モブ吉岡さんとイケメン清宮くんのお約束な関係

01:見知らぬ男の断り方


 気怠げな表情をして。

 意味もないのに首を反らして、両手はポケットに突っ込むことが許される、イケメン。


 誰の話かというと、三つ離れた兄の友達――つまり、限りなく他人の話。






[ 彼女と彼の関係 ]


 ~ モブ吉岡さんとイケメン清宮くんのお約束な関係 ~






「なあ。何やってんの?」


「……私は牡蠣を焼いています」


 ステンレス製のバーベキューコンロの中で、炭がぱちぱちと音を立てて燃える。

 吉岡よしおか 梨央奈りおなは自宅の庭で、英語の直訳のような返事をした。


 梨央奈に声をかけてきた男は、僅かに眉を上げる。見知らぬ人間だ。梨央奈は警戒し、硬直して男を見ていた。

 吉岡家の玄関アプローチからは、わざわざ覗き込まない限り庭は見えない。庭に広がる焼き牡蠣のいい匂いに誘われてきたのかもしれない。


 男が足を踏み出す。梨央奈は牡蠣をひっくり返すためのトングをぎゅっと握り込んだ。僅かに顔を引きつらせた梨央奈から十分に距離を取った場所で、男は立ち止まった。そして、ゆっくりと口を開く。


「食わせてよ」


 炭火で炙られた牡蠣の出す磯臭い煙が、アイドルのライブ会場のスモークのように見えてしまい、梨央奈は忙しなく瞬きをした。


 自宅の窓から差し込む明かりで照らされた男は、引くほどイケメンだった。


 形のいい鼻と、くっきりとした二重の瞼。整った輪郭に、弧を描く薄い唇。むらなく染まったホワイトアッシュグレージュの髪色は人を選ぶだろうに、男にはとてもよく似合っていた。


 高い背に見合う足は長く、モデルのように体格に恵まれていた。

 低い声でゆったりと話す男は急かしてなどいないのに、梨央奈は妙に焦ってしまった。


「自分の分買って来るなら、焼いてもいいですよ」


 見上げていると、額から滴る汗が目に入りそうになる。突然話しかけられて狼狽しているせいか、必要以上に平坦な声を出してしまった。


 男は「ふぅん」と呟くだけでそれ以上絡んでくることもなく、梨央奈から関心を失ったかのように視線を外して、吉岡家に入っていった。




***




 ――梨央奈は小さな頃から、牡蠣が好きだった。


 小さくとも漁港の近くで育った梨央奈は、冬になる度に牡蠣を貪っていた。

 食卓に並べば、人より少しでも多く食べようと目をギラつかせ、「今日のご飯何がいい?」と母に聞かれれば「牡蠣!」としか答えず、学校から帰る度に「今日の夜ご飯何!? 牡蠣!?」と聞く梨央奈に、母がぶち切れたのが昨年――梨央奈が中学校三年生の冬だった。


『そんなに好きなら、自分のお小遣いで買ってきなさい!』


 ――自分の小遣いで牡蠣を買う。


 そんなこと考えたこともなかった梨央奈は、天啓を受けた気分だった。


 自分の金で買えば、好きなだけ食べられる。それも、全部自分のものだ。あのぷりっぷりの身も、身から溢れ出すしょっぱい汁も、貝とくっついて離れない噛み応えのある貝柱も――全てが全て、梨央奈のもの。


 なんだそれは天国か! と梨央奈はお年玉とお小遣いを握りしめて自転車に飛び乗り、近所のホームセンターへ向かった。

 一人用の小さな焚き火台は、昨今のバーベキューブームのおかげで、近所のホームセンターで簡単に手に入った。年嵩の店員は、何も知らない中学生の質問にも丁寧に答えてくれた。


『どこでするの? 何人でするの? 何を焼くのかな? ――そっか。なら炭はこのくらいあれば十分だよ。なくなったらまた買いにおいで』


 店員は梨央奈の自転車の後ろに、焚き火台と炭の入った段ボールを紐で括り付けるのを手伝ってくれた。家に帰って買ってきた荷物を置き、呆れる母に気付かない振りをして再び自転車に跨がる。

