16:重ねる距離
「なんで隠してんの」
「い、いやだって」
「俺が、反対すると思った?」
万里にとって、梨央奈は友人の妹だ。
冬は一緒に牡蠣を焼いて食べるし、頻繁に泊まるのを許してもらっているし、夕食にも当然のように招かれるが――それ以上でもそれ以下でもない。
だから、反対なんてする
「いや、反対まではされないとは思ってますけど……」
梨央奈はもじもじと両手を腹の前で弄ぶ。
その仕草と、照れたような声色に、万里は喉が焼けるような痛みを感じた。
自分はこれほどショックを受けているのに。梨央奈との歴然とした温度差に打ちのめされる。
「元々決めてたことなんですけど……でも、恥ずかしいやん」
言わないでって言ってたのにぃ。と、梨央奈は両手で顔を覆って、壁に寄りかかった。
その仕草のあまりの可愛さに、毒気を抜かれた。腹に湧いていた苛立ちが静まる。両手で覆っても隠せていない真っ赤な梨央奈の顔を見ながら、万里も腕を組み、壁に寄りかかった。
万里が真似をしたことに、梨央奈はまた目くじらを立てる。指の隙間から、睨み付けるように片目を覗かせ、万里に噛みつく。
「だってまだ、入れるかもわかんないし。合格したらさすがに言うけど、なんか改めてお世話になりますとか、恥ずかしいし……」
「……?」
「?」
「??」
万里が首を傾げていると、梨央奈は両手を顔の前から外し、涙目で叫んだ。
「き、清宮さん達と同じ大学受けるって、泰ちゃんに聞いたんやないんですか!?」
全く発想になかった展開に、万里は目を見開く。
真っ赤な顔をしている梨央奈にきちんと証言させるため、万里は口を開いた。
「広島の大学行くんじゃねえの?」
「広島あっ?!」
なんだそれと言わんばかりの顔に、本当に驚いていることが伝わってくる。
自分が何かを勘違いしていたことに気付き、万里は体から力が抜けそうなほどほっとした。そして、梨央奈が自分と同じ大学を受けようとしているという事実に、じわりじわりと喜びが膨らんでくる。
「広島には、大学生になったら行きますけど……」
困惑顔を浮かべた梨央奈に、万里はピンときた。
「……それってもしかして、宮城も?」
「行きます」
即答する梨央奈に、万里は体を震わせて笑う。
広島と宮城といえば言わずもがな、牡蠣の名産地だ。
梨央奈にしてみれば、東京ネズミーランドとか、ユニバーサルスターディオジャーンとか、そういう類いの観光地に違いない。
「清宮さんまでそんな笑わんくても……大学入ったらちゃんと旅行代貯めるし、行けるもん」
ふて腐れたような言い方から、先ほど母親に何かしらの文句を言われていたのだと気付いた。
拗ねた顔をする梨央奈に、万里は優しい表情を向ける。
「梨央奈なら出来るやろ」
「……へ?」
明確な目標を立てて、実行に移すことが出来る高校生がどれだけいるだろうか。
牡蠣を買うためにバイトをして、牡蠣を自分で買いに出かけ、牡蠣を焼くための準備を一人でし、今後も牡蠣を焼き続けるために火の扱いには細心の注意を払い、そして、美味しく牡蠣を食べている。そしてそれを何年も継続している。
出来ないだなんて、からかうためにも言いたくない。
恥ずかしそうに笑顔をこぼした梨央奈だったが、万里が見ていることに気付いてハッとしたようだ。
最初は苦虫を噛み潰したような表情しか見せなかったくせに、笑顔も照れた顔も、梨央奈は随分と素直に万里に見せるようになっていた。万里がにやにやと笑う。
「なら俺も金、貯めよ」
「……現地で美味しいお店見つけたら、教えてくださいね」
「は? まさかの別行動?」
「え? ついてくる気ですか?」
「一緒に行く気なんですけど……」
「……」
「……」
何が悲しくて、梨央奈と同じ目的地へ行くのにわざわざ違う日程で行ったり、別行動を取ったりしなければならないのか。万里が心底不思議に思い首を傾げると、梨央奈は渋々頷いた。
「――なら、私も免許取るので、車で行きませんか」
梨央奈は一瞬で、より多く牡蠣を食べるための算段を付けたらしい。一人ずつ新幹線代を払うより断然、高速代を割り勘するほうが安上がりだ。
梨央奈の提案に、笑って頷く。
「いいな。夜は俺が運転するわ」
「助かります!」
梨央奈が、顔をパァアっと輝かせた。その顔が可愛くて、万里は梨央奈の頭に手を伸ばし、よしよしと撫でる。
万里に頭を撫でられていても今は気にならないのか、梨央奈はスマホで現在地から広島までの所要時間を調べ始める。
「距離長いけど、泰ちゃんもいたら三人やし、交代してけばなんとか運転出来そうですよね」
「は?」
「え?」
思わず素の声を出した万里を、同じく素の声を出した梨央奈の視線が交わる。
「なんで泰輝も誘ってんの?」
「え? 私と清宮さんが二人で広島まで行くのは、さすがに意味わかんなくないですか?」
「……」
「……」
ど正論に、万里は思わず何も答えられなかった。
そう言われてしまうと、その通りだ。梨央奈は友人の妹でしかない。
更に言うなら、万里は誰かと旅行なんて絶対に嫌だと思っていたはずだ。
「……それもそうやな?」
「ですよね?」
万里は曖昧に頷く。梨央奈もすぐに同意した。
とにもかくにも、旅行の話は梨央奈が大学に受かってからだ。
「勉強、頑張れよ」
「うっ、はい」
「家にまだ使ってた参考書とか過去問あるけど、いる?」
「いる! 泰ちゃん捨てちゃってたから……」
「ん。今度持ってくるわ」
万里はくしゃくしゃ、と梨央奈の頭をまた撫でた。そしてずっと持っていた小さなノートを梨央奈に見せる。
「これ、ありがとうな」
「ちゃんと見てくださいよ。私も塾とかで、いっつも家にいるわけじゃないんで」
「ん」
それでノートにわざわざ書いてくれたのかと、万里はノートを見せられた時と正反対の感情が胸に湧く。もう一度、心から「ありがとう」と言うと、梨央奈は口をとんがらせた。
「……聞きにくるのは、一回ちゃんとやってみてからですよ」
「はいはい」
「ほんとにわかってます?!」
「わかったって」
と言いつつ、万里はきっとまたすぐに自分は聞きに来るだろうと思っていた。梨央奈もその可能性は考えているらしく、不信気味だ。
その視線さえ、万里をわくわくさせて仕方がない。万里が手を伸ばすと、今度の梨央奈はさっと自分の両手で頭を押さえた。
意に介さず、片手で梨央奈の両手を封じ、頭をくしゃくしゃと撫でる。
悔しそうな顔をする梨央奈を残して、万里は口角を上げたまま、やってきた時は憂鬱な気分で開けた扉から、機嫌良く出て行った。
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