13:水色のサテンリボン 2

「……美味しい」

 特別飲みたいとも思っていなかったカフェオレだったが、一口飲んだあと、凄く自然と声が出た。


「ならそっちにする? どっちも持ってくか?」

「重いからこっちは清宮さんにあげる」

「ん」

 生意気な口をきいても、万里は全く気にすることなく、梨央奈が渡したオレンジジュースを受け取った。


「万里ぃー。電車来ちゃうよ?」

「おう」


 オレンジジュースを持った万里の腕に、女性がくるりと巻き付いた。まさか人と来ていたとは思っていなかった梨央奈は驚いて目を剥く。


「す、すみません。邪魔しちゃったみたいで」

「あ、俺が?」

「私がっ」


 なんで万里が万里の邪魔をすることになるんだと怒れば、万里はまた楽しそうに笑った。その顔を、腕に巻き付いた女性――芽衣はぽかんと見上げる。


「万里、誰? この子?」

「誰やろうね。可愛い子なのは確かなんやけどね」

 芽衣とは反対側から現れた愛菜が尋ねるも、万里は梨央奈を女性らに紹介する気はないようだ。


 それがなんだか、万里の世界に梨央奈を入れるのを拒んでいるように思えて、ほんの少し淋しくなった。


 更に、突然現れた女性陣に、梨央奈は気後れもしていた。

 万里が誰かと遊んでいる中、自分のもとに来たとは知らなかった。さらに連れは女性で、しかも二人もいる。何から驚いていいのかわからない。


「そんなん言うと、こんくらいの年の子は勘違いしちゃうって。ねー?」

 にこにこと笑う愛菜の目は、笑っていなかった。

 しかし「勘違い」というワードに引っかかった梨央奈は愛菜の機微に気付かず、思わず「わかります」と大きく頷いてしまった。


「清宮さん、勘違いさせる行動多過ぎる」

「そう?」

 咄嗟に頷いてしまったが、大人な女性らに話しかける勇気はない。梨央奈は万里に話しかけた。


「色々自業自得ですよ」

「そうかね」

「それか、私を子ども扱いしすぎなんです」

「ふーん」

「車くらい一人で乗れるし」

「へえ」

「シートベルトくらい、赤ちゃんやないんやから自分で出来ます」

「まじか。知らんかった」

「もおーっ!」


 持っているカフェオレを零さないように気をつけながら梨央奈が唸ると、万里がまた楽しそうに顔を歪めて「んっはっは」と笑う。笑ったまま梨央奈の頭を肘置きにし、体重をかけてくる。


「清宮さん、重いっ……」

「梨央奈が赤ちゃんやないなら、俺一人ぐらい持てるかなって」

「大人でも持てなくないですか……?! 重い! 重くなってく!」

「ほら、梨央奈。頑張って」


 完全におちょくりだした万里の腕から抜け出す梨央奈を、芽衣と愛菜がぽかんと見ている。こんなところで騒ぎすぎて、呆れているのだろう。自分があまりに子どもっぽくて、恥ずかしい。

 羞恥に顔を赤らめる梨央奈に、後ろから声がかかった。


「わっ、ちょ、吉岡さん! その人、誰?!」


 いつの間にか次の電車が来ていたようで、その電車に乗ってきたクラスメイトの女子らが梨央奈のもとに駆けてきた。


「お、お兄ちゃんの友達……」


 万里と仲が良いとクラスメイトに伝わるのはもの凄く恥ずかしかったため、「お兄ちゃん」を強調して梨央奈は言った。


「梨央奈のお兄ちゃんの友達でーす」


 せっかく抜け出していた腕が、梨央奈の首にまわる。「きゃあ!」とクラスの女子らが沸き立った。その反応に、嫌な予感がする。


(これは絶対、あとでみんなに聞かれる……)


 しかし、騒げば騒ぐほどクラスメイトにはしゃがれるのはわかっていたため、背から万里に抱きつかれ、顎を頭に載せられていても、梨央奈は大人しくした。


「す、すごい、格好いい……」

「あ、あの、私達、吉岡さんと同じクラスで……」


 万里のモテオーラにクラスメイトがたじたじとなる。ぴよぴよと群れるクラスメイトに、万里はにこっと笑った。

 その笑顔は一撃必殺ともいえた。ぽやんと見惚れたクラスメイトが黙った隙を見逃さず、万里が梨央奈に話しかける。


「今日はみんなと遊ぶんや?」

「うん。クラス会」

「あんま遅くなり過ぎんなよ。あと、酒は飲むなよ」

「飲みません」

「遅くなったらLINE入れて。迎え行ってやるから」

「一人で帰れます」

「へえ?」


 含みのある声の響きに、梨央奈はカッと顔を赤くした。


(み、見てたんだっ……! 私が電車降りてくるとこから、全部!)


