03:可愛いおもちゃ


「鞄欲しいー。そろそろホワイトデーだし、全員まとめてでいいよ」

「高校生にたかんな」


 いつものように嘉一の部屋のベッドに寝転がり、一二美はスマホを見ていた。

 嘉一といえば、何が面白いのか銃を持って走り回るゲームに夢中で、一二美のことなど気にもかけていない。しかし相手をしなければ、暇を持て余した一二美が嘉一の友人にちょっかいをかけるので、嫌々ながらも対応しなくてはならないのだろう。


 高校二年生の冬にもなると、琥太郎はぱったりと遊びに来なくなっていた。どうやらかなり受験に力を入れているらしい。

 よく遊びに来る拓海と康久も大学受験はするようだが、こうして集まってゲームをする程度には、手の届く進学先にしたようだ。


「タク、ちょっと見なさい。あんたなら早川ちゃんにどれ贈る?」


 恋人の名前を出せば、拓海は「ちょっと待ってください」と操作キャラクターを人の目につかないところに隠し、一二美のスマホを覗き込んだ。そして少し考えた末に、おずおずと液晶パネルを指さす。


「……こっち、です」

「ふーん」

「おい、ひー。聞いたならちゃんと反応しろ」

「だってタク、平凡すぎて面白みがなかったんやもん。ヤスは?」

「え?! 俺が夏帆ちゃんに贈んの!?」

 康久が拓海の彼女の名前を叫ぶ。


「馬鹿たれ。あんたは私に決まってんでしょ」

「えー待って。想像する」

 携帯ゲーム機を両手で握ったまま、康久が目を閉じた。


「おいヤス! んなとこで突っ立ってんな!」

 嘉一に怒鳴られても、康久は「うーーん」と唸ったまま目を開けなかった。スマホに視線を戻していた拓海が「あ、ヤス落とされた」と呟く。


「こっち!」


 三色ある鞄のラインナップの内、一二美が一番可愛いと思っていた鞄を、康久が指さした。


「じゃあ買うならこっちにしよ」

「えー!」


 一二美が、康久が選んだ物と違う鞄をタップすると、康久がショックを受けた顔をする。それを見て、一二美は腹がよじれるほどに笑った。





 ――後日、康久が選んだ鞄を持っていたところを見られたが、康久は鞄のことなどすっかり忘れていて気付きもしなかったため、一二美は無言で膝カックンをした。




***




「あ、はみ出た」


 ペディキュアを塗っていた一二美が、肌についたインクをコットンで拭き取る。くすみ色の青みピンクは最近気に入っている色のひとつだ。


「ひーちゃん、さっきから何やってんの?」


 春一番が入り込む風通しのいい内縁うちえんでしゃがみ込んでいた一二美の背後から、にょっと康久が現れる。どうやら遊びに来ていたらしい。

 背中から覗き込まれた一二美は、顔を上げて口を開いた。


「ネイル。康久、座り」

「ん?」

 座れと言われれば、何の疑問も持たず康久は座った。康久のふくらはぎを掴み、靴下に手を掛けようとする一二美を、康久は慌てたように止めた。


「待っ、待って待って待って。何してんの!」

「ネイルしてやろうと思って」

「それはいいけど、汚いから!」

「は?」

「駄目だって、ばっちぃ。脱がせたいの? 自分で脱ぐから待ってて」


 康久は一二美の手から逃げるように自分の足を抱えると、両足の靴下を潔く脱いだ。「匂うかな?」と足を器用に折り曲げて自分の鼻に近づけ、顔を顰める。


「ひーちゃん、ちょっと待ってて! ――かいっちゃんのじっちゃーん! 外の蛇口貸してー!」

「おー。ヤスか。勝手に使えー」


 康久は自分の鞄からスポーツタオルを取り出すと、土間で靴を履きつつ、外で農作業をしていた祖父に声をかける。

 数分外に出ていた康久は、足をタオルで拭きながら戻って来た。ズボンの裾が若干濡れている。外のホースで足を洗ってきたのだろう。


「まだ匂うかな……はい、どうぞ」


 心配そうな表情を浮かべながらも、内縁に戻って来た康久が足を差し出した。

 嘉一にネイルをしようとすれば力の限り抵抗されるため、その従順さに一二美は驚きつつも足を掴んだ。


「いい心がけやん。ネイル、綺麗なまま一週間過ごせたら、付き合ったげる」


「まじで?! ほんとに?! めちゃくちゃ頑張る!」





 目を輝かせ、鼻息荒く頷いた康久は順調に六日間を過ごしていたらしい。のだが―― 一週間後の最終日に奇跡的なタイミングで服装チェックが入った。


 先生から「お前は何をやっとんじゃ!」と散々怒られた康久が事情を説明すると、職員室は大爆笑に包まれたという。


 大笑いする先生らに囲まれながら除光液で手足の爪を拭き取らされた――と康久がしょんぼりながら、泣くほど笑う一二美に語って聞かせた。




***




「ひーちゃん! 見て! 見てこれ!」


 廣井家に上がるなり、台所で牛乳を注いでいた一二美の元に、康久が簡易テストの答案用紙を持ってくる。


「あらー。お粗末な点数」


 早雪の入れる丁寧な飲み物は大好きだが、自分一人では牛乳をグラスに注ぐ程度の労力しかかけたくない一二美は、グラスを傾けて牛乳を飲みつつ、康久のテスト用紙を覗き込んだ。


