06:敵は思春期


 結局なんだかんだと、その冬の間、都合が付く限り万里は牡蠣を買いに連れて行ってくれた。


 万里は、梨央奈と一緒に牡蠣を食べる時もあったし、他の物を持ってくる時もあった。匂いのきつい物を梨央奈が嫌がると知ってからは、極力匂いが出ない食材を選ぶように気をつけているらしい。


 梨央奈が牡蠣を焼いて無心に食べている隣で、コンビニで買ってきた温かいコーヒーを飲みながら、おでんを食べている時もあった。


 きっと万里は、冬の夜の空気を吸いながら、火が見たいのだろう。

 梨央奈がよく見るキャンプチャンネルの人達は「火を見ると心が落ち着く」としきりに言っている。擬似的に火が燃えているように見える、室内用ランプまであるほどだ。


 牡蠣を食べたい結果、キャンプっぽくなっているだけの梨央奈とは趣旨が異なるが、人の好みをとやかく言うつもりはない。

 炭代は徴収していたし、準備と片付けは手伝うので、梨央奈は好きにさせている。


 万里がいない時に心と夏帆も一度食べに来た。しかし、二度目はなかった。

 家族と同じ反応だったため、特別ショックは受けない。ただ、やっぱり万里は変なんだなと思った。


 春が過ぎると、梨央奈は庭で牡蠣を焼かなくなった。牡蠣の季節が終わったのだ。

 それを境に、万里とはガクンと会う機会が減った。


 泰輝の友人として遊びに来る万里と、顔を合わせたらほんの少し立ち話をする程度だ。

 大抵、万里が梨央奈を質問攻めにして、「インタビューにご協力、ありがとうございました」とからかって去っていく、そんな感じ。


 そうして梨央奈が、学業とバイトと友情をこなしていると、また牡蠣の季節がやってきた。


 ――そして梨央奈は最近少し、悩んでいた。


「言うべきか、言わざるべきか……」


 十一月から、いつもの牡蠣直売所が開く。牡蠣がこの世に並び出せば、庭に火も灯るというもの。


 今週から牡蠣を再開するつもりだが、それを泰輝から万里に伝えてもらうかを、梨央奈は悩んでいた。勿論、直接の連絡先など知らない。


「そういう仲じゃないんだけど、そういう仲でしかないんだよな……」


 わざわざ人に頼んでまで牡蠣を焼くと伝える仲ではないのだが、一緒に牡蠣を焼く仲でしかない。


「……ま、今度会った時に言えばいいか」


 いつになるかわからないが、次に泰輝が連れてきた時でいいだろう。そう結論づけて、梨央奈はそそくさと一人牡蠣を焼く気分を高めていた。





 ――ほどなくして、その時は訪れた。


 木々からは紅葉した葉が落ち、落ち葉の隙間から放たれる冷え冷えとした匂いが夜を満たす。もう冬だと主張するように空気は澄み渡っていて、濃さを増した空には隅々まで星が散らばっている。


 訪れる冬に体と心をふるわせながら、梨央奈は火を囲っていた。食べごろを伝えるように、ふつふつと牡蠣の口から汁が溢れている。


 家の前で、我が家の物でない車のエンジン音がとまる。何度も乗ったことがある車のエンジン音は、完全に耳に馴染んでいた。

 しかし梨央奈は、牡蠣に夢中になっている振りをして、気付かなかったことにした。


「ただいまー」

「お邪魔しま……あれ」


 玄関のドアを開けて、泰輝が家の中に入っていく。その後ろについて来ていた車の持ち主――万里は庭を覗いて体の動きを止めた。


「……」

「……ど、どうも」


 ぷりんぷりんの牡蠣をずずずと吸っているところで出くわし、梨央奈はおざなりな挨拶をした。

 万里は梨央奈の頭の先からつま先までじろじろと見ると、腕を組んだ。


「ふーん」

「……」


 何故か、ものすごく居心地が悪い。

 生まれ育った我が家の庭で、焼き慣れた牡蠣を食べているだけなのに――ものすごく、後ろめたかった。


「いつから?」

「え?」

「いつから再開してんの?」

「せ、先々週……」

「へえ」


 梨央奈は目を泳がせ、万里の視線から逃れた。

 梨央奈とて、悩みはしたのだ。ただ、誘っていいのかがわからなかった。


(だって、もう興味ないしって鼻で笑われたりするん嫌やし……)


 万里の目的がなんだったのかはわからないが、非日常なら去年で十分味わったに違いない。今年まで付き合う気なんかないと言われるのは、恥ずかしい。


「俺、邪魔してた?」

「いえ……」


 最初は意味もわからなかったし、邪魔と言えば邪魔だったのだが、途中からは割合便利に使っていたと思う。自転車を漕がなくていいし、そばにいても梨央奈の牡蠣焼きの邪魔をするわけではなかったし、目の保養にもなっていたので、何の問題もなかった。


「特別問題ありませんでしたね」

「だよなあ」


 万里は腕を組んだまま、顎を傾けて上を見ている。ふぅーとため息をつくと共に、万里が顔を下ろす。

 ビクビクと沙汰を待っている梨央奈を見た万里は、口の端を持ち上げた。


「淋しいやん」


 そう言われてしまうと、堪らなく申し訳ない。


 梨央奈は啜っていた牡蠣の殻をバケツに捨てると、万里に向き直った。


「……牡蠣、食べますか?」

「うん」

「今日は私の奢りで……」

「当然」

「大人が高校生にたかってる……!」

「俺まだ未成年やし」


 万里のために椅子を用意すると、当然のように座られた。泰輝に一言言わなくていいのだろうか。いいのだろう。男の子は、というか、この二人はそこら辺はかなり適当らしい。


 万里の近くにいると、梨央奈の鼻がスンと動いた。その様子に気付いた万里が「ああ」と呟く。


「匂う? 脱いどくか」


 万里がオーバーサイズのアウターを脱ごうとする。その時に余計香りが濃くなって、香水をつけているのだとわかった。


(……あ、つけないようにしてくれてたんだ)


 途中から、万里の香水を気にしたことはなかった。梨央奈が牡蠣の香りを堪能しているからと、気をつけてくれていたのだろう。


 された気遣いにも気付かないし、素直に誘うことも、先に折れることもできない。


 先ほどからグサグサと自分が子どもなことを突きつけられ、梨央奈は恥ずかしさで死にそうだった。この痛みが大人になるということなのだろうか。だとしたら、大人はみんな凄いし、万里は未成年でも大人だ。


「ジャケットはお好きにどうぞ! 今日のMVPも差し上げます!」


 苦渋の決断の顔で本日一番大きくて形のいい牡蠣を差し出すと、万里は「わけわからん」と笑いながらも、梨央奈から牡蠣を受け取った。



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