04:母と娘
「――再婚? いいんじゃん? 頑張ってよ」
早雪が母・典子に再婚を打ち明けられたのは、冬のことだった。
昔ながらの日本家屋が建ち並ぶ一角に、早雪と典子が二人で住んでいる一軒家がある。
母の子ども時代からお付き合いのあるお隣の廣井家に比べると新参者だが、祖父母の建てた家はそこそこに古くなっていたため、数年前に改築していた。
女二人住むには十分なだけの居住スペースを残して併設させた美容室は、ありがたいことに大盛況で、日々
早雪は鍋で温めたばかりのホットワインをカップに注ぎ、母に差し出した。スパイスの香りが、アルコール特有のツンとした湯気に溶ける。
自分の分もマグカップに注いだ早雪は、向かいのダイニングチェアに座る。
「ん~。美味しい」
「今日は桃ジュース入れてみたんやけど、やっぱ林檎ジュースのほうが合う気がする」
「私はどっちも好きよー」
早雪の入れたホットワインに、母が満足げに口をつける。
母親とは、高校に入ったくらいから、すごく仲良くなった。
それまでも普通に仲は良かったのだが、その当たりから急速に仲が縮まった。一緒に母行きつけのカフェへ行ったり、ネイルをしに行ったり、オイルマッサージに連れて行ってもらったりと――典子が彼女のテリトリーに早雪を入れ始めたことがきっかけだった。
元々美容方向に関心を持っていた早雪は、おかげで進路を固めるのが周りよりも早かった。隣に住む幼馴染みからは「より私を美しくするために精進しろ」と応援のメッセージをもらったし、美容師である典子も、同じ道を選んだ早雪の進路を後押ししてくれた。
そして美容学校に通い始めて約半年――早雪は十九歳になっていた。
「おめでと。パパン候補の写真ないの?」
「あーるー。見る?」
「見る見る」
母が少し恥じらいながらスマホを操作する。
早雪が何を言ってもガラケーを持ち続けていたのに、つい数ヶ月前突然スマホに変更したのは、どうやらパパン候補の影響だったようだ。
にやにやする早雪に、典子がスマホを差し出す。カップを置いて母のスマホを受け取ると、品のいい男性と母のツーショットが映っていた。
「おー、格好いいやん……って、街のイルミ! 今年? 違う? ――ってことは、去年からかい!」
街の駅の美しいイルミネーションがバックに映っていた。街にイルミネーションが灯るのは、冬のみだ。自分も付き合っている男性と去年の冬に行っていたので、間違いない。
同じ時期に行ってたのか。スマホを見ていた早雪は「あれ?」と首を傾げた。
「――ってことは?
「被ってないわよ~。でも、けーちゃんの存在は、
「おっけー」
早雪が幼い頃に父と離婚したあと、母には数人の彼氏がいた。「けーちゃん」を筆頭に、皆早雪によくしてくれたし、一人二人くらいは幼心に「パパになってくれてもいいのにな」と思う男性もいた。しかし、実際に「結婚」という文字を母が告げてきたのは、「昭平さん」が初めてだった。
「おっちゃんの支援、どうするん?」
「再婚を考えてることは伝えてるわよ。でも、あんたが自分の娘なことは変わりないから、学生の間は面倒見させてくれって」
「ふぉーん。ありがたや、ありがたや」
お行儀悪く、早雪はホットワインをズズズと音を立てて啜った。
幼い頃は人並みに父を思って淋しがったが、色々な事情がわかるようになった小学生高学年の頃くらいから、早雪は父を母の前では「おっちゃん」と呼ぶようになっていた。実父との面会の回数も年々減り、今では一年に一度会うかどうかだ。
「式は?」
「お互いに再婚だし。食事だけちょっと豪華にしようって。どう?」
「へぇ。じゃあその日は私が髪セットしたげる」
「娘にいじってもらった髪で、美味しいご飯食べに行けるとか。頑張った甲斐があったわ~。産んでよかった」
幼い頃は、自分のせいで両親が離婚してしまったのではないかと落ち込んでいたが、母が度々こうして早雪の存在を認めてくれたため、思春期を越えた頃には気にならなくなっていた。
母と今流行のヘアアレンジについてひと盛り上がりしたあと、早雪はふぅうと腹の底からため息を吐きだした。
「――問題は、今更他人様と生活出来るのかってとこだよねー……」
「ほんと、それよねえ」
