07:高校二年生のクリスマス
梨央奈の好きな人は、校内と、スマホの画面の中にいる。
見ているだけで、存在を感じるだけで満足していたこの気持ちを、どうにかしたいだなんて考えたことすらなかった。
***
「あ、梨央奈。今週は?」
週末ではない平日。
泰輝のもとに遊びに来ていたらしい万里と、バイト帰りの梨央奈が吉岡家の廊下でかちあった。
今週末――まさかクリスマスまで牡蠣を焼きに来る酔狂なイケメンがいるなんて考えてもいなかった梨央奈は、驚きに目を見開く。
「……え? クリスマスですよ?」
「お。好きな男、誘えたん?」
にやにやと余裕の笑みで見下ろされ、梨央奈はムッとした。勿論、誘うどころか、せっかく友人を通じて知り合いにまで昇格出来たというのに、個人的な会話などしたこともない。
にやける万里の脛でも蹴ってやろうと動かした足は簡単に躱される。そのまま万里は梨央奈の肩を抱き寄せ、自然に体重をかけてくる。
「重いです」
「そんで、どうすんの?」
(ほら。思ってもないくせに)
万里は「好きな男を誘ったのか」なんて聞いたくせに、その実、梨央奈がクリスマスに好きな男子を誘えるとは微塵も思っていないのである。
梨央奈の頭の上に、頭を置いた万里が、蹴ろうとした仕返しとばかりに、上からぐぐぐと体重をかけてくる。
足をふんじばって耐えれば耐えるほど、面白がって万里は体重をかける。終いには、抗おうと必死の梨央奈の頭の上でスマホまで操作し始めた。「あ、昨日LINEきてた」じゃない。
「さすがにしませんよ」
「お。ご予定が?」
「ありますけど!」
「誰? 夏帆と心?」
万里がしたり顔で言う。万里は、夏帆と心に直接の面識などないくせに、梨央奈がよく話題に出すため、顔見知りのような顔をする。
クリスマスの予定が男だとは微塵も思っていない万里の鼻を明かしてやりたかったが、変な嘘をつくのは流石に子どもっぽい気がして、梨央奈は素直に頷いた。
「二十四に夏帆は帰るけど、心はもう一泊するから」
「へえ」
「清宮さん、一人暮らしなんですよね? 泰ちゃん貸してあげるから、その日はそっちで遊んでくださいよ」
「はいはい」
聞いているのかいないのか、万里は梨央奈の頭をぽんぽんと叩くと、スッと離れて泰輝の部屋へと戻って行った。
***
クリスマスに、恋人
クリスマスイブとクリスマス、二日続けて、夏帆も心と共に吉岡家に泊まることになった。
クリスマスツリーの下で、梨央奈は夏帆のかわりに一生分毒づいたし、心は夏帆のかわりに沢山クリスマスのご馳走様をもぐもぐ食べた。
そして、玄関先でサンタクロース――もとい、イケメンを掴まえた。
「――だから来ないでって、言ったやないですか!」
「来ないでとまで言われてたっけ」
「言いました!」
厳密には言ってないかもしれないが、言ったことにしておく。
泰輝と共に、泣きじゃくる夏帆のためにコンビニで駄菓子を買いまくって来た万里は、珍しく殊勝な顔をして、梨央奈の頭をぽんぽんと叩く。
「泰輝連れて、今度こそ出てくから。ごめんな」
夏帆のためにか、万里は素直に謝って吉岡家から出て行こうとする。
そんな万里の服を、梨央奈はきゅっと握った。
服を引っ張られた万里は、邪魔をされたというのに不機嫌な顔も、怪訝そうな顔もせず、「ん?」と梨央奈に尋ねる。
その声が、優しくて。
「――ど、どうしてあげたら、いいですか」
自分の部屋に残してきた夏帆と心に聞こえないよう気をつけたために、声が震えてしまった。
彼の柔らかい声に泣きそうになってしまったなんて、自分に許したくない。
万里を頼るのは、不本意だ。
けれど、泣いている夏帆に出来ることがあるなら、出来る限りのことをしてあげたかった。
人生経験も恋愛経験も、万里は梨央奈よりよほど長けているに違いない。個人的な感情の一切合切を押し退け、梨央奈は万里に縋る。
万里の服をぎゅうと掴んだまま、俯いて返事を待つ梨央奈の手を、万里がポンポンと叩いた。
「夏帆は、梨央奈の所に来たんやから――」
(……やから、自分で考えろって?)
突き放され、ショックを受けた梨央奈は万里の服から手を離す。
こんな時にばかり甘えるなと、弱く浅ましい自分を指摘された気分だった。
万里なら、普段からつっけんどんな態度ばかりとる梨央奈でも甘やかしてくれると、たかを括っていたのだ。
――あまりにも子どもな自分が、恥ずかしくてたまらない。
落ち込んだ梨央奈の両頬を、万里が両手でがしっと掴んだ。そして首が折れそうなほど、垂直に上を向かせる。
「?!」
「やから、梨央奈は梨央奈でいたらいい。夏帆は安心しに来たんやから。いつもの梨央奈で、横にいてやり」
怒られたわけではなかった。そのことへの安堵もあったが、夏帆が梨央奈を選んでやって来たと言ってもらえたことが、体が震え出すほどに嬉しかった。
万里が言うならそうなんだろうと、すんなりと思えた。梨央奈の視界が滲む。
ふるふると震える唇を慌てて噛み締め、ぐすっと鼻を啜っても、万里は驚きはしなかった。
それどころか、万里は笑って、自分の服の裾で梨央奈の目尻を拭う。
「あんま泣くと、夏帆達にバレるぞ」
「泣いてない」
そうだ、これは涙じゃない。なんかよくわからないけど、クリスマスなんだから、誰だって目から汁ぐらい出すこともあるだろう。あるに違いない。
好き勝手にやられても、梨央奈は大人しくしていた。心地よかったわけではない。高そうな万里のアウターに鼻水をつけてはたまらないからだ。
万里の部屋の匂いなのか、香水ではない匂いがする。
「待ってんぞ」
「うん。戻る。清宮さんも、泰ちゃんをよろしく」
万里はまた口角を上げて笑うと、梨央奈の頭をくしゃくしゃと撫でる。そしてゆっくりと玄関から出て行った。
(来るなって言っちゃったけど……来てくれてよかった)
心の中ではそんな風に思いながら、梨央奈は万里の広い背が見えなくなるまで見送った。
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