16:冬の出来事


 季節は慌ただしく過ぎ去っていった。


 夏が過ぎ、コンテストが終わり、秋が過ぎ、二十歳になり、冬が来て、成人式に浮かれ、へとへとになりながら国家試験の実技が終わった頃には――琥太郎と早雪の身長は大きく差が出るようになっていた。出会った頃は同じ目線だったのに、今では明らかに琥太郎の方が高い。


 出会った頃に買った服も小さくなり、実技試験が終わったハイテンションのまま、早雪は琥太郎を連れ回した。人生最後となるお年玉と、冬のボーナスが出た昭平からのお小遣いが入った早雪の財布はかなり潤っている。


「格好いい! 最高! めっちゃいい!」


 段々と表情や立ち振る舞いが垢抜けてきた琥太郎は、もう何を着せても様になる。


「えげつないほどチェスターコート似合う。でもだぼめのマウンテンパーカー着せたい欲が……。昭ちゃんMA-1持ってたよね?? あれ借りることも考えると、コートに軍配が……いやでも……」


 早雪に言われるがままにあっちこっちの店に連れられ、琥太郎は着せ替え人形状態だ。


「これも着よう。それの次はこれで、その次こっちね」

「うん」


 アウターを次々に羽織らせ、襟の立ち方や幅を妥協のない目で吟味する。


 財布は潤っているとはいえ資金は有限なため、あらゆる店を見て回り、帰宅前にもう一巡して買っていくつもりである。


 これまでどの彼氏にも「俺は待ってるから、さゆは好きに回ってきていいよ」と言われてきた早雪の買い物に、琥太郎は文句一つ言わないどころか、楽しそうについて来てくれる。


 試着を繰り返し、ようやく何を買うか決めた早雪は、琥太郎を連れてもう一度店を巡った。一つ一つ確認するように琥太郎にあてながら、予算いっぱい使って本日の買い物を終える。