 電車に乗り慣れず、緊張してぐったりしている姿を見ていたに違いない。梨央奈は恥ずかしさと悔しさで、ぺしんと万里の体を叩いた。


「いてて」

 全く痛くなさそうに言いつつ、万里が梨央奈を解放する。

 クラスメイトらと一緒にこの場を離れようと、別れの挨拶をしようとした梨央奈の視線は、万里の手に釘付けになった。


(ジュラピケ……)


 万里の手に、あまりに不似合いな店の手提げがかかっていた。

 女性に人気な配色のおしゃれな紙バッグをじっと見つめる梨央奈に、万里が喉を震わせて笑う。


「あっ、ごめんなさい――!」


 人の荷物――それもきっとプレゼント用であろう品物をじっと見るなんて、あまりにも無粋すぎる。


「梨央奈」


 申し訳なさに顔を上げられない梨央奈に、万里が一際甘い声を出す。その声にぎょっとして梨央奈が顔を上げると、にんまり顔の万里と目が合う。


「水色な」


 万里がジュラピケの紙袋を、梨央奈の目線まで持ち上げる。

 紙袋についた、水色のサテンリボンが揺れる。


「……!!」


 梨央奈は声にならない悲鳴を上げた。見開いた目は、冬の星空以上にキラキラと輝いているに違いない。そんな梨央奈を見て、万里は至極満足げだ。


「荷物になるから、持って帰っとくな」

「な、なんで?!」

「ホワイトデー」

「!!」


 そういえば、あと数日でそんな日だった。家にあったありあわせで、慌てて作ったチョコバナナをチョコレートのカウントに入れてくれているなんて。梨央奈は万里の太っ腹さと博愛精神に深く感謝した。


「清宮さん……! ありがとうございます!」


 これから待ち受けるどんな面倒事も、クラスメイトからの事情聴取も、喜んで引き受けよう。満面の笑みで礼を言う梨央奈の頭を、万里がぽんぽんと撫でる。セットが崩れない程度の、優しい触り心地だ。


「じゃあな。楽しんで来な」


「うん!」


 手を振る万里に、梨央奈もご機嫌で手を振る。名残惜しげなクラスメイトの背を押して、改札口へと向かった。

 遊びに来たばかりだというのに、家に帰るのがものすごく楽しみだった。




***




「何あれ。親戚のおじさんかっつーの。年下には随分優しーんやね」


 むすっとした表情をした愛菜が、腕を組んで万里に不機嫌を主張する。


「何怒ってんの?」

「別に」


 愛菜が「別に」と言ったなら、「別に」なのだろう。万里は「そっか」と言って流した。


「電車次のでいい? 話し込んでごめんな」

そんなこと・・・・・、別に謝ってくれんくていい」


 低い声で言う愛菜を、横にいる芽衣が心配そうに見る。


「……私のやと思ったんに」

「?」

「チョコ。バレンタインに、私あげたやろ」

「貰ったなあ」


 のんびりとした万里の返事を聞いて、愛菜が万里を睨み付けた。


「私と来てる時に、わざわざ買うことなくない?」


 愛菜が勘違いしていることには気付いていたが、まさか万里も今日梨央奈と会うとは思ってもいなかったので、わざわざ「お前んじゃねえよ」と水を差す必要もないだろうと放っていたのだ。

 しかし万里の気遣いは、愛菜にとっていい結果を招かなかったらしい。


「なんであの子には飴やないん?!」


 愛菜が涙を滲ませた声で言った。その涙が、悲しさからか、怒りからか、愛からかは知らないが、そのどれであっても友達から向けられては困る。


「あの子には、俺がチョコちょうだいって言ったから」


 バシンッと、愛菜が平手で万里の頬を打った。


「馬鹿にして!」


 顔を真っ赤にした愛菜が、万里の肩から彼女の荷物を取り上げる。


「ちょ、愛菜! なによもー、マジんなっちゃって……」


 どよどよとホーム中の人が、肩を怒らせて立ち去る愛菜に視線を向ける。そんな愛菜を追いかけようと足を踏み出した芽衣が、立ち止まって万里を振り返る。


「……あんな楽しそうな万里、初めて見た。私はちょっと、いいもん見れたなって思っちゃったよ」


 愛菜には内緒ね。と笑って、芽衣は愛菜を追いかけた。

 二人が消えた後、万里は殴られた頬に手を当てた。


「いてー……あいつ、わざと爪当てたな」


 愛菜が友達以上を望むなら、互いのためにならない。

 わざと愛菜を怒らせるつもりで言ったので、叩かれたことに文句はなかった。


 万里にしてみれば、人に渡すプレゼントの相談を友人にしただけだ。

 自分なりに気を遣い、仲良くやっていこうと思っている人も、万里が相手の望み通りの物を与えなければ簡単に去って行く。


 見送るのも、慣れてきた。


 万里はジュラピケの手提げ袋を持って、丁度よく乗車口を開けた電車に乗り込んだ。




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