09:初恋のあとあじ 2


 見ているだけでいいだのなんだのと散々言っていたくせに、いざ土壇場になればあまりにも身勝手に暴れ出した恋というものに、梨央奈は完全に怖じ気づいてしまった。


 おかげであの日以来、琥太郎のことを考えるとドキドキするどころかズンと沈んでしまう。


 あれほど見に行っていた琥太郎のInstagramも、最近は開いていない。エプロン姿でココアを練る姿や、新しい髪色に染めた琥太郎に心が浮き立とうとする度に、未熟な自分や、過去の失敗を見せつけられているかのような、息苦しさや恥ずかしさに襲われるからだ。


 そんな日々を過ごしている内に、琥太郎への恋が、自分の中で冷めてしまっていることに、なんとなく気付いてしまった。


 ――こうして梨央奈の初めての恋は、苦い思い出が蓋をして、終わってしまった。




***




「梨央奈、タイマーして」


 年明け――部屋で勉強していた梨央奈は、部屋にやってきた万里に「どうしたんですか」と首を傾げた。


「いつも鳴るんに、昨日鳴らんかった」


 万里が梨央奈にスマホを差し出す。

 キャスターのついた椅子を反転させた梨央奈は、万里からスマホを受け取った。設定を見ようと画面を見ると、まだ画面ロックが解除されていなかった。


 万里を仰ぎ見る梨央奈に、万里が軽く言った。


「一、三、二、一」

「ちょっと! 清宮さん!」


 ロックを解除するための数字を事も無げに言う万里に、梨央奈は慌てた。


 この男、「スマホ二台持ちしています」とでもいう風な顔しているくせに――なんと壊滅的にスマホに弱い。


 カメラとビデオを切り替えられなかったり、画面を拡大せずに顔を近づけてスマホを覗いていたり――思い返せば、そういう片鱗は見えていた。

 しかしまさか「携帯もタブレットも腕時計も、全部最新機種です」と言わんばかりのこんな陽キャが、「らくらくフォンにしようかな……」と眉間に皺を寄せながら、真剣に呟くとは思わないではないか。


 あまりに見かねて手を貸した梨央奈に、万里はそれから度々持ってくるようになってしまった。


「パスコードは、人に教えちゃ駄目ですよ」

「なんで?」

「……今までもそんな感じやったんです? よく無事でしたね?」


 梨央奈が言うと、万里はふっと息を抜くように笑った。

 万里は否定も肯定もしなかったが、梨央奈はパスコードに気を取られ、それに気付かなかった。


「梨央奈は悪用せんやろ?」

「そりゃしませんけど……。数字、変えておいてくださいね」

「やり方わかる?」


 椅子に座った梨央奈の背後から、万里がスマホを覗き込む。梨央奈は顔を動かさないよう、慎重を期していた。壁に片手をあて、腰を折り曲げている万里と、頭がぶつかりそうでヒヤヒヤする。

 完璧とはいえないが、同じ機種なので多少ならば扱い方もわかる。梨央奈はすいすいと画面を操作すると、万里に向かってスマホを差し出した。


「目瞑ってるんで、番号押してください」

「梨央奈の誕生日は?」

「え? 二月七日……」

「じゃあ、〇、七、〇、二でいいわ」

「だから言ったら駄目やって!」


 怒る梨央奈なんか全く怖くなさそうに、万里は口の端を上げている。


 ――万里の前で大泣きしてから、二週間近くが経った。

 なんとあの時、抱き合う万里と梨央奈をこっそり廊下から見ていたと母に教えられ、梨央奈は死ぬほど恥ずかしかった。


 散々「いつ万里君落としたの? え? まだ? 何やってんのあんた」と馬鹿にしてきた母と違い、万里はあの時の梨央奈のことを、決してからかうことはなかった。梨央奈も勿論、話題に出すことはない。


 結局万里は自分で操作しなかったため、梨央奈は渋々四桁の数字を押す。パスコードを〇、七、〇、二に設定した梨央奈は、タイマーアプリを開く。


「それで、何時に鳴るようにしたいんですか?」

「昼の一時七分と、夜の十時二十五分と――」


 万里が言っていく時刻を確認していけば、きちんと設定されていた。中の設定を開いても問題はなさそうだ。


「……マナーかい」

 梨央奈はマナーモードの設定画面を開いた。


「タイマーだけは、マナーにしていても鳴るように設定しておきますか?」

「そんなこと出来んの? 梨央奈は可愛いのにすげえな」

「ありがとうございますー」


 気のない返事をしながら設定していると、スマホの画面の上部にポコンと通知が現れた。


【 ――toi_et_moiがたった今、写真を投稿しました。 】


「あっ」


 突然出て来たプッシュ通知のバナーに驚いて反射的に押してしまい、スマホの画面が変わる。Instagramの通知だったようで、アプリが自動的に立ち上がった。


「すみません、押しちゃった……」

「いいよ。それよりそれ、消せん?」

「それ?」

「上に出てくるやつ」

「通知ですか?」

「ん。勝手にやられたんやけど、うるさすぎる」

「えっ……!? 勝手に……?!」

「昼、食堂でスマホ奪われた時やと思う」

「ええっ!? お、女の人……?」

「そう」


 大ごとではないか。女性関連のトラブルは多いと聞いていたが……よくそんな状況でパスコードを他人に教える気になるものだ。


「清宮さんもインスタしてるんですね」

「多分?」

「たぶん?」

「アプリは入れられた」

「――やってはないんだ?」

「写真、そんな好きやないから」


 その表情は冷たく、初めて一緒に牡蠣を焼いた夜に、万里を怒らせた時のことを思い出させた。


 梨央奈は何も聞かないことにして、スマホの画面に視線を戻す。画面には、芸能人の公式アカウントかと思うほど可愛い女性の自撮り写真が投稿されていた。


(綺麗で、大人っぽい人。清宮さんの周りには、こんな女の人ばっかなんやろうな……)


 つくづく万里を遠い人に感じる。清宮さん相手でもやっぱり私はモブで、彼はヒロインの相手役。そんな感じ。


 ピンクラベンダー色の髪を綺麗に巻いた女性は、なんとなく見覚えがある気がしたが、万里のプライベートを詮索しているようで気が咎め、梨央奈はすぐに設定画面を開いた。


 スマホの設定のほうで通知を切り、Instagramの設定も一応確認して、万里にスマホを戻した。

 万里はまたいつもの顔で笑うと、梨央奈に「ありがとうな」と言って泰輝の部屋に戻っていった。



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