「琥太君、疲れてない?」

「全然。運動してる成果かな」

 両腕に紙袋を抱えた琥太郎は、自分の荷物だからと、早雪に鞄以外の荷物を持たせようとしない。


「やーん、琥太君格好いいー」

「さゆちゃんも。ずっと目キラキラしてるし、楽しそうで、もの凄く可愛い」


 琥太郎がにこにこと微笑んで、早雪を褒める。

 早雪が褒めて育てたせいか、琥太郎は照れもせずこういった褒め言葉をさらりと言えるようになってしまっていた。

 早雪が褒めると正気を疑っていた頃の琥太郎も恋しいが、こんな風に会話を楽しむ余裕の出てきた琥太郎も大好物なので、早雪はにこにこと微笑み返した。


「ありがとうねえ。褒め上手さん」

「さゆちゃんは本当に可愛いよ」

「んーいい子」


「本当に可愛い」というのは、一二美のような美少女をさす言葉である。

 おはようからおやすみまで、早雪のすっぴんも余すことなく見ている琥太郎が、本気で「本当に可愛い」と言っているのなら、琥太郎の美的感覚の心配をせねばならない。


 早雪が琥太郎の褒め言葉をまともに取り合っていないことに気付いたのか、隣を歩いていた琥太郎は、三歩下がって早雪の全身を見た。


 そして、つま先から頭のてっぺんまでじっくり見つめた琥太郎は、もう一度「うん」と笑う。


「やっぱり、めちゃくちゃ可愛い」


 服もブーツもピアスも化粧の色合いも。

 こだわってコーディネイトした早雪を早雪たらしめる全てを、琥太郎はまるっとまるごと褒めた。


 一瞬だけ、呼吸の仕方を忘れた。


 琥太郎の眉の下がった笑顔と、三歩開いた距離にあり得ないほどときめいて、早雪は心臓の上を両手で押さえた。


「うちの弟、末恐ろしいわ……ものすごいキュンとした……」


「やったね」


 あはっと笑った琥太郎が、既に定位置となった早雪の隣に戻ってきた。




***




「春からずっと、コタロー君のこと見てて……あの、だからっ。これ、貰って下さい」


 震える両手で差し出されるチョコレート。頭を下げた女生徒に、同じほど頭を下げて、琥太郎は「ごめんなさい」と伝えた。


「好きな人がいるので受け取れません」





「今日何人目だよ~!」

「堂々とモテやがって」


 クラスに戻ると、琥太郎の席に康久が座っていた。拓海は琥太郎の机に腰をかけにやにやと笑っている。その横に立った嘉一が、ギンと琥太郎を睨み付けていた。


「何してんの?」

「琥太がいない間に女子が引き出しの中にチョコ突っ込もうとしてたから、死守してやってた」

「それはありがとう」

「礼言うのかよ!」


 康久的には、琥太郎がモテるのを妨害をしているつもりだったらしい。直接来てくれれば対応も出来るが、勝手に置いていかれるとどうしようもない。


 クラスの女子は、目をギラギラとさせてチョコレートを欲している康久に若干引いているようだ。教室に帰ってきた自分を気にかけている女生徒が数人いることに、琥太郎はなんとなく気付いていた。


 一年前までは、確かに無縁だったものに踊らされている。


 高校一年生で急速に育った背丈も手伝い、琥太郎は年明け辺りから異様にモテるようになっていた。

 それまではInstagramを見た女生徒が周囲で多少盛り上がる程度で、冗談で好意を伝えられても、「俺には勿体ないよ」と笑って流せる程度だった。


 人からこんな風に好意を向けられる日が来るだなんて、人と接すことを避けていた一年前には想像さえしていなかった。


「っていうか、さっきチョコやなかったん?」

「んー? どうだろうね。それより席退いて」

「やーだぴょーん」


 催促しても康久が席から退かなかったため、琥太郎は康久の上に座った。

 教室の反対側から「きゃー!」という悲鳴が聞こえる。ぎょっとしてそちらを向くが、別に何も異変は起きていなかった。


「どっかに隠してんだろ」

「うわっ。ないって。やめて」

 琥太郎の体を両手でまさぐろうとする康久から、慌てて離れる。また教室の反対側で悲鳴が上がった。


「まじで断ってんの? ありえねえ。貰うだけ貰ってきちゃえばよかったのに」

 目を剥く康久に、琥太郎は「んー」と声を出した。呼び出してきた女生徒に慮り、告白だとは隠すつもりでいたが、無理なことを悟る。


「……あの小さい箱でさ、三千円とかするんだって」

「えっ」


 拓海が唖然とする。バレンタインデー付近のチョコレート特設コーナーなど、よほどの度胸がなければ思春期の男子に近寄れる場所ではない。金額など、自分と同じく知らないでいて当然だ。


「有名なお店のとかだと、五千円とか」

「……まじかよ」


 拓海がドン引きし、康久は震えている。


 早雪と一二美に連れられて行ったデパートのバレンタインデーコーナーで、琥太郎も同じ気持ちを味わった。


 買い物に出かけた早雪と一二美は、バレンタインコーナーに出店している有名店のチョコレートがずらりと載ったパンフレットを手に、鬼の形相をしていた。

 どうやらこの時期に一堂に会するチョコレートを、毎年買い集めているらしい。およそ他人にあげるためとは思えない量を、二人はリストアップしていた。


『値段もちゃんと見て、ホワイトデーの参考にしな』


 などと体よく琥太郎と嘉一にも札を握らせ、いくつかの行列に並ばせられた。買った戦利品は手間暇かけて淹れたコーヒーと共に一二美の部屋で開けられ、一粒の金額を逐一教え込まれながら、琥太郎と嘉一も相伴にあずかった。


「断るのも申し訳ないけど、さすがに貰えないでしょ」


 告白を断った女生徒に「受け取るだけでも」と粘られもしたが、琥太郎は頑なに受け取らなかった。


 震える声で女生徒に差し出された時、早雪が教えたかったのはチョコレートの値段だけではないのだとわかったからだ。


 琥太郎にならそれだけの金額を支払ってもいい――と思われている気持ちに真摯であれと、言われている気がした。


 だから、なんとなく押し切られて受け取るよりは、衝突しても受け取らない方を、琥太郎は選んだ。


 それが、これまで人と衝突することを避けていた琥太郎なりの、誠意だからだ。


(こんなの、面倒なのに)