「違う! そこやなくって! ほら、ここ!」


 康久が焦りつつ指さしたのは、答案用紙の隅に綺麗な文字で書かれたLINEのIDだった。


「ねえこれ! 後ろの席の子と採点しあった時に書かれてたんやけど、俺に気があんのかな!?」

「おー。こりゃあるね、バリバリあるわ。童貞きってもらってこい」

「やったー!」


 答案用紙をかかげて康久が喜ぶ。


「春来ちゃうんやないのー。どんな子なん?」

「黒髪で清楚系で巨乳!」

「ヤス、好みそう~」


(清楚がテスト用紙にLINEのIDねえ)


 とんだ童貞殺しだなと、一二美は牛乳を飲む。そしてにっこりと微笑んだ。


「相手の子、奥手やろうからガンガン押していけ」

「うん!!!」




***




「あっ」


 聞き慣れた声に、駅の近くを歩いていた一二美は足を止めた。一二美が足を止めたことで、隣を歩いていた男も立ち止まる。


 一二美らを見て声をあげたのは康久だった。康久にも連れがいて、なんと康久と同じ学校の制服を身に纏った、可愛いらしい女子高生だった。


 一二美はピコーンと合点した。猫のように口をにんまりさせながら、一二美は康久に近付く。


「ヤスやん~。なに? デート?」

「デッ……! う、へへっ……」


 デートという単語にすら照れるのか、康久が顔を真っ赤にして首に手をあてた。一二美は小首を傾げて、ヤスの隣にいた女子高生に挨拶をする。


「こんにちはー。ヤスの友達のお姉ちゃんでーす」

「こんにちは」


 女子高生が控えめに挨拶を返す。一二美はにこにこと微笑んだ。


「こないだ言ってた子? ほんとに可愛い子やんー」

「へへ、へへへっ!」


 まるで自分が褒められたかのように喜び照れる康久に、一二美は更に笑みを深めた。


「ヤス」

「はい!」

「私とこの子、どっちが可愛い?」


「――え」


 にーっこりと微笑んでいる一二美を見下ろす康久が、首に手を置いたまま固まった。


「……」


「……」


「……え?」


 長引く沈黙に、驚いた女子高生がぽつりと零す。

 その女子高生の声が引き金となったように、康久が顔面を青ざめさせた。

 沈黙が答えになってしまったことを察したのだ。


「――ぷっ、あっはっはっはっはは!」


 噴き出した一二美は、康久の肩に寄りかかって笑い転げる。


「……あっそっ。私だって、中田みたいにがっついてる男、興味ないし」

「えっ、えええ?!」


 恥をかかされた女子高生は冷たい視線で康久を睨み付け、一人で駅に向かう。

 その女子高生の後ろ姿を、康久が涙を浮かべて見送る。


「廣井先輩、どうすんすか」


 声をかけられるまで、完全に連れの存在を忘れていた。

 これから一緒に出かける予定だった後輩――清宮きよみや 万里ばんりが、気だるそうな空気を出しながら、無表情でこちらを伺っている。


 道を歩く女性がほぼ全員、容姿の整った万里を二度見する。一二美は万里を見てにっこりと微笑むと「ごめーん」と言った。


「私、今日この子と帰る。皆にはまたって言っといて」

「うぃす」


 万里は一二美に「じゃあ」と言って別れると、駅に向かって歩いて行った。


 視線を感じてふと顔を向けると、うるうると目を潤ませた康久が一二美を見下ろしていた。その顔を見て、一二美はまた噴き出す。


「あっはっはっはっは!」

「ひーちゃんの鬼ぃ……」

「えー。鬼とかひどーい。私のせい? あの子だ、って即答しないヤスが悪いんやん?」

「そーやけどさー!」

「まあ、あれはヤスの手には負えんかったよ」


 康久から話を聞いた時は、純粋培養の黒髪清純派巨乳の可能性もあるかなと考えてもいたが、先ほどの冷たい視線を見るに、その可能性は低いだろう。


(あれじゃ、自分を上げてくれるキープ止まりやろ。本命の彼氏は他校にでもいそう)


 想像でしかないが、当たらずとも遠からずなはずだ。


 どのみち、康久が彼女を追いかけもせずに一二美と話し込んでいる時点で上手くは行かなかっただろう。


「次は私より可愛いの掴まえて来な。そうやない限り、またいつか別れるよ」

「そのいつかまでを、俺は楽しんでみたいの!」

「はー、くそ笑う。そんな男から逃げられてよかったやん、あの子。LINE見てみ、ブロックされてんじゃないの?」


 はっとしてスマホを取り出した康久がLINEを開くと、案の定ブロックされていたらしく、ガーンッと落ち込んでいる。


「あっはっはっはっっはっはっは!」


 その様子が楽しくて楽しくて、一二美は大声を上げて笑う。


「ほら、これあげるから元気出しな」


 一二美は鞄から、ヨーグルトタブレットのお菓子を取り出した。康久は「ひーちゃん、俺お菓子で喜ぶほど子どもやないよぉ」と文句を言いつつも、手を差し出す。


 それがまた面白くて笑えば、康久は「もー」と一緒に笑い始めた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る