撤回した。


『嘘。俺なら街中でフラッシュモブやられて、チューリップ百本で出来た花束渡されたい』


 もし梨央奈が他の男の手を握って、好きだなんて言ってしまっては、悔やんでも悔やみきれない。


 結果、一瞬で嘘だとばれた上に、培っていた信頼まで失ってしまった。梨央奈からの相談にはこれまで年長者として、信頼のおける男として出来る限り誠実に答えてきただけに、彼女の失望は気鬱に拍車をかけた。


 ――以前にも梨央奈には好きな男がいた。


 その時の梨央奈は恋の全てを諦め、達観しているように見えた。自分が恋の中心にいる自覚がなく、人の恋をそばから見ているような――有り体に言えば、恋に恋をしているようであった。


 なのに、今度の男は、梨央奈から動こうとしている。


 手を伸ばす恋として、自分の恋という実感を持って、梨央奈は動き出そうとしていた。


(なんだそれ……)


 琥太郎とは比べるまでも無く、やばい状況である。

 梨央奈が他の男の腕に、今日みたいにしがみつく様を想像する。


 喉の下が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。


 枕に顔を埋めたまま、万里は自分の髪を手で掴む。


「……まじで無理。考えたくない。そいつ絶対、火の熾し方も知らんし、牡蠣の開け方も知らんし、梨央奈の好きなタイミングで網の交換も出来んくせに」


 万里にとって特別な空間を、梨央奈と何一つ共有してもいない男を見下していると、泰輝が「そう?」と万里に言った。


「火の熾し方くらい、知ってるかもよ」

「……は?」

「それに、網の交換のタイミングなんて、何回か一緒にやったら誰でも覚えるやろ」

「――何が言いてえの?」


 枕から顔を上げ、万里は敷き布団の上に座った。自分のベッドに座っていた泰輝は足の裏を合わせ、その足を両手で持っている。


「清のいる位置は、別にいつまでも特別なものやないってこと」


 心底驚いて固まる万里を見て、泰輝は「俺、シスコンになってってるかも……」と小さくこぼした




***




 翌朝――梨央奈は朝起きて一番に、昨夜のことを思い出した。


「……最悪」


 変なかたちで好きな人がいることがバレてしまった。更に、いつもならちょっと怒って流して終わり、というようなノリだったのに、完全にぶち切れてしまった。


「いつもの清宮さんの冗談やったのに……」


 あれでは、万里にからかわれたことがもの凄く嫌で、意味のあることだったと伝えているようなものだ。


「……どうしようかなぁ……」


 いつも通りなら、万里はまだこの家にいる。昼過ぎに万里が帰るまでに、なんとか昨日理不尽に怒ってしまったことを、それとなく、さり気なく、いい感じに謝りたい。

 ついでに、梨央奈の気持ちがバレていないかを探らねばならない。


「……出来るわけがない」


 自分がどれほど、さり気なくとか、探るとか、そういうことと相性が悪いか――梨央奈は悲しいほどに知っていた。悲しみの涙を流しつつ、部屋に朝日を取り入れるためとぼとぼと窓際に移動し、カーテンを開ける。


「……」


 カーテンを開けた先は、庭だ。

 その庭で、朝も早くから、額にタオルを巻いて動いている男がいた。


「――清宮さん?」


 カラカラカラ、と窓を開けて、庭にいる人物を呼んだ。

 もうしばらく使わないからと、倉庫の奥にしまい込んでいた梨央奈のバーベキューセットが、庭に並べられている。

 初めて会った時は炭の置き方も知らなかったのに、万里はもう一人でバーベキューセットをセッティングできるようになっていた。


「梨央奈、牡蠣どんくらい食いたい?」


 それが万里の「ごめんなさい」だと、気付かない梨央奈ではない。

 梨央奈もまた「ごめんなさい」の代わりに、大きな声と笑顔で返事をした。


「――たっくさんっ!」


 窓から身を乗り出して返事をした梨央奈に、万里がくしゃっと笑う。梨央奈はその表情を見て、固まった。


(……清宮さんって、こんな顔してたっけ)


 元々美しい人だった。それが、朝日に照らされているせいか、より綺麗に見える。それに、とても柔らかい表情をするようにもなった。


(元々、温和な人やったし、冷たくされたことは無いけど……)


 すごく、優しく、丁寧に、大事にしてもらっている。

 それだけはしっかりと伝わってきた。


 梨央奈はやっぱり、きちんと「ごめんなさい」を言おうと、自分の部屋のドアを勢いよく開けた。




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