09:ワンコ系とにゃんこ系と犬と猫


 思えば一二美は昔から、好いた相手にはとことん弱かった。


「さーゆー」

「どーしたの」

「さーーゆーー」

「はいはい」

「さーーーーゆーーーー」

「なんだっつのよ」


 早雪の膝の上でゴロゴロしていた一二美は、注がれる視線に満足していた。琥太郎が「まじで羨ましい」という怨念の籠もった目でこちらを見ているのだ。


 八月ごろ、早雪と琥太郎の距離感がガラッと変わったことから何かがあったことは把握しているが、細かいところまでは聞いていない。しかし、「さゆちゃん俺も……」と早雪に膝枕をねだりにこないところを見ると、二人の仲は進展ではなく後退しているのは確かだ。


 ぞくぞくと満足感に震えながら、早雪の膝にまた頬を擦り付ける。稲刈りの手伝いを終えた体に、早雪の膝が染み渡る。


 廣井家に生まれたものならば、子どもであっても女であっても受験生であっても、例外なく稲刈りは参加しなければならない。今日は小さな頃から手伝ってくれている早雪と共に、琥太郎や拓海、康久も手伝いに来ていた。


「皆、お腹足りてる? あっちから貰ってきてあげよっか?」


 早雪が主に拓海と康久に尋ねると、「大丈夫です」と二人とも遠慮を見せた。


 座敷からは酔っ払いの大きな笑い声が響いてくる。稲刈りを手伝ってくれた近所の人らを夕飯に招いているのだ。

 酒が進んだ場は子供には楽しくないだろうと、別室で食事を取る許可を貰い、子どもは居間へ移動していた。先ほどまで台所に立たされていた一二美と早雪もようやくお役御免となり、居間へと身を寄せている。


 座卓の上にある盛り鉢は、育ち盛りの男子高生四人によって、既に食べ尽くされている。


「遠慮しないしない。なんか食べたいのとかあれば作るよ、嘉一が」

「俺かよ」

 テレビを見ていた嘉一が早雪に突っ込む。


「お茶漬け食べたい」

「刺身、どうせ余るだろうし漬けとくか」


 付き合いや見栄えを優先して沢山注文される料理は、アルコールばかりを胃に入れる大人の席では余ってばかりいる。嘉一が刺身を貰いに座敷へと向かった。


{――ワンコ系、にゃんこ系のお話を伺いましたけどね、今は年下の男性を年下男子〜なんて言い方もするらしくって}

{へぇ! 年下男子!}

{浅見さん、お詳しいですよね! 以前お噂になってた彼も、ねぇ?}

{ちょっと。言うならはっきり言ってもらえませんか?}

{あっはっはっはっは}


 適当に流していたテレビから聞こえてきた話題に、早雪が顔を顰める。居心地の悪そうな早雪のためにも、一二美は拓海に話しかけた。


「ワンコ系、にゃんこ系だって。なんでワンコはカタカナで、にゃんこはひらがななの?」

「勉強不足で。すみません」

 拓海が一二美に向かって深々と頭を下げる。さっさと会話を切り上げようとしている拓海に、意地悪ついでに突っ込んで尋ねる。


「タクはさ、まだ早川ちゃんと続いてんの?」

「恐れながら」

「早川ちゃんは? にゃんこ系? ワンコ系?」

「えっ……スタンプは柴犬すけど……本人? どっちだ……?」


 夏帆のスタンプが柴犬というもの凄くどうでもいい情報を手に入れた。「犬……いやでも猫っぽさも……」と本気で悩み始める拓海に、琥太郎が「早川さんは犬じゃない?」と口を挟んだ。


「ヤスは犬っぽいよね」

「確かに一択だわ」


 早雪の言葉にうんうんと頷くと、康久がにぱーっと笑う。


「ひーちゃんは猫っぽいね」

「大丈夫? ひーを猫扱いなんかしたら、愛猫家に怒られたりしない?」

「ちょっとさゆ、どういうことなの」


 犬でも猫でもどちらでも構わないが、ディスられているのは敏感に感じ取った。一二美が体を起こすと、早雪が本当の猫の背を叩くようにポンポンと一二美のうなじを叩くので、どんどんと力が抜けていく。


 稲刈りのせいで疲れていた体に、トントンの魔法はよく効いた。早雪の膝の上で一二美がうつらうつらとしていると、話題はどうやら本物の動物の話へと移行していたようだった。


「ヤスは犬と猫どっちが好き?」

「犬!」


 面白いほどに即答だった。


「散歩とか一緒にしたくってさー。昔、隣の家が飼ってたんだけど、もう車のエンジン音するだけで『おかえり!』ってワンワンワンワン! って吠えんだよ。めちゃくちゃ可愛かった」


 康久の明るくハキハキした声は、眠気に負けそうな耳にも嫌になるほど鮮明に届く。一二美は早雪のお腹に顔を埋め、ぎゅうううと抱きついた。


「あれ、ひーちゃん? 起きた?」


 康久が目ざとく一二美が動いたことに気付いたが、一二美は無視した。


(猫だって、散歩も飼い主のことも、めっちゃ好きな子だって、いると思いますけど?)


