24:カルーアとカシオレ

「ちゃんとする、って言ったのにぃ!」


 ダンッ、とビールのジョッキを、早雪は居酒屋のテーブルに叩き付けた。


「可愛くこっち見るんやもん! 絶対可愛いのわかってやってるんやもん! 隙あらばって思ってるの丸わかりなんやもん!」


 街がクリスマスに向けて準備運動を始める、十一月。美容室は閑散期を迎えていた。また忙しくなる前にと、店長の誘いでスタッフ全員出席の飲み会が開かれていた。

 早雪と同じアシスタントは全部で三人いて、一人はスタイリストになるための技術試験を受けている。


 何処の職場でも同じように、飲み会は新人や見習いがせかせかと動く。早雪も例に漏れずせっせと先輩らのために動いていたのだが、途中からは動くよりも飲めと先輩の隣に座らされ、次から次に現れるジョッキをありがたく飲み干していたら――いつの間にかベロンベロンになっていた。


「なになにー? 面白そうな匂い」

 早雪の叫びを聞いて席を移動してきた女性スタイリストが、早雪の隣にいた男性スタイリストに尋ねる。


「なんか年下に口説かれてるんやって」

「え、いいやーん。食っちゃいなよ。西って今一人でしょ?」

「一人ですけどぉ、駄目なんですぅ」


 駄目なんですぅ。と大事なことなので二度言った早雪は、机にぐりぐりと額を押し当てたまま力尽き、動かなくなった。


 ――最近、琥太郎が弟攻撃にはまっている。


 早雪が拒否出来ないギリギリを狙っていたり「でも昔はさゆちゃんからしてたよ?」と揚げ足を取ってきたりする。

 これは危ないと、休日などはなるべく廣井家に逃げている。おかげで嘉一のご飯が大変美味しい。


 離れた席で飲んでいた宇津木店長と、その奥さんのマネージャーが早雪を見つけ、顔を顰める。


「あーあ。西さん潰れてるじゃない」

「今コンプラ厳しいんだから、飲ませすぎちゃ駄目だよ。ほら、西さん。起きられる? 一人で帰れる?」


 宇津木店長が早雪の肩を揺する。早雪は「大丈夫」と言ったつもりだったが「うー」と、微かに呻き声しか出なかった。


「大丈夫ですよ店長。俺、送ってくんでー」

「駄目駄目。お世話になってる人の娘さんなんだから。男に送らせるとか、俺が顔向け出来なくなんでしょうが――ほら、西さん。典子さんに連絡入れるから、迎え来てもらいな」


 宇津木店長は男性スタイリストをシッシッと追い払うと、自分のスマホを耳に当てた。




***




「あーらら。ご迷惑おかけしちゃって。そこら辺にぽーいってしてくれててもいいけど。あ、駄目? 仕方ないわねぇ。じゃあ今から迎えに行くから、うんうん」


 いつものようにリビングで勉強をしていた琥太郎は、夜中に震えた典子の電話から聞こえる声に耳を傾けていた。

 典子がスマホを切ると同時に、琥太郎は「さゆちゃん?」と尋ねる。


「そうー。早雪の店の店長さんから、酔い潰しちゃってすみませんって電話が掛かってきてね」

「迎え行くの?」

「宇津木君に迷惑かけられないからねぇ」


 勉強代としてタクシー代払わせてもいんだけど、宇津木君が払っちゃいそうだし。と典子は呆れ顔だ。


「全く、帰ったらお説教よ。昭平さーん、ちょっと出てくるから」


 入浴中の昭平に廊下から声をかけた典子の後ろに、琥太郎も続く。


「琥太ちゃん?」

「俺もついてく」


 にこっと微笑む琥太郎を、典子はため息一つで引き受けた。





「すみません。西 早雪を引き取りに来ました」


 泥の吹きだまりのような居酒屋の喧噪の中に、清流のごとく澄み切った声が割って入った。

 たたきのフロアから一段上がった座敷間の、障子で仕切られた個室の中で酒を酌み交わす人々の視線が、一挙に集まる。


 はいはーい、と軽く対応しようとしたスタイリストの女性が、琥太郎を見て飛び出らんばかりに目を丸くする。


「え?! さっき言ってた年下君?!」

「ちょ、背ぇ高っ! 股下えぐっ!? スタイル良すぎん?!」

「待って待って待って、私この子絶対どっかで見たことある……どこだっけ……」

 席に座っていた女性スタッフが、一目琥太郎を見ようと座敷の入り口に集まる。琥太郎が、女性らの隙間から素早く視線をさ迷わせれば、早雪は座敷の隅に敷かれた座布団の上に転がされていた。