 今はもう、前ほど嫌ではない。人と人が向き合うということはこういうことなのだと、自然に感じる。


 早雪は、琥太郎の中身は変わる必要がないと言ってくれたが、早雪によって中身もどんどんと変えられていっていることに、琥太郎はとうに気付いていた。




***




「ええ? チョコ、一つも貰えなかったの?!」


 月末に筆記試験を控えたバレンタインデー。両手に紙袋でも抱えているのではないかとわくわく出迎えた弟が手ぶらで帰ってきた事実に、早雪は愕然とした。


 バレンタインデー特集で、自身が買ったチョコレートは、既に胃の中だ。

 琥太郎を売り場に連れて行ったのは、行列に並ばせる戦力目的でもあったが、琥太郎がこれから貰うであろうチョコレートの相場を教えておきたかったという目的もあった。

 なのに一つも貰えなかったのでは、ただただ早雪が琥太郎にチョコレートを見せびらかしただけになってしまう。


 早雪は学科の勉強を放り出し、琥太郎を車に詰め込んで買い物に出かけた。試験が迫っているため、遠出はさすがに出来ないので、行き先は近所のコンビニだ。


「琥太君。好きなの選んでいいよ」

「さゆちゃんがくれるの?」

「うん」


 バレンタインデー当日でも、コンビニにはチョコレートの棚がババーッンと入り口の近くに並べられていた。

 ところどころ歯抜けもあるが、まだかなり残っている方だろう。近年、コンビニのバレンタインデー用チョコレートのラインナップはかなり磨かれており、名の通ったブランドのチョコレートも手に入る。


「なら俺、さゆちゃんに選んでもらいたい。さゆちゃんが選んでくれるなら、チ口ルチョコでもいい」

「泣かせおって……!! 待ってな。さゆちゃんがミッシェル・プラン買ってあげるからね」


 並んでいる商品の中で、二番目に大きい箱のサイズのチョコを手に取った。にこにことついてきた琥太郎は、レジで「紙袋どうされますか?」と聞かれると、早雪よりも先に「いただきます」と答えて早雪を笑わせた。


 レジでお釣りを貰っていると、琥太郎にぐいっと肩を掴まれた。


「あ。すみません」

「こちらこそ」


 早雪を抱き寄せた琥太郎が、早雪の横を通ろうとした男性に頭を下げられ、返答する。

 人の邪魔になる位置に立っていたことに気付かず、早雪も慌ててぺこりと頭を下げた。


 そして早雪の方を掴んでいる琥太郎を見上げる。


(そっか。この子、こんなに大きくなってたんだ……)


 近くで見上げると、より大きい。

 ふわりと香った琥太郎の匂いは、彼自身の匂いと、早雪と同じシャンプーや柔軟剤の匂いが合わさった匂いだ。毎晩のようにブローしているため、嗅ぎ慣れている。


 琥太郎は早雪の肩をパッと離すと、早雪に店員からチョコレートの入った紙袋を受け取るよう視線で促す。

 気が利く琥太郎なら、店員から自分が受け取りそうなのにと思いつつ、早雪は紙袋を受け取った。


 コンビニを出て、車に乗る。琥太郎はよく躾けられた大型犬のように、早雪の後を良い子について歩いた。


 慣れた顔で助手席に座る琥太郎は、シートベルトもせずに早雪をじっと見つめた。その目は、待ちきれないと言っているようにキラキラと輝いていた。

 早雪はふはっと笑って、紙袋を差し出す。


「はい、琥太君。バレンタインデーのチョコレートです」

「ありがとうございます」


 大きな手で、琥太郎が早雪から紙袋を受け取る。

 発売日にゲームソフトを手に入れた小学生のように、琥太郎はチョコレートを大事そうに抱えた。


「開けるのは家に帰ってからね」

「うん」

「さゆちゃんにも、一個くれる?」

「勿論。あ、そのつもりで、ちょっと大きいの買ったんだ?」


 さゆちゃんやっぱり可愛いなぁ。と、意地汚く無心したことさえ褒められてしまった早雪は、ほんのりと照れてしまったことを気付かれない内に、アクセルを踏んで車を発進させた。





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