17:一触即発
【 嘉一 / すぐこい 】
簡潔な指令が、琥太郎のスマホに届く。
「――……やから、どうせやるんやったら私がやれる時に一気にやっておけばいいやん、って話やろうもん!」
「主題すり替えてんじゃねえっつの!! 自己完結する前に、こっちに連絡くらい入れれば? つってんだよ!」
「ぐっだぐだうるさいな。あんたが講義がサークルがバスケがって、予定狂わせてんのが悪いんやろ? そっちの予定に合わせてたらいつまでたっても終わらんから、こっちでやってやってるんやん?!」
「はあ? 怒ってたんなら怒ってたで、そん時言えし。察してちゃんかよ。無自覚メンヘラまじだるいわ」
「そのひん曲がった性格どうにかならんの? やから友達出来んのやわ」
「ふざけんな!」
「琥太! ぼーっとしてないでそっち押さえろ!」
廣井家の廊下で琥太郎は呆気にとられていた。人生でこれほど戸惑ったことはない。
普段は「二人は付き合ってんの?」とでも言いたくなるほど仲の良い早雪と一二美が、髪を振り乱しながら喧嘩をしている。
一二美の部屋の戸口に嘉一が両手を伸ばして立ち、ドアの役目をしている。一二美は部屋の中から、早雪は廊下から互いの髪を引っ張って、世にも恐ろしい形相で言い争っていた。
慌てて早雪の両脇に手を入れてホールドする。ずりずりと後ろに下がるが、早雪は最後まで一二美を罵倒しながら手を伸ばしていた。
「連れて帰れ!」
嘉一が一二美の長い爪で引っかかれながら琥太郎に怒鳴ると、一二美が早雪に向かって叫んだ。
「二度とくんなゆるまん!」
「てめぇのほうがガバガバじゃ!」
琥太郎は耳を塞ぎたい思いで早雪を抱き上げ、廣井家から脱兎の如く逃げ出した。
早雪を抱き抱えたまま自宅まで帰ってきた琥太郎は、片手でなんとか扉を開けると、ソファーに早雪を座らせようとした。
しかし早雪はムッスリとした顔のまま、琥太郎にしがみつき、離れようとしない。
火事場から離れてしまったため、早雪の重さを抱え続ける馬鹿力も限界を迎えている。琥太郎は自分ごとソファーに座り、早雪を膝の上に置いた。
「……さゆちゃん、何があったの?」
「何がとか、関係ないやろ!? 琥太君は私の弟なんやから、私の味方する!」
しがみついた腕をぐいぐいと引っ張って催促する早雪に、琥太郎はふっと笑う。
「よしよし。大変だったね」
一二美によってぐしゃぐしゃに乱された早雪の髪を、手で出来る限り整える。
「ひーが悪い」
「そうなんだ」
「ちょっと強く出れば、私が引くと思ってる」
「そうなんだね」
「だいたいひーがのんびりしすぎなん。こっちは働き出してまじで休みもないんに」
早雪は無事国家資格を取得し社会人に、琥太郎は高校二年生になっていた。
早雪は美容アシスタントとして、家から職場である美容室へと車で通勤している。
学生の頃とは比べものにならないほど、早雪の帰宅時間も遅くなっていた。朝も早くから出かけ、美容室で朝練をさせてもらっているらしい。
休みの日も早雪は練習や勉強会に出かけているので、顔を合わす時間はかなり減った。たまに見かけても、リビングのソファーでぐったりとのびていることが多い。今日、こんな風に一二美と喧嘩してしまったのも、疲れと焦りが溜まっていたのだろう。
膝の上でブツブツと文句を言う早雪の頭をよしよしと撫でながら、琥太郎は毒にも薬にもならない相槌を打っていた。気持ちが昂っている早雪に、何を言っても刺激させるだけだろう。
「でもひーにも付き合いがあるのは知ってるからさぁ」
「うんうん」
「私が出来る内にやっといてあげようって思ったんやん。ひーのためやん」
「そうなんだ。頑張ったね」
「ね。そうやんね。私頑張ってる」
ぶつぶつと文句を言っていた早雪が少しずつ落ち着いてきたのを感じ、琥太郎は口を開いた。
「――さゆちゃんって、怒ると怖いんやねえ」
「……そうだよ。琥太君も怒らせないようにしてね」
若干居心地が悪そうに、表情を隠して早雪が言う。弟にこんな姿を見られてばつが悪いとでも思っているのかもしれない。
「『闘う美容師さん』とかいうドラマとかありそうじゃない?」
「主演女優誰?」
「んー。広瀬ずすとか長野芽郁とか?」
「右原さとみがいい」
「あ。似合いそうやね」
「天海佑希だと別の戦い始まりそう」
「肉弾戦でも舌戦でも、勝てる女優さん浮かばないね」
「太塚寧々なら勝てる」
「やばいめっちゃ見たい」
琥太郎が笑うと、早雪も笑った。
「もう止めてよ。何怒ってたのか忘れちゃったやん」
(ならよかった)
琥太郎が眉を下げて笑うと、早雪は今更ながらに姿勢に気付いたようで「ごめんごめん」と琥太郎の膝から降りた。
早雪は琥太郎に対し距離が近いが、自分の中でここまでという一戦を引いているらしい。頭は撫でられたり撫でたりしても、抱き締めてきたり、抱きついてきたりすることはない。
「あーあ。疲れた。お風呂入ってくる」
汗だくだわ。とヘアピンを抜きながら、早雪は浴室へ向かった。
早雪がいなくなるのを見計らい、琥太郎はスマホを取り出した。そして素早くLINEを開く。
【 コタロー / なんだったのあれ 】
【 コタロー / どうしよう 】
【 コタロー / こっちはとりあえず落ち着いた 】
【 嘉一 / オツ 】
【 コタロー / いやおつじゃないよ 】
【 コタロー / どうすんの 】
【 嘉一 / 琥太焦ってんの初めて見た 】
【 嘉一 / うける 】
【 コタロー / いやどこでうけてるの 】
【 コタロー / 二人が絶交とかしたらどうしよう 】
【 嘉一 / 大丈夫じゃね? 】
【 嘉一 / いっつも明日にはケロッとしてるし 】
「い、いつものことなの……?」
あんなに仲のいい二人がこのまま仲違いしてしまったらどうしようと、冷静なふりをしながら内心ヒヤヒヤしていた琥太郎は、ずるずるとソファーから崩れ落ちた。あまりにもホッとしすぎて、スマホが手から滑り落ちる。
「――は? 今から? 別にいいけど。え? ひーが車出すの? わかった。じゃあ着替えたら行くわ」
お風呂へ行ったはずの早雪が、スマホで通話をしながら階段を上る。内容からして、一二美からのようだ。すぐにバタバタッと降りてきた早雪は、汗をかいたという服を着替え、髪もまとめていた。
「今からひーと買い物行くけど、琥太君ほしいものある?」
「な、ないでっす」
「夜までには帰るからー」
いってきまーす。と笑顔で早雪が出て行った。
ぽかんとしている琥太郎のスマホが、ピコロンと鳴る。
【 嘉一 / もし来世があるなら、絶対姉はいらん 】
【 嘉一 / 年上の幼馴染みもいらん 】
浮かんできたメッセージに、琥太郎は否定することが出来ず、早雪受けのいいあざと可愛いくまのスタンプをポンッと送った。
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