03:ドキドキのドライブデート
「いらっしゃい琥太君!」
新しい家にやってきた琥太郎を大きな笑顔で出迎えたのは、早雪だった。
琥太郎と父は、同じ市内の早雪の家に引っ越してきた。
典子が自宅に併設した美容室を経営しているため、こちらへ越すことは、初顔合わせの前からほぼ決定されていたようだ。
荷造りした段ボールは業者によって、既に運び込まれている。琥太郎の受験があったため、随分とバタバタした引っ越しになってしまった。
「さっ。琥太君はさゆちゃんとデート行こうか」
早雪は琥太郎を引っ張ると、自分の軽自動車に押し込んだ。琥太郎を連れてきたばかりの昭平と、今日は店を休みにしている典子は心得ていたようで、「いってらっしゃーい」と二人に手を振る。
「軍資金がっぽりもらってるからねー」
アクセルを踏む早雪の横で、琥太郎は慌ててシートベルトに手を掛けた。事情を呑み込めていない琥太郎は、隣の席に座る早雪にヒヤヒヤしながら尋ねた。
「どこ行くの?」
「服屋。琥太君の服とか靴、見せてって言ってたやろ? 昨日届いたのざっと見て、必要なものまとめておいたんだよね」
『――俺を変えて、さゆちゃん』
つい数日前、自分が早雪に言った言葉を思い出す。直後からバタバタと引っ越しの準備などが始まったため頭の片隅へ追いやられていたが――勿論忘れていたわけではない。
「……服って、どんな感じにするの?」
「ん? 大丈夫! 最初から菅田将輝みたいなんは着せんから。怖くないよー。ユ二ク口から行こ」
自分が柄物やスカジャンを着る日が来るなんて想像もしていなかった琥太郎は、ぎょっとして早雪を見る。
「そだ、琥太君。コンタクトと眼鏡どっちがいい? コンタクトにしたい気があるなら、保険証借りて来てるから眼科行けるけど」
話がもの凄い速さで進んでいる。考えたら負けだと思い、琥太郎はやけくそで言った。
「眼鏡がいいです」
実は水泳の授業の時に裸眼だと怖かったため、一度コンタクトを作りに行ったことがある。しかし体に合わない体質らしく、コンタクトを入れると頭痛がし始めたため、買った分だけ使い切ると継続購入を止めた。
「おっけ。世界一似合う眼鏡探しちゃる」
ぎゅーっん、とハンドルを回して早雪が道を曲がった。
琥太郎はドキドキする心臓を抱え、シートベルトを強く握って、無事に新しい我が家に帰れますようにと、ただそれだけを願った。
***
服屋で試着室に入るのは、頼もしい姉がいれば怖くもないし恥ずかしくもないことを、琥太郎は生まれて初めて知った。
「いい! すごくいい! ね? ですよね? あ、これも見てみたいから、こっちも履いて」
試着室のカーテンの先に立つ早雪の存在が、もの凄く心強い。
早雪は横に店員を置き、あれがいい、これもいい、と琥太郎を挟んで始終笑顔で話し続けた。
「足でかっ。昭ちゃんも身長高いし、琥太君大きくなるやろうねえ。身長止まったら、さゆちゃんがちょっといいジーンズプレゼントしてあげるからね。あーコートも買ってあげたいなー」
会計を終え、財布を鞄にしまった早雪は、にこにこ笑顔で琥太郎を車に押し込んだ。
眼鏡屋は三軒回った。今までかけていたような無難なフレームの置かれたスペースは素通りされ、琥太郎にとってどこが違うのかもよくわからない眼鏡を、何度も何度も何度も何度も何度もかけ直させられた。
スーツ姿のバリッとした爽やかな男性店員を横に置いた早雪は、こっちのほうが鼻筋がだとか、こっちのほうが眉の長さとあっているだとか、こっちは普段使いには勇気がいるとか、こっちのほうが目尻の角度がだとか、討論を白熱させた。
眼鏡は常に身につけるため、男性の意見があるのは正直ありがたかった。早雪はお洒落だが琥太郎にとってはお洒落すぎて、選んだ眼鏡が奇抜すぎるかどうか、判断がつかない。
だがそうやっていつまでも逃げていては変われないこともわかっている。なので琥太郎は、二人の会話を一切否定せず、聞かれたことに無心で答え続けた。
「これにしよ! やーん、うちの琥太君まじ可愛い。最高。写真撮ろ」
前、横、斜め、どの角度からも店員と早雪によって舐めるように眺められた琥太郎は、ホッとして倒れそうだった。こんなに男にも女にも熱心に見つめられる日は、きっとこの先一生ないだろう。