「ねぇねぇ、いくつ?」

「高三です」


 未成年にテンションを上げた酔っ払いの勢いに引きつつも、琥太郎はにこりと微笑んで答えた。


「若っ! 生男子高生!!」

「やばい……ちょっと拝ませて……」

「ってか嘘でしょ! 高校生が一人で居酒屋に女迎えに来る?! 肝据わりすぎやん!?」


 はしゃぐ女性陣の後ろから、ぬっと四十手前くらいの男性が顔を出した。


「君、西さんの身内? 典子さんは?」

「店の前の車にいます」

「どうもね。みんな、ちょっと俺、挨拶してくるから」

 女性陣の山をすり抜けて、男が座敷から出て行く。あの人が早雪の初恋を奪った宇津木店長なのだろう。


「めちゃくちゃ可愛い。こっちおいで」

「一緒に飲も。西の話したげるから」

「なんなら飲める? カシオレ? カルーア?」


 どう返事をすればいいか、微笑みを貼り付けて考えあぐねる琥太郎の前で、女性陣が萌え転がっている。そんな女性スタッフの隣から、早雪と同じ年頃の男性が顔を出した。


「高三ってことは誰かに運転してもらってきたんだ? 誰にお願いしたん? ママ?」

「そうですよ」


 言い方に悪意を感じるが、早雪の同僚だからと、なけなしの愛想で微笑む。

 ここまで運転してきてくれた典子は、駐車場がないため、居酒屋の前の路肩で待っている。


「必死やん。かーわいいねぇ。つい飲ませ過ぎちゃってごめんなー。大人は付き合いがあるんよな」


 早雪が成人して二年経つが、その間に酒の失敗をしたという話を琥太郎は聞いたことがなかった。


(――酔い潰されたんだ。この男に)


 琥太郎の腹がひやりと冷える。琥太郎は目尻を下げて口角を上げ、笑みを深めた。


「酒の力借りないと女一人口説けないなんて、随分と立派な大人・・ですね」


 これまで人当たりよく対応していた琥太郎の突然の暴言に、集まっていたスタッフ達がしんと静まる。


「……は?」


 暴言を吐かれた男の額に青筋が浮かぶ。

 一瞬怒りに支配された琥太郎は、すぐさま冷静さを取り戻した。取り繕うように申し訳なさげな表情を作り、至極下手に謝る。


「失礼なこと言ってすみません。飲まされ過ぎたって聞いて、心配になって……」


 その様子を見た女性陣が、ワッと盛り上がる。


「あっはっは! まじ度胸ある! 上がっておいで、連れて帰りー」

「ごめんごめん~。怖い思いさせちゃったね~」

「ヤダ嘘、めちゃんこ可愛い……青春かよ……私も言われてぇ……!」

「このお兄ちゃんには、きつーく言っとくからねー」

 女性が男性を押しのけながら、にこにこと琥太郎に話しかける。「ありがとうございます」と返す琥太郎の手を女性らが引っ張って、座敷に上げられる。


 座布団の上で丸まっている早雪は、穏やかに寝息を立てていた。その姿を見て心底ほっとする。訪れ慣れない場や空間に、しらず緊張していた体から僅かに力が抜けた。


「さゆちゃん、さゆちゃん。迎え来たよ。帰ろ」


 座布団の上で横になっている早雪の肩を揺する。早雪はふるりと睫毛を震わせて、瞼を開いた。


「んぁれ~? 琥太くーん?」

「琥太君だよ。立てる?」

「無理無理ぃ」

「じゃあ抱き上げるけど、後で怒んないでね」


 ふにゃりと力の抜けた早雪の体を持ち上げる。一度バランスを取るために、早雪を自分の体に寄りかけて、抱えなおした。早雪が、見つけたとばかりに琥太郎の首に額や頬をすりすりと押し付ける。


(何この可愛い生き物……)


 思わず真顔で見つめてしまった。表情を崩すこともなく、琥太郎は早雪を縦抱きした。くったりと力の抜けた早雪の体重をこちらにかけるように、自分の体を傾かせて安定させると、琥太郎は女性陣らを見下ろした。


「やば……同じ地面に立つと背の高さがえぐい……」

「軽々と人間一人持ち上げおったぞこのDK……」

「聞いた? 今、すんげぇ甘い声で『さゆちゃん』言ってたんだけど……?」

「配信サービス始めたほうがいい……」


 ぎょっとした顔で琥太郎を見上げる女性らに、琥太郎は控えめの笑みを向けた。


「ご迷惑おかけしました。……それと、ありがとうございます」


 女性らにぺこりと頭を下げ琥太郎は、「店にもおいでね~!」「今度は一緒に飲もうね!」という女性らの声を背に受けながら、早雪を抱えて居酒屋を後にした。




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