03:男の落とし方


 牡蠣を食べ、肉も食べ、燻製されたチーズを食べ終えた頃には、すっかり夜も遅くなっていた。冬の濃い闇に散らばった、無数の星が瞬く。


 とっくに兄はバイトから帰ってきている時間だが、こちらに顔を出すことはなかった。後片付けを手伝わされるのが嫌で、庭に寄らずに家に上がっているのだろう。自分の友達の面倒ぐらい、自分で見てほしいものである。


「あの、じゃあ片付けしますんで」

「俺は何すればいいの?」


 手伝う気でいるらしいイケメンに驚く。「んじゃご馳走さまでした」と両手を合わせて帰って行くとばかり思っていたからだ。


(そんな、悪い人やないんかな……)


 網の上に置くご馳走に関しては要相談だが、自分のペースを乱されないのであれば、人と火を囲むのは悪くない。全然、全く、悪くない。


「……椅子、さっきの倉庫に持ってってください」

「ん」


 梨央奈は万里に片付けの指示をすると、ポツリと呟いた。


「……また来るなら、服買って下さい」


 その言葉は、梨央奈にしてみれば中々の譲歩である。


 ――というのに、万里はまたひやりと冷たい目で梨央奈を見た。冬の透き通った空気が、梨央奈の肌をツキツキと刺し始める。


 梨央奈は体を強ばらせた。ステーキ肉や燻製キットはよくて、服を買えと言われて不機嫌になる万里がわからない。


「……いつ? 何処に行きたいの?」

「え……? いや、私は一緒に行かないんで……それに清宮さんがどこで買うのかも知らないし……」


 梨央奈の返事に、万里は瞼をぱちぱちとさせた。そして月を見上げながら少し黙ったあと、訝しげに尋ねる。


「服って、俺の?」

「そうですけど……?」


 何を言っているのかわからず、眉根に皺を寄せながら頷いて、梨央奈ははたと気づいた。


(あ、私の服やと……!?)


 およそ初めて会話した男に服を買えと強請るような厚かましい女と思われたと知り、梨央奈は顔を赤らめた。


「わ、私の服買ってとか、そんなこと言いませんっ!」

「ごめん。そういうのよく言われるから」


(え? そんなことある?)


 口をあんぐりとする梨央奈の顎を、万里は指先でちょんと突いた。梨央奈は大慌てで口を閉じる。


「なんで俺の服?」

「……そんなお洒落な服、牡蠣の汁とか炭とかで汚れちゃうし。匂いも付いちゃうし……」


 本音を言えば、香水も付けてきて欲しくない。もっと言えば、肉も焼いて欲しくない。


「どんな服ならいいの?」

「どんな……? 汚れてもいい服……?」

「これ別に汚れてもいいけど。ユニク口だし」

「えっ……!?」


 梨央奈は今日一番で驚いた。

 万里が着ている服がどこかしらのセレブが着るなにがしかのハイブランドだと言われたら、簡単に信じるほど格好良く着こなしていたからだ。


「でも梨央奈が気にすんなら、つなぎでも買ってくるわ」


 この様子では、つなぎでさえもハイブランドが特別に誂えた一品レベルで着こなすに違いない。


「高校の頃のジャージとかないんですか?」

「え。もう着らんし、普通に人にやったけど」


(高校のジャージって人にあげていいんだ……そりゃそうか……)


 未だに高校のジャージを着て家でゴロゴロしている兄を見ていた梨央奈は、変な衝撃を受ける。


「おっ、珍し。梨央奈、肉焼いてたん。肉あんなら俺も行ったんに」


 たった今思い浮かべていた兄が、高校のジャージ姿でリビングの掃き出し窓から庭を覗いている。部屋着に着替えているということは、やはりかなり前に帰ってきていたのだろう。


