11:高校生


「ねぇねぇ。この人って西君?」


 女生徒三人が琥太郎の席の前に立ち、スマホの画面を見せてくる。


「そうみたいだね」


 女生徒が見せてきたのは、早雪のInstagramのアカウントだった。早雪のアカウントが、同じ学年の女生徒に見つけられるほど有名とは知らなかった。内心驚きつつも、動揺を表情に出さずに頷く。


 琥太郎はSNSをやっていないため、「すごい、まじ本物じゃん」「似てると思ってたんよね」とキャイキャイ騒ぐ女生徒らの喜びにどう対応すべきかわからない。


 数ヶ月前は教室でクラスメイトに――特に女子になど――話しかけられることすらなかった琥太郎だったが、高校の入学式を体育館で終え、教室に入った途端に女生徒が集まってきた。


『見た目を整えることは大事だよ』


 見た目の効果と、外見がもたらす反応にただただ驚く。

 あの時早雪が言っていた言葉を、高校に入学したその日に実感した。


「なになに。俺にも見せて」


 出席番号順に並んでいるため、前の席に座っていたのは中田なかた 康久やすひさという男子生徒だった。人懐っこい笑顔を浮かべたいがぐり頭の男子だ。先ほどまでの会話の中で、康久は中学までは野球部に入っていたことを教えてもらっていた。


 女生徒らが傾けた液晶画面を見た康久が「えー!? すっげえじゃん!」と大声を出す。早雪がライティングや加工にまで凝ったため、まるで雑誌に載っている写真かのように雰囲気が良い。


 康久が、隣の列にいる三浦みうら 拓海たくみにも「見て見て」とスマホをかざす。

 康久の大声を発端に、教室の方々からこちらを伺っていた生徒らが集まり、琥太郎は囲まれた。


 わいわいと琥太郎を中心に会話が広がる。あまりにも慣れない状況に、琥太郎は笑顔の裏で戸惑う。


(どうしよう……)


 笑みを浮かべたまま、ひとまずこの騒ぎが遠ざかるのを待っていると、騒ぎに集まってきた男子生徒の一人と琥太郎は目が合った。


「は? ていうか西やん。中学の頃と違いすぎてわからんかったわ」

「高校デビューやな。おめっと」


 盛り上がっていた教室がしんと静まる。

 琥太郎が入学した高校は中学と同じ市内にあったため、当然中学の同級生も受験している。

 そしてまさに、同じクラスにも中学の頃の同級生がいたようだ。表情からして、琥太郎に恥をかかせようとしているらしい。


 突然の悪意に、康久はぽかんとし、拓海は眉根を寄せた。琥太郎の座る列の一番後ろに座っている嘉一がこの台詞を聞いていたら、問答無用で喧嘩が始まったかもしれない。その程度には、嘉一の性格を知っていたし、親しくもなっていた。


 中学までなら、面倒臭いことになったなと、見た目を変えた自分を悔やみ、会話もろくに続けなかったに違いない。


「ありがとう。俺の好きな人が、見た目いじってくれたんだよね」


(けど、さゆちゃんが変えてくれた自分を、悔やみたくも、恥ずかしがりたくもない)


 元々度胸だけはあるため、琥太郎はしれっとそう言った。


 琥太郎がまともに応じると思っていなかったらしい相手が怯む。そんな彼らを押しのけて、他の女生徒らが琥太郎に詰め寄った。


「コタロー君、好きな人いるの!?」

「見た目をいじった……って、え! じゃあこのアカウントの人?」

「専門学生やろ? 大人やん! やっば」


 中学の同級生は完全に出鼻をくじかれたらしく、そそくさと立ち去る。

 女子とこんな風に話したことがない琥太郎は、とりあえず「そうだね」と笑顔をセットで提供し続けることにして、嵐が過ぎ去るのを待った。





 ――琥太郎が早雪を好きだと気付き、それを両親に告げてから、数日が経った。


『そっかぁ。早雪のことそんな風に思ってくれて、ありがとうね』


 琥太郎が早雪と結婚したい旨を伝えたあと、にこにこと典子は言った。


『いいか琥太郎。さゆちゃんは可愛いし優しいから、好きになってしまうのもわかるけどな……それは思春期によくある一時的な年上への憧れだ』


 あ、いや、俺と典ちゃんは別やからね!? と、琥太郎を微笑ましく見守る典子に、慌てて昭平が取りなす。典子は昭平よりも少しばかり年上だ。


 琥太郎が子どもだから、典子はまともに請け合うつもりがないし、琥太郎が思春期だから、昭平は琥太郎の気持ちを信用できないという。


 個人の恋愛に第三者の認可は必要なくとも、二人は早雪と琥太郎の親だ。


 連れ子同士という、普段ならば後ろめたさから秘すべき恋情を、早雪よりも先に両親に伝えたのは、琥太郎なりの誠意――と、打算だった。

 四人が家族として固まりきってしまう前に、彼女を一人の女性として琥太郎が見ていることを、二人に認識しておいてほしかった。そしてあわよくば、大切な二人に理解してほしかった。


