02:バレンタインのチョコレート


「ひーちゃん!?」


 バレンタインデーに会う予定だった男にドタキャンされた一二美は、気分転換にネイルサロンへ行っていた。


 その帰りに駅前で呼び止められた一二美は足を止めた。髪をふわりと広げながら振り向いた一二美を、通行人達が振り返る。


「ヤスやん」


 一二美の名前を呼んだのは、学生服を着た康久だった。下校途中なのだろう。数人の男子と一緒にいるようだった。


 康久と初対面を果たしてから二年近くが経つ。

「親友になる」という予定に違わず、康久は嘉一に会いに頻繁に訪れていた。

 人懐っこく誰にでも好かれる康久は、ことあるごとに廣井家で催される行事ごとにも積極的に顔を出すため、立派な廣井家の労働力――もとい、よき友人となっていた。


「ひーちゃん! お荷物お持ち致しましょうか?!」


 電車通学の康久が一緒にいた友人を置いて、ビュンッともの凄い速さでこちらへ駆け寄ってきた。はち切れんばかりに尻尾を振っている幻影が見える。


「めっちゃ可愛い、輝いてる。今日の服も綺麗!」


 日頃からうざったいほど元気な男ではあったが、こんなに馬鹿っぽかったろうかと考えた一二美は、馬鹿ではあったな、と脳内で結論を出す。


 けれどいつも以上にお馬鹿さが増しているのは何故だろうか。しかも、そわそわもしている。

 一二美が隣に置く男達よりかは幾分か小さいが、小柄な彼女よりも二十センチは大きな体をかがめ、康久がこちらの反応を伺う。


「――ははーん」


 今日の日付を思い出した一二美は、暇つぶしに挙動不審な康久で遊ぶことにした。


「今からコンビニ行くんだけど、ついてくる?」

「っ! 行く!!」


 康久は一緒に帰る予定だったろう友人らを振り返り、大きく手を振った。意味までは聞き取れないが、友人らは地団駄を踏んで悪態をついているようだ。

 悪ノリして、一二美も振ってやる。にこりと微笑む一二美を見ると、彼らは途端にしおらしくなり、次々に頭を下げて駅の構内へと消えていった。


「荷物持ちたいの?」

「持ちます!」

「可愛い、って言ってたけど、今日だけ?」

「いっつもです! でも今日はいつも以上に可愛いです!」


 一二美が歩き出すと、一二美の荷物を持った康久も後ろからついてくる。財布とスマホぐらいしか入っていない軽い荷物を持たせる意味などなかったが、一二美のクラッチバックを持った康久は、映画の券を持って列に並ぶ小学生のように嬉しそうだった。


 駅の近くのコンビニに入ると、店内はバレンタインデーの装飾に彩られていた。ピンクや茶色でデコレーションされた店内を見渡すやいなや、康久の挙動が更に不審になる。そわそわキョロキョロとしている康久を引き連れ、一二美はドリンクコーナーへ向かった。


「ヤス〜。ジュース買ったげようか?」

「ジュ、ジュースはいい……!」

 康久の目的のものはそれではないらしく、遠慮しながらも遠慮なくブンブンと首を横に振る。


「えー? 喉渇いてないの?」

「乾いてない。全然乾いてないよ」

「そ。じゃあ私の分だけジュース買ってかーえろ」

「――……ひーちゃん!」


 帰ろう・・・という言葉に反応した康久が、「こっち、こっち来て」と一二美の二の腕を引く。一二美が女だとわかっているか問いたくなる力強さだ。力加減を知らない康久に引っ張られてしまえば、百五十センチちょっとしかない一二美など簡単にチョコレートコーナーに連れて行かれる羽目となる。


「見て! チョコ! 美味しそうやない!?」

「あっ、本当。どれが美味しいかなー?」


 顎に指先を添え、一二美がチョコレートを吟味する真似をし始めると、康久が喜色を浮かべる。


「俺、これ! これが美味しそうだと思う!」

「そうやね。んじゃそれ買お」

「!!」


 一二美の後ろを、スキップでもしそうな足取りで康久がついてくる。

 大して身長が高いわけでも、格好いいわけでもない康久を連れていることに優越感などない。なのに、にこにこついてくる康久が可愛いと思ってしまった。


(こういう系の男とは、面倒そうで遊ばないからなぁ)


