14:男の子の事情


 早雪と典子は生まれてこの方、だらしない生活を心がけてきた。


 典子と昭平が再婚してから、季節が春から夏へと移り変わった。

 近頃では遠慮も緊張もなくなっていたが、一応の礼儀として、家族がいるスペースでは早雪もそれなり人の目を意識していた。


 しかし、そもそもがルーズな二人。夏場はパンツとTシャツ一枚で生活するのが当たり前だった二人にとって、この夏は試練の夏とも言えた。


「……窮屈過ぎ」


 ブラジャーをシャツの隙間から抜き取った早雪は、ペイッとベッドに放り投げた。同じように、履いていたハーフパンツも脱ぎ捨てる。今ではこの小さな自室だけが、早雪の休息の場だ。


 家の中でただ息をしたいだけなのに、ブラジャーを締め、ブラジャーが透けないようにアンダーシャツを身につけ、ボトムまで履かなければならない生活に、早雪は弱音をこぼした。


 ノーブラにTシャツ一枚の時に、嘉一がリビングの網戸を開けて「ナスとオクラ持ってきたー」と勝手に家に入って来たって気にしていなかったのに、今更男の目を気にするだなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。


「でも、昭ちゃんと何か間違いとかあったら最悪だし……」


 早雪が、気にかけているのは昭平だった。四つしか年が離れていない琥太郎よりも、倍も年が離れている昭平の方を、早雪は異性として強くカテゴライズしていた。


 万が一にも――早雪がしどけない姿でいたせいで、昭平になにがしかのアクシデントが起きてしまってはいけない。嫌すぎるし気まずすぎるし母に申し訳がなさ過ぎる。家にだって居づらくなる。


「一人は寂しいし、ご飯も大変だし、琥太君の夏の服も買いに連れてってあげたいし、夏休みは明るめに染めて遊びたいし、ココアはめっちゃ美味しいし、絶対いや……」


 もう少しすれば、琥太郎は夏休みに入る。夏休みの間、早雪の癒やしと技術向上のために、琥太郎は頭を差し出す約束をしていた。


 春以降、早雪は恋人を作っていなかったが、これといって問題はなかった。

 恋人がいない期間は、周りと比べていつもどこか焦っていたのに、不思議と男がほしいとさえ思わなくなっていた。

 むしろ、恋人に時間を割かなくて済むおかげで、余暇時間を琥太郎に全振り出来るのが楽しくさえあった。


 バイト帰りで疲れていた早雪は、疲労の溜まった体を休ませるため、早々にベッドに潜り込んだ。





 夜中に目が覚める。

 夢の中でまで主張する訴えを、早雪は三度ほど無視したが、四度目には体を起こしてやった。自分の体をいたわれる優しい女子である。

 トイレへ向かうため、自室のドアを開ける。すると、琥太郎の部屋から物音が聞こえた。


「――うぅ……くっ……」


 くぐもった声と、ベッドが軋むような音。早雪は何も聞かなかった振りをして、足音を消して階段を下りた。


 用を足した早雪が自室へ戻るタイミングで、琥太郎が部屋のドアを開けた。先ほどのことがあったため、あまりまじまじと見るのも可哀想だろうと、寝ぼけた振りをしてすれ違う。


 というのに、琥太郎は「えっ!」と声をあげると、ぎょっとして早雪を見た。二度見だ。あまりにもまじまじと見るため、早雪は立ち止まって声をかけなくてはならなくなった。


「琥太君、トイレ? 階段気をつけてね。詰まるから、ティッシュはトイレに流しちゃ駄目だよ」


「え? あ、う、ん。はい。――はい」


 琥太郎は目を見開いたまま、視線を下に向けている。いつも会話をする時は目が合うのに、今日は全く合わなかった。


 気まずいのだろうとあくびをして自室に戻り、早雪はベッドに再び潜り込んだ。

 抱き枕代わりにしているぬいぐるみを股に挟む。すべすべとした生地の感触が素足に心地よくて、早雪はまたすぐに眠った。




***




「――っていうことがあって」

「あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃひゃ!」


 涙を流さんばかりに笑っているのは一二美だ。早雪にバイトがなく、一二美も大学から帰って来ていたため、学校を終わった早雪は家に寄らずに一二美の部屋に来ていた。


「私だったら絶対ドア開けるね」


 一二美ならやりかねない。嘉一はおちおち家で処理することさえ出来ないだろうが、仕方がない。一二美の弟に産まれたのだから。そういう星のもとに生まれたのだと、諦めてもらう他ない。


「で。何使ってオナってたの?」

「知らんがな。手じゃろうて。――いやそこやなくて、一人でさ、声あんな出るかなって。ちょっと態度もおかしかったしさ。女の子連れ込んでる可能性ない?」

「え~?」

「高校の時いたやん。親バレして修羅場った子」

「あー。いたねえ。そんなのも」

「さすがに夜中に女の子連れ込んでるってなると、何かあったら心配だし……」

「マスかいてるのバレて恥ずかしかっただけじゃね?」


「――連れ込んでないし、そんなこともしていません!!」


 ガララッ――と音を立て、勢いよく一二美の部屋の扉が開く。そこには、顔を真っ赤にした琥太郎と、その後ろで腹を抱えて笑っている嘉一がいた。


「こ、琥太君っ! 違うんだよ、私は何も見てないし聞いてな――」

「成長痛! 成長痛で、全身痛くて呻いてただけだから!!」


 本人がいないところで茶化していたと思われては溜まらないと慌てる早雪に、琥太郎は両手で顔を覆って叫んだ。早雪仕込みの髪の隙間から、真っ赤になっている耳が覗く。


「せいちょうつう?」


 聞き慣れない言葉に、早雪は首を傾げた。


「何それ?」

「声変わりみたいなもん?」

「嘉一もあんの? ミリも成長してないけど」

「お前らまじでふざけんなよ。ぶん殴んぞ」


 成長痛がなにかわからないにしろ、去年からほぼ成長していない嘉一にはないだろうと聞いた一二美に、嘉一が額に青筋を浮かべる。


「わ。本当にあった。成長痛」


 嘉一と一二美が口げんかを繰り広げている横で、早雪はスマホを開いていた。開いたページの成長痛の特徴に目を通す。


「急に体が大きくなる時に出る痛みで、夜だけ痛いんだって」

「嘘を重ねるのは止めるんだ! ベッドが軋んでたと、証言が出てるんだぞ!」


 一二美がどこぞの刑事のような口調で言うと、琥太郎は両手で顔を覆ったまま、こてんと一二美の部屋に転がった。


「痛くて寝返りしまくってるだけだよ……!」


 しくしくしく、と琥太郎が泣く。早雪は慌てて駆け寄り、丸まった琥太郎の背を撫でた。その様子を、指さした一二美と嘉一が同じ顔をして笑っていた。




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