『じゃあ、いつまで好きだったら信頼してもらえる?』


 反論しても否定が長引くだけだと悟った琥太郎は、真摯な目で尋ねた。


『――高校を卒業するまでかしら』


 琥太郎の本気を感じ取ったのか、典子が浮かべていた笑みを消し、真剣な表情で答えた。


『早雪はあと数ヶ月で成人だから、自分の責任は自分で取ればいいけど……琥太ちゃんは、まだ駄目。高校卒業するまでは、私がしっかり育てさせて頂きます。自分の娘がたぶらかして大事な息子さんをふらふらさせました――なんて、琥太ちゃんを産んだお母さんに顔向けできない』


『……は、い』


『それまでは、分別を持って接してちょうだい。本当に早雪が好きなら出来るわよね? 好きな女のために頑張るのが男の子だもんね?』


『はい』


『琥太ちゃんにはまだわからないかもだけど……もし何かあった時に、周りからボロクソに言われるのは、年上で、女の、あの子だからね』


『はい』


『そういう可能性を知って、そういう覚悟があって――それでも早雪をずーっと好きで居続けてくれたなら……――お母さん、嬉しいな』


 途中から昭平は完全に空気になっていたが、一応両親の理解は得られた。


『琥太ちゃんのこと、信頼してるからね』


 ――と、最後に大きな釘を刺すのも、典子は忘れなかったが。


 とはいえ、世界一可愛い弟の座は手に入れている。


(少しずつ、好きになってもらえればいい)


 眼鏡屋の男よりはずっと近い。

 初恋のため純情ではあるが、この立場を罪悪感なく利用出来る程度には、したたかな人間だった。




***




「琥太君、入学おめでとーう!」


 琥太郎の入学祝いに、家族四人で焼き肉屋にやってきた。個室の中ではプライベートが保たれているため、乾杯にのったご機嫌な早雪の声も周りには聞こえない。


「おめでとう琥太ちゃん」

「高校、前の家より近くなってよかったなー」


 母と父が琥太郎に笑顔で言う。「帰りは私が運転するから、昭ちゃんもお母さんも飲んでいいよ」と早雪が言ったため、昭平と典子は生ビールを手にしていた。


 ドリンクと一緒に提供されたサラダバー用の皿を手に、早雪が立ち上がる。


「お母さんのも取ってくるよ。どんなんがいい?」

「葉っぱ。葉っぱと根っこいっぱい持ってきて。芋系はいらない」

「はーい」

 個室のドアをガラリと開けた早雪を追って、琥太郎も立ち上がった。

「さゆちゃん、俺も行く。お父さん何かいる?」

「お父さんはサラダはいらないなぁ」

「じゃあ、美味しそうなのないか見てくるね」


 待ってくれていた早雪と並んで細い廊下を歩いていると、前から既にサラダを皿に盛った手にした客が歩いてきた。琥太郎は早雪の後ろにすっと退き、客を避ける。


 サラダバーコーナーへ向かう途中に、ピアノを見つけた。大きな窓ガラスに囲まれたそのピアノは、誰でも弾けるように開放されているようだ。

 現在ピアノを弾いているのは小さな女の子で、時折音が外れるも、琥太郎よりはよほど上手い音色が響いている。

 ピアノの前には会計場所があり、男性客が一人でレジに立っていた。


「一人で焼き肉、食べに来る人もいるんだね」

 一人焼き肉という可能性を、まだ高校生の琥太郎は考えたことがなかった。焼き肉屋といえば家族で行くイメージだったからだ。


「お一人様もいるだろうけど、あの人は多分違うよ。女の子が外で待ってるか、席外してる間に会計してるんじゃないかな?」

「へえ?」

 どういう状況なのか掴めなかった琥太郎に早雪が微笑む。


「女の子って色々準備がいるから、お店出る前におトイレに行ったりすることが多いんだけどね。そういう時にお会計済ませる、みたいな文化があるわけよ。まあ琥太君にはまだまだ全然、関係ない話やね」

「そうなの?」

 ただ単純に疑問に思い尋ねただけだったが、早雪は慌てた。


「あ、そうやねごめん。関係ないかは私が決めることやないな……。琥太君はまだ高校生やし、そんな風に背伸びせんほうが、私は好きやなってだけ」


 琥太郎が意識している「好き」という単語を、早雪は事も無げに使う。そのたびに少し傷ついて、少しだけ開き直る。


「――そういう時どうしたらいいかわかんないから、さゆちゃん今度付き合ってよ」


 弟の顔をして甘えれば、早雪は簡単に「おっ、いいよ」と頷く。

 琥太郎にとってはデートの文化よりも、早雪が「好き」な行動の方がよほど重要である。


 サラダバーコーナーに辿り着いた早雪が、レンコンのサラダを皿に盛りながら琥太郎に笑いかける。


「どこ行く? 高校生のデートの定番、ファミレスとか?」

「いいね。楽しそう。ちなみに、さゆちゃんはさっきみたいな時、どうされると嬉しいの?」

「そうやね~」


 早雪がああでもないこうでもないと語る彼女の理想に、琥太郎はサラダバーも焼き肉もそっちのけで、にこにこと耳を傾けていた。





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