15:男の事情


「琥太君、琥太君。こっちおいで」


 廣井家から帰ると、早雪は琥太郎を部屋に招き入れた。お邪魔します、と遠慮がちに囁いて、琥太郎が部屋に入る。


「……さゆちゃんの匂いがする」

「そりゃさゆちゃんの部屋だからね」


 早雪は香水をその日の気分で三種類使い分けている。洗剤と柔軟剤にはこだわらず、その時安いものを選んでいる。シャンプーは美容学校の同級生と色々買って試してみたり、バイト先のシャンプーを安く買わせてもらっていたりもする。トリートメントをしたばかりのウィッグも置いているため、部屋はかなり雑多な匂いとなっていた。


 基本的に「これ」と決めた匂いがないと思っていたが、琥太郎の中では早雪の匂いというものがあるらしい。ほんのりと頬を染めた琥太郎の頭をひと撫でして、早雪はベッドと壁の隙間に手を突っ込んだ。


「あったあった」


 箱から中身を取り出して、個数を数える。半数ほど残っていた。早雪の部屋をぼんやりと眺めている琥太郎のもとに戻った。


「はい、これ」

「?」

「残り物で悪いけど、持っとき」


 琥太郎は、首を傾げて早雪が差し出した手のひらサイズの箱を受け取った。


「女の子とする時は、ちゃんと使うんだよ。色んなことから琥太君を守るためでもあるんだからね」


 おしゃれな箱の裏面を読んでいた琥太郎は、早雪の言葉を聞いて目を剥くと、顔を赤く染め上げた。そして、鋭い視線で早雪を睨む。


「――なんでさゆちゃんがくれるの?」

「持ってた? 買うの恥ずかしいんやないかな、って思ったんやけど」


 琥太郎が口を引き結んで黙り込む。その間も、怒ったような渋い表情でずっと早雪を睨み付けていた。

 そんな風に琥太郎に接されたことがない早雪は、もの凄く動揺する。冷や汗がたらりと頬を流れる。


「……いい」


 早雪の困り顔を見て怒気を収めた琥太郎は、ぐいっと早雪にコンドームの箱を押し返した。


「必要になったら、ちゃんと自分で買う。こういうことまで、さゆちゃんに面倒見られたくない」


 真剣な顔付きできっぱりとそう言った琥太郎は、早雪の部屋を後にした。




***




「ひー、ひー! えーん。ひいー」


 勝手知ったる他人の家。物心つく前から好き勝手に歩いている廣井家の廊下を歩きながら、早雪は一二美を呼んでいた。しかし、つい先ほどまで部屋にいたのに、一二美は自室にも他の場所にもいない。

 どうやら出かけているらしい。仕方ないと、早雪は嘉一の部屋へ行く。嘉一はワイヤレスイヤホンをして、ベッドにうつ伏せで寝転がり、スマホで動画を見ていた。


「エッチなやつ?」


 嘉一の背に乗り上げ、ワイヤレスイヤホンを嘉一の耳から奪う。自分の耳に当ててみるが、残念ながら女性の喘ぎ声ではなかった。YouTudeでゲームのプレイ動画を見ていただけのようだ。


「……お前な。よくさっきの会話の後で、勝手に俺の部屋に入れるよな?」


 重い、退け。と手で早雪を払いのけようとする嘉一に、早雪はにこーっと笑顔を向けて、押しつぶしてやった。ぐえっ、と声変わりのせいでかなり低くなった嘉一の声が体の下から聞こえてくる。

 早雪よりも身長の低い嘉一の背に、背中をつけて仰向けになる。


「重い!」

「嘉一ぃ」

「んだよ」

「琥太君怒らした……」


 早雪を押しのけようとしていた嘉一はピタリと体の動きを止め、目を爛々に輝かせる。


「マジかよ! あの琥太を? おもしれ! 何したん?」

「ゴムあげただけだよ……」

「……あ?」


 しおしおに萎んだ早雪が事実を告げると、嘉一はぽかんと口を開く。


「だーかーらー。ゴムの残りあげたの。しばらく使う予定ないし、古くなるよりは琥太君が使った方がいいかなって」


「待て待て待て待て」


 嘉一が早雪の下から這い出て、ベッドに座る。胡座をかき、自分の膝に付いた手で、額を押さえる。


「どこをどうしたら、そこまで最悪な行動取れるわけ?」

「え?! そんなひどくなくない?! 友達のお兄ちゃんにゴム分けてもらったりするやろ??」

「お前、琥太の友達の兄ちゃんじゃねえじゃん」

「そうだった……私、琥太君のお姉ちゃんだった……」


 え、そういうことなの? と早雪は嘉一のベッドにうつ伏せになる。


 早雪は実の父おっちゃんとそういう話をしたことはないが、友人の中には父に下着の話を振られるだけで嫌悪感がするという子もいた。


「だって、琥太君モテないとか言ってるけど、絶対モテてると思ったし」

「俺が知ってるだけで二人告られてた」

「でしょ!? ね!? 必要やん?! ――って、え?! 私聞いたとき、モテてないって言われたよ!? ナチュラルに嘘つかれてる?!」

「だからってゴムはねえだろ。きも。吐き気するわ」

「やめろやめろ。今の私にその拳は利く……」

「まじありえねえ。ちょっとは考えろよ。頭軽すぎだろ」

「やめろっつってんでしょ!」


 早雪は起き上がり、枕を掴んで嘉一に投げつけた。枕から身を守るように両腕で顔をかばいながら、嘉一は「ばーか」と早雪に舌を出す。早雪は嘉一の上に乗っかると、逆エビ固めをかけた。




***




 ――コンコン


「琥太君ー……」


 琥太郎と暮らし始めて、早雪は初めて琥太郎の部屋をノックした。しおらしい声で名前を呼ぶ早雪に、琥太郎は「どうぞ」と部屋の中から声をかける。


 部屋に入ると、琥太郎は壁により掛かって本を読んでいた。早雪が来たため、本に栞を挟み、自身の横に置く。怒っているだろうに、琥太郎は早雪にきちんと目を合わせてくれた。


「……琥太君。ごめんねのデートしよ?」


 両手を合わせて、えへ。とおねだりをしてみる。正直、これまで嘉一と喧嘩をして謝ったことがないため、弟にどんな風に謝ればいいのか、全くわからなかった。

 早雪なりの謝罪の意思が通じたのか、琥太郎は一瞬目をぱちくりとさせると、仕方ないなという風に苦笑を浮かべる。


「サーティーウンアイス。トリプルで」

「奢らせていただきます」


 合わせていた両手を、頭の上まで持ってきて琥太郎を拝む。「何してんのさゆちゃん」と眉を下げて笑う琥太郎は、もう怒っていないようで、早雪は心底ほっとした。



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