 ムカムカとして早雪の腹を絞れば、早雪が「どうしたもんかねぇ」と笑う。


「起きたなら、チェーンジ」


 いつの間にか近くに来ていた康久が、一二美の両脇に手を入れる。そのまま一二美を早雪からべろーんと剥がした康久は、自分の膝の上にゴロンと横にさせた。


「ひーちゃん、次こっちね」


 わーしゃわしゃわしゃーと、康久が一二美の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。


「んー! ひーちゃんカワイー! めっちゃ好き!」


 女の髪を撫でたこともないような、もつれも絡みも恐るるに足らずといわんばかりの容赦のない手つきなのに、一二美は怒ることもなくじっとしていた。


「なるほど、これはこれでどうにかなってんのか」


 感慨深そうに呟いた早雪に返事をせず、一二美は康久の膝の上でまたとろんとろんとまどろみ始めた。




***




 一二美の部屋で、一二美と康久はくっついていた。康久が壁によりかかり、一二美は康久の胡座の間に座っている。


「ひーちゃん、髪の毛の色変えた?」

「あー。色抜けてきてる」


 早雪の勧めでピンクラベンダーに染めた髪は、一週間、二週間と経つうちに、髪の色がベージュっぽく変色していった。


「めっちゃピンクっぽい時あったよね」

 髪の毛の扱い方を教えてから、ひとまずキューティクルに恨みがあるのかというほど表面を撫で回されることはなくなった。


 康久は骨張った太い指で、恐る恐る一二美の頭を撫でている。一二美がちらりと顔を向ければ、一瞬体を硬くさせ、顔を赤くしてにへらっと笑う。


「ピンクの髪嫌い?」

「好き!」

「でも康久は黒髪清楚が好きなんだよねぇ」

「えっ……」


 振り返ると、一二美を膝に乗せた康久は笑顔のまま固まっていた。相変わらず、咄嗟の方便は苦手な男だ。


 しばらく沈黙が続いていると、ようやくことの次第に気づいたように、康久が慌ててフォローした。


「ひ、ひーちゃんなら何色だって……!」

「へえーじゃあ黒髪の私は見たくないんだ」

「えッッ!? 見たい! する予定あんの!?」

「なーい」


 沈黙の腹いせに意地悪してやれば、即座に康久は落ち込んだ。康久の胸に背を当てると、一二美は「ばーか」と呟いた。


「ひーちゃんなら何色だって好き……」

 一二美の頬に自分の頬をあて、康久がすりすりと顔を寄せる。


「私の好きなタイプは気になんないの?」

「え……気になる。けど怖い……」


 しおしおとしおれた康久が一二美の肩に顔を埋め「どんな男?」としょんぼりして聞くので、一二美はにっこり笑って言ってやった。


「私との身長差が二十センチくらいで、野球が好きで、足が速くて、笑顔が可愛い子」

「俺やんー!」


 にぱーと笑顔を輝かせて、康久が顔を上げる。

 一二美は小首を傾げてピアスを揺らし、一番可愛い顔を見せた。


「うっわ! かわい! ちょ、ひーちゃん可愛いから。だめだめ可愛い! 大好き!」


 康久が一二美の頭に鼻を埋め、ぐりぐりと顔を振る。

 可愛いと言わせるためにやったポーズだったが、髪がこれ以上乱れるのはいただけない。


「ヤス、もう離して」

「はーい」


 笑顔のまま一二美からパッと離れる康久を、一二美は鋭い目で睨んだ。


「――ヤスは、私がちょっと文句言うと、すぐ言う通りにする」

「ええ?」


「離してって言っても離さんでよくない?」

「ええ??」


「ヤスは抱っこしてたくないの?」

「し、してたい!」


「なら私の意思は関係なくない?」

「え……な、ない……? かな……?」


 困惑しつつも、常に一二美を優先しようとする康久に、一二美は低い声を出す。


「ないんだよ」

「はい」


 ドスの利いた声に、康久は従順に頷いた。


「離してって言っても離すな」

「はい!」

「うるさいって言っても好きって言え」

「はい!!」

「抱っこって言わんくても抱っこしろ!」

「はい!!!」


 大きな声で返事をする康久が、ぎゅーっと一二美を抱き締めた。一二美はそれに及第点をあげることにし、康久の膝の上でスマホいじりを再開した。




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