 現在、一二美に彼氏はいない。ただ、よく会う男が複数いるだけだ。


 その誰もが、美しい一二美の隣に相応しい男だ。

 ただこういう日に約束をしていても、ドタキャンしたって許される女と思われているだけ。お互い様な時もあるし、気楽な付き合いを望んでもいるので、そのことを責めるつもりはない。


 ただ、こういう馬鹿な男に一途に愛されるのはどんな気持ちなんだろうと、こういう時には少し思うこともあった。





「うっ……うっうう……」


 一二美の部屋で、康久が泣き崩れている。

 三分前まで「女子の部屋だ……」とそわそわわくわくしていた表情とは、まるで正反対だ。


 居間には祖父母がいたため、わざわざ部屋に招き入れてやったというのに、康久はぐしゃぐしゃに顔を濡らして泣いている。


「あー美味しー。甘ーい」

「ひーちゃん……うう……うううう……」


 先ほどコンビニで買ってきたばかりのチョコレートの封を解き、一二美は六つ入りのチョコレートの三個目を口に入れようとしていた。


「んー。やっぱり高いチョコは格別」

「ひーちゃんっ……!」

「なーにー?」


 三個目のチョコレートを指で摘まんだまま、一二美は康久に返事をする。


「てっきり、俺にくれるんだとばかりっ……!」

 涙に暮れた康久が一二美に文句を垂れる。


「くださいも言わない駄犬にあげるチョコがこの世に存在するとか私、知らんかったわー」

「ください! ひーちゃん! 俺にその美味しそうなチョコを! どうかください!」


 光明が差したとばかりに、康久は一二美に懇願した。

 一二美はにっこりと微笑む。


「なんで?」

「バレンタインだからです!」

「前世からやり直してこい」

「なんで?!」


 琥太郎を育てる早雪を見て「あれ楽しそうだな」と思っていたのだが――どうやら元々の素養が違い過ぎたようだ。

 琥太郎なら「大好きなさゆちゃんからのチョコレートが欲しいから(ハート)」くらい難なく言ってのけるだろう。チロルチョコでも歓喜するに違いない。相手が早雪に限定されるが。


「もっかい聞くから。なんで?」


 自分の返答が駄目だったことには気付いたらしい康久が、顔中に皺を寄せて考え込む。


「チョコが……欲しいからです……?」


 駄目だ。これ以上の期待は出来ないだろう。一二美は相手に過度な期待はしない女である。


「ヤスは誰からでもいいんだ?」

「そんなわけない!」


 誘導してやれば、どう答えればいいのかわかったかのように康久の顔が輝く。そうよねそうよね、と頷く一二美に、康久が大きな声で言った。


「女子からほしい!」

「殺されたいわけ?」

「えっ!!??」


 赤点からゼロ点に自ら点数を下げにきた康久を、一二美はねめつけた。


私だから・・・・、ほしいんよね?」


「――っは! そう! そう! そりゃ勿論! ひーちゃんだから欲しいんです!」


 正解を差し出してやったのに、正解を自力で見つけたとばかりに顔を輝かせ、康久が頷く。

 面白いくらいにころころ表情の変わる康久に噴き出しそうになったが、一二美はぐっと我慢した。そしてしなをつくり、くすんと泣き真似をする。


「でもさっきのヤスの冗談に傷ついちゃった……女の子なら誰でもいいみたいな……」


「ああああ! 世界一可愛いひーちゃんから貰いたいんです!」


「早くそう言いなさいよ」


 指で摘まんだままだったチョコレートを、康久の口に持って行ってやる。康久は「え!?」と声をあげて一瞬動きを止めたが、この機会を逃してなるものかとでもいうように、俊敏にチョコレートに齧り付いた。


「美味しい……! 最高の味……! ひーちゃんありがとう!」


 涙を流して感謝する康久にほだされて微笑む。


「お返しは三倍ね」

「クラスの女子より優しい!」

「あ?」

「クラスの女子、三十倍って言ってたから」


 口の中でチョコレートを噛みしめている康久に、一二美はにっこりと微笑んだ。


「なら私は三百倍ね」


「ひぇっ」



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