11:これが好きやなかったら、
「はーぁ。俺ってちっさ」
「まあ確かに、身長高くはないね」
「この流れで身長の話だとは思わんくない!?」
放課後、拓海と共に琥太郎のクラスにやってきた康久は、琥太郎の前の席に座ってだらだらと話していた。
嘉一は心に会いに行って不在で、拓海はスマホばかり見ている。どうせ恋人の夏帆と連絡を取っているのだろう。
琥太郎は学校から直接塾へ行くらしく、その前にと教室で自習をしていた。休み時間も放課後も、最近の琥太郎は常に参考書を開いている。
「ごめんね。ちょっとイライラしてたっぽい」
早雪に避けられていることで琥太郎のメンタルが削られていることなど露程も知らない康久は、琥太郎にしゅんとした顔を見せる。
「琥太でも余裕ない時あんだな……今日遊ぶか? バッティングセンター行く?」
「俺、ヤスのそういう所好きだから一生そうでいてほしい」
「任せとけ」
どーんと胸を張る康久に笑った琥太郎が「それで?」と尋ねた。
「何が小さいって? 肝? 器?」
「バッサリいったな」
スマホから視線を寄越した拓海が、琥太郎に突っ込む。「ぐっさり……」と呟いて、康久は琥太郎のテーブルに突っ伏した。ノートの上に覆い被られた琥太郎は、ついに苦笑してシャーペンを置いた。
「あのひーちゃんと付き合えてる時点で、ヤスの器は大きいことが保証されてるよ。誇っていい」
「何だよそれ。ひーちゃん可愛いだろ」
「顔はねえ」
「顔はなあ」
琥太郎と拓海がうんうんと頷く。
「いや、ひーちゃんほんと可愛いんだって!」
「どんなとこが?」
「えー……」
一二美の可愛いところなんて、康久にとっては一億個もある。
顔は勿論可愛いし、服も可愛い。パジャマも部屋着も可愛いし、大学へ行く時の服も似合ってるし、自分とコンビニに行く時のラフな服も可愛い。
康久をからかってもの凄く楽しそうにしているところも、康久が抱き上げても怒らないところも、理不尽な文句を言って甘えてくるところも、LINEを送るとすぐに既読をつけてくれるところも、康久が一二美の祖父と仲良くしてると実は嬉しそうなところも、少ない時間でも都合がつけば会いに来てくれるところも、康久に寄りかかる首の傾きも、耳の裏の丸みも、震える睫毛の長さも――
口を開いた康久は、その内のどれも口に出す前に凹んだ。
「ひーちゃん、男と距離近過ぎん?」
一二美は元来外に出る気質らしく、休みの日は方々に遊びに出かける。
行き先の多くは康久がまだ一緒に行けないような場所で、一緒に行けないメンバーだ。年齢の差は仕方がないとわかっていても、いつも遊びに行くのが男だと知るのは楽しくなかった。
一二美と会うと、何処に行くのか、誰と会うのかが気になって、つい聞いてしまう。一二美が「重っ」と言いそうな、面倒臭い男になってしまいそうだ。
だから康久は、どんどんと一二美に会えなくなってしまっていた。一二美は何度も誘ってくれるのに、何度も断ってしまっている。それに対して、彼女は何も言わない。
康久が断った日は、他の男と遊びに行っているのだろうかと勝手に落ち込んで、ほんの少し腹を立てて、嫉妬の悪循環で血がドロドロになりそうだった。
教室の椅子の上で体操座りをした康久を、拓海と琥太郎がきょとんとした顔で見た。
「え、今更?」
「どう見ても最初からそうでしょ」
「そうだけどさ?!」
にべもない二人に康久が顔を上げると、琥太郎が「そうだけどさ、じゃなくって」と真面目な顔で言った。
「付き合い出したんだし、他の男との距離感を改めてほしいって気持ちはひーちゃんに伝えたっていいと思うけど――元々距離が近いのを知ってて、そういうひーちゃんをヤスは好きになったんでしょ?」
琥太郎が真剣に考えてくることが伝わってくるので、難しいことを言われているが、康久も真面目に聞いた。
「だから我慢しろってことじゃなくって――なら、ヤスが凹んでるのは、ひーちゃんが男と距離が近いってことだけじゃないんじゃない?」
琥太郎に言われ、康久は姿勢を正す。
素直に考え直してみた。
康久は、一二美が可愛い。知れば知るほど可愛くなる。
強がりかもしれないが、一二美の行動を制限したくないとも思っている。
自由で楽しそうに生きている一二美が好きだ。男と距離が近いのだって――血縁の嘉一は例外として――琥太郎や拓海相手なら、別に焦らない。
(……だって、ひーちゃんは絶対、タクや琥太よりは俺の方が好きだもん)
焦りの理由が判明し、康久はハッとした。
康久は、不安なのだ。
一二美が相手を好きになるんじゃないかと、相手が一二美を好きになるんじゃないかと、遊んでいる男の顔も知らないから余計に、不安になる。
康久にとって大事なことは―― 一二美が他の男と遊んでいる間も、康久のものであることだ。
一二美の行動を制限するよりも、ずっとずっと、一二美の心を独り占めしていたかった。
『んー、これが
(馬鹿じゃん。これが
康久は、欲しいのだ。
一二美が自由に飛び回っている間、一二美が帰ってくる場所は自分だという、自信が。
「……俺、ひーちゃんに、好かれてるって自信がないんだ」