今日だけで何枚写真を撮られたことか。けれどもう抵抗する気力もない。琥太郎ははしゃぐ早雪の好きにさせていた。
「はい、さゆちゃん凄いは?」
スマホの中の琥太郎を満足げに見つめていた早雪は、現実の琥太郎に笑顔を寄せる。
「さゆちゃん凄い」
てらいもなく琥太郎が返せば、早雪は満足げによしよしと琥太郎の頭を撫でた。
「ご家族で仲がよろしいですね」
新しい眼鏡と共に、爽やか店員が早雪に名刺を渡す。琥太郎と早雪は出来上がった眼鏡を受け取って、店を出た。
運転席に乗り込んだ早雪は名刺をくるりと裏返し、ため息を零す。
「うぇー。ID書いてる。あーあ、琥太君を輝かせたい同志だと思ったのにな」
「そんな奇特な人間、今のところさゆちゃんしか見たことないよ……」
「ま、流石に仕事はするでしょ。なんかあったらこれに電話するといいよ」
助手席の琥太郎が持つ紙袋の中に、LINEのIDが書かれた名刺をぽいっと入れると、早雪は車をバックし始める。店の前では、先ほどまで接客についていた男性が頭を下げていた。
「連絡、しようって思わないの?」
軽く片手を上げて男に別れを告げ、店の駐車場からスムーズに出た早雪に琥太郎が尋ねた。
下心があったとはいえ早雪のこだわりにも嫌な顔一つせず爽やかに接客を続けた男だ。早雪もいい感情くらい抱いたのではないだろうか。
「しないよー。琥太君もね、仕事中に連絡先渡してくるようなお姉ちゃんに引っかかっちゃ駄目だからね」
前を見つめたまま、早雪が琥太郎に言い含める。
引っかかるもなにも、引っかけられる日が来ることもないだろう。紙袋の中にある眼鏡ケースを見つめる琥太郎に、早雪が言葉を続けた。
「それに、あんなん貰ったとかバレたら怒られるわ。彼氏に」
「えっ!」
自分でもびっくりするほど、大きな声が出た。
「えっ! てなんー? さゆちゃんそんなモテなさそ?」
「いや、え。いや、そうじゃないけど……」
「あはは。うそうそ。モテないモテない。今のも、この女なら簡単にやれそうって思われただけやから」
そんなことはないはずだ。早雪はとても綺麗だし、お洒落だし、格好いい。恋人がいるのも納得だし、あの男はむしろ見る目がある。
ただ、琥太郎は今までクラスメイトとすら積極的に交友関係を広げようとも深めようともしなかった。引っ越しを惜しむほどの親しい友人もいない。
有り体に言えば、琥太郎の周りにはこれまで、恋人がいる知り合いなどいなかったのだ。
(さゆちゃんって、本当に大人なんだ……)
助手席から、キラキラとした早雪を見る。
早雪はきっと顔の造形だけを見れば、飛び抜けた美人ではない。けれど最初に会った日に感じたように、雑誌のモデルのような人という評価は変わらない。
何故そう思うのだろうと、琥太郎は早雪をしげしげと観察した。
早雪は、瑞々しく力強い魅力に溢れていた。髪を整え、化粧を施し、胸を張り、笑顔を浮かべ、こちらの会話に耳を傾け、こちらに伝わるように話す。
陰キャの自負がある自分が会話に困らずに話し続けられているのは、完全に早雪の手腕だ。
「……俺もさゆちゃんみたいになれる?」
「私? マ? なれるなれる。さゆちゃんがあることないこと、なんでも教えちゃる」
早雪は運転しているため、前を見ながら笑った。
「でも私は琥太君みたいになりたいなー」
子どもをおだてて機嫌でも取ろうとしているのか。「どうして?」と尋ねる琥太郎に、早雪はつらつらと答えた。
「だって生きやすそうなんやもん」
「え?」
「琥太君みたいに、他人の目気にせずどーんっといられるの、まじ格好いい」
「……無頓着なだけですけど」
「無頓着でおれるんが、既にメンタル強いー。私、素材で勝負とか絶対したくないもん」
「や、だから、勝負の場に立たなかっただけで……」
「立ってんだよ。人間生きてる限り常に勝負なの。人生、知らぬ間にバトル始まってんの」
ならばずっと、不戦敗だったに違いない。けれどきっと早雪は、それすら気にしない琥太郎を羨ましいと言っているのだと、なんとなく気付いた。
こんな自分に、人から憧れられる箇所があるだなんて思ってもいなかった琥太郎は、面はゆくてそっと視線を窓の向こうに向けた。
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