 次に向かった漁港でも、中学生の女の子が一人で牡蠣を買いに来たことにびっくりされた。


『ちょっと、ちょっとお父さん! 女の子がお年玉握って、牡蠣買いに来た! オマケしてやって!』


 牡蠣直売所のおじさんとおばさんは大はしゃぎで大きな水槽を見学させてくれた上に、「自分で選んでいいぞ」と梨央奈に牡蠣を選ばせてくれた。


 キロ売りしている牡蠣を買い、また自転車の後ろにくくりつけて梨央奈が家に帰るころには空は真っ暗だった。


 家の窓ガラスから漏れる明かりを頼りに、庭にバーベキューコンロを設置し、悪戦苦闘しながら炭に火を熾して食べた牡蠣は、あまりにも美味しかった。


 ――それからというもの、梨央奈は冬に牡蠣を思う存分食べるために生きていた。


 ギリギリまで迷っていた進学先は、近所のバイト可能な高校を選んだ。「軍資金を貯めるためにバイトをする代わりに、成績は落とさない」と、母と約束したため、勉学もおろそかにはしなかった。


 おかげさまで梨央奈は勉強もバイトも友人関係も無難にこなしながら、十一月から三月までの間、庭の一部で牡蠣を焼く日々を送れている。




***




「梨央奈、梨央。あんた万里ばんり君見た?」

「バンリクン?」


 思う存分牡蠣を平らげ、家に上がった梨央奈は母に捕まった。

 怒った直後にコンロと牡蠣を買ってきた梨央奈に、当初は当てつけかと腹を立てていた母も、本当に梨央奈が牡蠣を焼くのを楽しんでいることがわかってからは、割合好きにさせてくれている。


「お兄ちゃんの大学のお友達! めちゃくちゃイケメンやったわぁ! 梨央奈、会わんかった?」

「……頭、白い人?」


 有名人くらいしか、あんなに綺麗な顔で、あんなにスタイルがいい人を見たことがなかった。

 褒め言葉を口にするのが気恥ずかしくて髪色しか挙げなかったが、母には十分通じたようだった。


「そう! もう遅いし泊まってけって言ったんやけどね。今日は帰りますって。ほんっとう礼儀正しくて格好よかったわぁ。梨央、彼氏になってもったら? お母さん言ってあげようか?」

 母はテレビが大好きで、ミーハーなところがある。流行のK-POPスターのようなゴリゴリのイケメンと接し、血がたぎりすぎているようだ。


「やめて。いらんお節介すぎる……」

「まっ、普通に彼女おるわなぁ。あーあ、お母さんがあと二十歳若かったらなー」


 母が二十歳若ければ彼は赤ん坊だろう。よしんば彼がそのままの年齢だとしても、あんなイケメンの隣に立てる顔を、残念ながら何世代遡ったってモブ体質な吉岡家の人間は持ち合わせていない。


「梨央、おかえり」

「ただいまーたいちゃん」


 梨央奈がリビングへ行くと、兄の泰輝たいきも丁度部屋から降りてきた。大学一年生の兄は、吉岡家を代表するモブ顔で、特別不細工でもないが、特別整ってもいない。もし映画のオファーがあれば、エキストラとして遺憾なく才を発揮するタイプである。


 火のそばにいたとはいえ、冬の夜は冷える。冷たくなっていた体が、リビングの暖められた空気で解れた。


「なんか随分毛色の違うお友達やったね」

「変に懐かれちゃって」


 ソファーに座る兄の隣に、梨央奈も座った。梨央奈自身は認めていないが、兄とは普通に仲が良いため、ブラコンと言われることもある。


 あんなイケメンでモテそうでウェイってそうな人が、どこもかしこも人並みの、何の変哲もない兄に懐いているという事実に、脳みそがついていかない。


「梨央も懐かれたんやない? 清、梨央奈の話してたよ」


 キヨ。

 バンリクンは、ほにゃららキヨなんとかバンリクンらしい。


「なんて?」

「あれ誰? って」

「どこからどう見ても妹でしょうよ」


 三つ離れた兄と梨央奈は男女の違いこそあるが、並んでいれば必ず兄妹だとわかる風体をしている。少なくとも、友人にも、恋人にも間違われたことはない。


「梨央なんか言われた?」

「牡蠣食わせろって」

「え、あげたん?」

「あげるわけないやん」


(あそこにあるんは全部、私のものやもん)


 梨央奈は目をぎらつかせる。泰輝は「だよなあ」と頷いた。梨央奈が牡蠣にどれほど執着しているか、人一倍よく知っている兄である。なんといっても、夕食の席で梨央奈から牡蠣を一番奪われていたのは泰輝だからだ。


「食べたいんなら、自分の分は自分で買って来いって言ったよ」

「そやな」


 うんうんと泰輝が頷く。

 ソファーの背もたれにもたれかかりながら、梨央奈はどや顔で言った。


「まあ、買っては来んやろうけどね」





 ――と、自信満々に言ってのけたのだが。


「牡蠣、買ってきた」


 なんと男は、次の週にやってきた。


 陽が落ちないうちにと、夕日が照らす庭で炭の準備をしていた梨央奈のもとに、スーパーマーケットの袋を持ってきたのだ。



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