「え!? あれで?!」
「欲深いな!?」
康久が心底考えて、泣きそうになりながら呟いたというのに、琥太郎と拓海はぎょっとして突っ込んできた。一二美は人目を憚らないので、嘉一は勿論、琥太郎や拓海がいてもぺったりとくっついてくるために、二人はこんな反応をするのだろう。
「だって俺、好きって言われてねえもん……」
椅子の上で体操座りになって、康久は唇を尖らせた。
あまりに女々しいが、そんなことを自分はずっと気にしていたらしい。
付き合おうと言った時も、康久が何度好きだと言っても、一二美は同じ言葉を返してくれない。自分にだけ特別扱いをしてくれているのは伝わってくるが、それがいつ他の人間に向くのか、ずっと怖がっている。
「まあ多分、そこが康久にとって大事なとこだったんだろうね――とは言え、あのひーちゃんだからなぁ」
素直に言うとは思えないね、と琥太郎が眉を下げて笑っていると、廊下の方からざわざわと声が聞こえてきた。
「早く!」
「待てって!」
「なんかあったん?」
「なんか校門にめちゃくちゃ美少女がいるらしい」
「美少女!? 何タイプ?!」
「清楚系って!」
「まじか、俺も行く!」
廊下で騒ぐ男子生徒の声を聞き、康久と拓海はつい窓の向こう――校門に視線を向けた。
「うわ、あれ?」
「もしかして、囲んでんの……? えげつな……」
断じて、一二美に誓って、美少女が気になったのではない。ただ、校門に美少女がいるという現象が気になっているだけである。
調子に乗った男子が美少女に話しかけ、話していることで話しかけやすくなった次の集団が話しかけ――と芋づる式に増えていったのだろう。校門は人だかりが出来ていた。校舎の方を見下ろすと、男性教師が走って校門に向かっている。
「ひーちゃんなんじゃない?」
「ひーちゃんなら、あんな囲まれんやろ」
琥太郎に笑って返す。以前一二美が康久に会いに来てくれた時は、あまりにいかつい車に乗った気の強そうなサングラス美女に、全男子がびびっていた。車の半径二メートルには近付かないように、誰もが避けて通っていたくらいである。
「あ。ちょっと見えた」
「黒髪ロング。顔までは見えんな」
「誰かの彼女かな――」
拓海と一緒にしげしげと見つめていた康久は、ピタリと動きを止めた。
そして男子生徒に囲まれている黒髪の女性が誰かを理解し、一瞬で青ざめる。
「――~~~!?!?!」
言葉にならない悲鳴を上げて、康久は教室を飛び出した。百メートル十一秒台の自慢の俊足で校門に向かう。
「……――っ前なあ。こんな格好で通って来たこと、一回もなかったやないか! なんで三年前にこれをせんかった!」
「ちょっと森セン、卒業してまで服装指導とかまじないわ……ダルすぎ。萎える」
「職員室で他の先生達に見せて来い。涙流して喜ばれるぞ」
「悪いけど、今日喜ばせたいのは先生やないんで――」
「ひーちゃん!?」
大勢の生徒に囲まれながら、教師と話す黒髪の清楚系美少女――一二美のもとまで駆けつけた康久は、走りながら脱いだ学校指定のコートを、ガバリッと一二美の髪にかぶせた。
集まっていた周囲がぽかんと二人を見つめる中、誘拐犯のように一二美の顔を覆った康久は、コートごと一二美をぎゅうううと抱き締める。
「なんで?!?!」
「遅い」
「なんでこんな可愛いかっこしてんの!!?? いつもの、お前らごときが私に話しかけんじゃねえとばかりの格好いい服とお化粧は!? 錐かよってぐらい細くて高いヒールは!? ド派手で綺麗なピンクの髪は!? アイコスは!? おっちゃんの車は!? サングラスは!?」
目の前に立つ一二美は――髪を真っ黒に染めていた。
いつもは丁寧にコテで巻いている髪もすとんとストレートにして、化粧も普段に比べると色味がない。服装もいつもの一分の隙もないお洒落なお姉さん、という風体から、ちょっと可愛い女子校生といった風なコーディネイトになっている。
正直、康久の好みど真ん中だった。
「そんなのしてたらおびき寄せらんないでしょ」
一二美が冷たい声色で言う。一二美は康久の腕の中で身じろぎもしない。
「ひ、ひーちゃん。それ、俺のためにしてくれたの……?」
「うっさい、馬鹿。死ね」
康久のコートの中で悪態を付いた一二美だったが、最後の言葉は語尾が震えていた。
「――う、うぅ、うっ……」
そしてそのままぶるりと全身を震わせたかと思うと、コートの中で泣き始める。
「うわああああーーーーん!!」
「わー!!??」
混乱する康久の首に、一二美がぎゅっとしがみついた。そのままわんわん泣き続ける一二美を、康久は衝動的に抱き上げた。
「おい、中田。大丈――」
「森セン! 俺、帰るから! じゃあ!」
「は? おい、中田! ――お前、上履きのまんまで!」
森山先生が後ろから康久に何か言っていたが、康久はびろーんと首にぶら下がっている一二美をとにかく早く家に連れて帰ってやらねばということしか、考えられなかった。
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