 万里は窓の明かりに照らされた梨央奈の顔を見下ろし、泰輝を見た。


「肉、焼かんの?」

「いつもは牡蠣しか焼かせてくれん」


「……わざわざ買って来たんに、焼きませんとは言えんやろ」


 本当に、単にそれだけの理由だが、兄はにやにやと笑った。


「そっかそっか、梨央奈もイケメンには弱いか」

「違うってば」


 梨央奈が顔を顰めて怒るが、兄は何処吹く風だ。隣に立つ大きな体の万里がこちらをじっと見ているのが気になって、梨央奈は口をへの字に曲げた。


「ほんとに違うし。私、好きな人いるもん」


 むきになって、言わなくていいことまで言ってしまった梨央奈に、兄は「えっ」と声を出した。ずるりと、窓にもたれかかっていた体が傾く。

 太い眉を上げ、目を見開いた泰輝が梨央奈に詰め寄る。


「誰? 兄ちゃんの知ってるやつ?」

「そんなこと知らない」

「えー……梨央奈いつ好きな男とか出来たん。なあ、梨央奈。なあ?」

「教えるわけないやろっ」


 片付けも手伝わないくせにウザ絡みし始める泰輝に、梨央奈は鼻の上に皺を寄せた顔を向ける。

 泰輝は納得いっていないようだったが、明るい表情を作って万里を見た。


「まー。ならよかったな、清。面倒なことにはならんやろ」

「ん」


 泰輝に小さく返事をすると、万里は梨央奈が指示を出したとおりに片付けを再開する。


「どゆこと?」

「清、女子とは面倒なことになりやすいんやって。清を取り合って女同士で喧嘩されたりとか、友達のつもりが付き合ってるって言いふらされてたりとか、家の物いつの間にか持ってかれてたりとか、ネットに勝手に写真あげられたりとか――」


 梨央奈はぽかーんと万里を見た。


(ありえそう……)


 普通だったら「そんな馬鹿な」と言いそうなものなのに、全く、微塵も、これっぽっちも、笑う気にすらならない。


 それくらいに、このウェイ勢目陽キャ科モテ属イケメン君には、ありえそうなことだった。


 ――モテる。それ故にモテる。


 そんな言葉を体現したかのような万里は今、梨央奈が指示したとおりにトングで炭を掴み、バケツの中に突っ込んでいる。


 噂のヤリサーとかに入って、夜な夜なウェイウェイしていると思っていてごめんなさい、と梨央奈は心の中で万里に謝った。


(あ。だから笑わないとか……?)


 感情の起伏が少ないと思っていたが、それが女子に期待を持たせないための苦肉の策なのだとしたら、不憫すぎる。梨央奈は眉を下げた。


「早く笑えるようになるといいですね……」

「……え? 俺、笑えてない……?」


 まじで? と、自分の顔を片手で触った万里が、不思議そうな声で呟く。泰輝がそれを見て笑った。


「いや、清の表情があんま変わらんの、素やから」

「あ、そうなんや……」


 それは大変な失礼をしてしまった。梨央奈は頬を赤らめて「すみませんでした」と頭を下げた。





「梨央奈は好きな奴、呼ばんの?」


 梨央奈が網をタワシで擦っていると「これやればいいの?」と万里が隣にしゃがみ込み、タワシを奪った。梨央奈は戸惑いながらも、網を任せることにした。


(呼ぶ……? 何に? これに?)


 一体どれほど特別な催しだと思われているのかは不明だが、ただ庭で牡蠣を焼くだけのバーベキューとも言えないものに、好きな人を呼びつけるなんて、正気の沙汰ではない。


(そんな顔に生まれてたらそんな発想になるの……? すご……)


 真正面から否定するのも申し訳ない気がして、梨央奈は顔を引きつらせた。


「……いえ、そんな仲良くないですし」

「そうなん?」

「話したこと二回しかないんで……」


 兄には気恥ずかしくて答えられなかったが、知り合ったばかりの万里に同じ対応を取るわけにもいかず、梨央奈は不承不承に口を開いた。

 ただの世間話に、どこまで上辺で返せばいいのかも、まだ梨央奈にはわからない。


「へえ?」


 その一言だけで続きを催促される。

 こんな主人公格に催促されたとあらば、THE・モブな梨央奈は従わざるを得ない。


「……ちょっと、相手が、有名な人なんで」


「やっぱ面食い」

「そこは別にいいやろ」


 兄にぼそっと突っ込まれ、「聞こえてるから」と手に付いていた水をピッピッっとかける。

 手伝いもせずに縁側から茶々を入れているだけの泰輝が、「ぎゃっ」と両手で自分を庇う。


「俺の顔もガン見してたもんな」


 にやりと口の端を上げた万里が、梨央奈をからかうように見た。


(いや、こんな顔が急に庭に現れたら、誰だってガン見するやん……!?)


 しかし年頃の梨央奈は自分が面食いなことを認めるのも、からかわれているのも悔しくて、鼻息荒く言い返す。


「清宮さんは、泰ちゃんの友達におらんタイプやな、って思って見てただけ!」

「へえ?」


 へらっ、と万里が笑う。


 初めて見た笑顔に固まる。

 その顔は、牡蠣を食べた時よりもずっと嬉しそうな顔だった。


「泰輝。俺、初めてな感じなん?」

「そーなー。俺の友達にお前みたいな顔キラキラしたのおらんわ」

「発光はしてないやろ」


 イケメンの笑顔の破壊力を知った梨央奈が唖然としていると、泰輝と話していた万里は、泰輝に向けていた笑顔を引っ込めて梨央奈を見た。


「いいこと聞いたお礼に、男の落とし方、教えてやろうか?」

「っや。そういうのやないんで、いいです」


 顔中に皺を寄せて威嚇すると、万里はにやりと口の端を上げた。





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