04:よくわからない男


「これならいい?」


 翌週も万里は訪れた。

 しかも、牡蠣は殻付きだった。


 流石につなぎではなかったが、彼なりの汚れてもいい服を着ているようだ。ひとまず、真っ白なトレーナーはやめてくれていたので心底ほっとする。


 先週の梨央奈の動きを見ていたらしく、万里はバーベキューコンロの準備を率先してやっていく。時折じっと大きな目に手元を凝視されながらの作業は、殊の外緊張した。


 会話のない中、作業が進む。

 庭の隅にある水道で、梨央奈は牡蠣の殻をごしごしとブラシで洗っていた。ビニール手袋をした手でも、冬の水は冷たい。


(この人、週末のたんびに来るつもりなんかな……)


 自分で言うのもなんだが、ただ牡蠣を焼くだけだ。わざわざ予定に組み込んでまで参加するようなものではない。


(それとも、すごい牡蠣好きとか……? いやそれなら、こっちは網出してんのに剥き身持ってこんやろ……わからんすぎる……)


 梨央奈はちらりと、離れた場所で椅子を広げている万里を見た。


(モテまくってるらしいし、予定詰まりまくりなんやないん……? 偶々、先週も今日も暇やったとか……?)


 そういえば同じ大学の兄も、学校とバイトへ行っている時間以外は家でゴロゴロとしている。

(大学生って暇なんかな)

 高校一年生の梨央奈は常に、勉強とバイトと友情と牡蠣に追われている。


 チョロチョロと水道水をかけながら、重なったひだの隙間までタワシで殻を丁寧に磨いていると、肩からにゅっと美しい顔が突き出された。


 驚きすぎて、梨央奈は牡蠣とタワシを投げてしまった上に、尻餅をついた。


 万里にぱちぱち、と瞬きされる。

 ぱちぱち、ではない。


「――牡蠣」

「ふぁえ」

「いいん?」

「よ、くないっす」


 梨央奈は這々の体でタワシと牡蠣を拾いに行く。芝生の上に落ちた牡蠣は、心なしか恨みがましい空気を出している。

 心の中で牡蠣に「ごめんね、美味しく食べるから……」と謝りつつ、梨央奈はまた水道に戻った。


 梨央奈が先ほどの姿勢に戻ると、万里も先ほど同様、肩から覗いてきた。


「ちょちょちょっと」

「……?」


(いや。「?」やない)


 片手に牡蠣、片手にタワシを持った梨央奈は体をよじる。


 好きな人がいるのに、イケメンに接近されれば否が応でもドキッとしてしまう悲しい定めを背負って生まれた女であると知ってしまった。

 梨央奈はショックを受け、牡蠣を持ったまま硬直していたが、はたと気付く。


 これを「近い」と騒ぐのは、自意識過剰ではないかと。


(だって多分この人、私の手元見てるだけやし……)


 前回のように、梨央奈の行動を見て覚えようとしているのだ。梨央奈は深呼吸して自分を落ち着かせると、万里が見やすいように、体を少し横にずらした。


 梨央奈が無言で牡蠣を磨き始めると、万里もまた無言でじっと覗き込んできた。万里の肩幅が広いため、近くで見ようとすると体がぶつかる。ぎょっとするも、気付かない振りをした。


(平常心……平常心……)


「次これ?」


 無言で見ていた万里が、まだ磨いていない牡蠣の入った発泡スチロールを指さした。


「そうです」

「俺やってみたい」


(ボーイスカウト気分なんかな……)


 大きな子どもに、梨央奈は持っていたタワシを渡す。万里はお尻のポケットに差し込んでいたビニール手袋を取り出して、軍手の上にはめた。


(わ、えらい。ちゃんと学習してる……)


 梨央奈は万里が牡蠣を洗う様をチェックしつつ、むむむと唸った。





 何事もなく牡蠣を味わい、片付けまで順調に終えた後「じゃあまた来週」と帰ろうとした万里を、梨央奈は大慌てで引き留めた。


「次も来るなら、炭代貰います」

「あ、いくら?」


 財布を取り出す万里に「次からでいいです」と両手を振るも、万里は千円札を取り出した。


「炭っていくらぐらいすんの? 足りる?」

「こんなにしません!」

「小銭ないし、なら今度俺が炭買ってくる。てか、梨央奈はその牡蠣どこで買ってんの? でかいし、俺もそれ食いたい」


 行きつけの直売所を褒められ、梨央奈は鼻高々だ。直売所の名前を伝えると、万里は頷いた。


「ふーん。泰輝が連れてってんの?」

「え? 一人で行ってますけど?」

「……は? ここからだとあそこまで、五・六キロあるだろ?」

「よく知ってますね」

「高校の頃、部活でよく走らされてた」

 なんと、こっちの人間だったのか。てっきり兄の通う大学近郊の人だとばかり思っていたので、梨央奈は少し驚いた。


「まさかチャリ?」

「そうですよ。さすがに歩きは無理です」


 万里は信じられないものを見る目で梨央奈を見た。


「……こんな何キロもする発泡スチロール乗せて、ちんたら一時間もチャリ漕いでるって?」

「一時間もかかりません。もう少し速いです」


 ムッとして言い返したが、万里は呆れ顔で梨央奈を見ている。


「毎週買いに行ってんの? 何曜?」

「バイトがない週は。土曜日に」

「何時?」

「え、朝ですけど……く、九時ごろ」

「早い。十時にして」

「はあ……?」

「迎え来るから」

「え、いいです」

「あそこ、トラック多いだろ。潮風も吹くし、ふらふらすると危ない」


 ふらふらなどするものか。とムキになって言い返したかったが、海の上を吹き抜ける強風に煽られてふらついたことが何度かあったので、梨央奈は口を噤んだ。

 その様子を見て、万里がため息をつく。


「あんじゃねえか」

「な、何回かしかないです」


 じろりと上から見下ろされ、梨央奈は俯いた。


「梨央奈」


 万里は両手をジャージのポケットに突っ込んで足を開き、梨央奈の顔を覗き込む。


「迎えに来るからな」

「……はい」


 ぐぎぎ、と歯を食いしばりながら、梨央奈は返事をした。




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