女二人、これまで散々好きに生きてきた。
数年前のリフォームの際に、居住スペースのリビングと水回りも改築している。というのに、早雪が大きくなるにつれ食生活は堕落の一途を辿り、今では食べるものも着るものも、家の中では適当だ。
これから四角四面な生活を――とまではいかずとも、異性の他人が混ざるのだから、人並みの生活に変える努力は必要だろう。
「あちら、中学生の息子さんがいてね」
「まじで?! やったー!」
まだ見ぬ中学生の弟を想像し、早雪は一気にテンションが上がった。高校を卒業してまだ半年しか経っていないはずなのに、すでに学生服が懐かしい。
「今三年生なんですって。だから卒業を待って、春に籍を入れたらどうか、って話してて」
「いいやん。こっちの高校受けるん?」
「あんたが行ってたとこ志望してるみたい」
母のいう早雪の母校は、ここから徒歩で通える距離にある。生徒数の減っていった三校の高校が合併し、数年前に名前を変えて新設されたばかりだ。
「おもちゃにしないのよ」
「何言ってんの? 弟っていうのは、姉のおもちゃになるべく生まれてくるんだよ?」
隣の廣井家を見て育った早雪は、他のことに関しては割合まともな価値観なのだが、弟に関してのみかなり偏った知識を持っている。
廣井家の長男・
高齢化が進むこの地域一帯の姫として育てられていた早雪と一二美は、傍若無人を極めていた。嘉一の腰も据わる前からあちこち連れ回しても、諫められるよりも「弟の面倒見ていて偉いねえ」と近所のじじばばから逆にお菓子を貰うような、おおらかな地域だった。
年を重ねてからも勿論、早雪と一二美にとって嘉一は一番可愛いぬいぐるみだ。
好き勝手に着せ替え、振り回し、小突き、抱きつき、パシり、脅迫した。その結果、今ではお隣の長男君は立派な女性不信である。全く軟弱なことだ。
そんな嘉一を心の底から愛していたが、とはいえ嘉一はお隣の廣井家のもの。早雪の弟にはなりえない――と、長年諦めていた早雪に、念願の弟爆誕である。
「めっちゃ楽しみ。死ぬほど可愛がる」
――と宣言した通り、早雪は琥太郎をばちくそに可愛がっていた。可愛がっていい存在、というものを持ったことがなかった早雪は、まだ会ったばかりだというのに、琥太郎が可愛くて可愛くて仕方がなかった。
死ぬほど可愛がる予定の、出来たばかりの弟を連れ回していた早雪は、上機嫌で家に帰った。
「ただいまー」
「ただいま。……皆、片付けしてるみたいだね」
車から持って降りた荷物を、琥太郎が自室に持って上がる。
階段を上る琥太郎は、先ほど一時間は悩んで購入した竹内涼馬がつけそうな格好いい眼鏡をかけていた。非常に似合う。完璧に似合う。
そんな琥太郎も、自室で荷解きを始めるようだ。
西親子がアパートで使っていた大型家電などは、ほとんど処分したらしい。大型の家具はベッドと本棚くらいなものだ。男二人の荷物はそれほど多くない。早雪は和室に運び込んだ本棚に本を詰めていた昭平を手伝うことにした。
「おっ。さゆちゃん、おかえり。買い物できた?」
「出来た。琥太君、足首細くて足が長いから、ジョガーパンツもスラックスもめっっっちゃ似合うの。昭ちゃんからいいとこ受け継いでるね」
「さゆちゃんは典ちゃんに似て、褒め上手だなぁ……」
感心したように言う昭平に「いや、マジだから」と早雪は笑う。
「さゆー帰って来てんのー?」
「ただいまー! お母さん。夜ちょっと店借りていい~?」
「はいはーい」
店を使わせて貰えるのは、現役の美容学生にとって本当にありがたい。
それに、「お金払って学校に行ってるんだから、聞きたいことはちゃんと先生に聞きなさい」と言う母だが、早雪が泣きつけば「何十年前の知識だと思ってんのよ」と言いつつ、学科にも付き合ってくれる。
「後回しに出来る荷物は徐々に解いていくことにして、今日はそこそこで休みましょ。お母さん、夜ご飯はお寿司とりたいわー」
「いいね」
「さんせー。んじゃ、琥太君にも伝えてくんね」
手伝いに来たばかりだが、典子が来たのなら自分は邪魔だろう。早雪は立ち上がり、書斎を出た。
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