02:選ぶ道
足早にレストランへ戻って来た早雪は、琥太郎の腕を更に引っ張った。向かう先は駐車場。小さな軽自動車を解錠すると、早雪は後部座席のドアを開いて琥太郎を押し込んだ。そのまま早雪も乗り込む。
昭平の車とは全く違う、女性らしい香りに包まれた車だった。ルームミラーにはお洒落なキーホルダーが吊され、サンバイザーにはサングラスがかけられている。
狭く暗い車内で早雪は凄まじい速さでスマホをすいすいと操作すると、鞄にスマホを仕舞い込み、琥太郎の方を向く。
「ごめんね、勝手に色々。あんまりにもむかついちゃって」
月明かりと、駐車場の街灯の明かりしかないため、早雪の表情はわかりづらい。しかし声色とその台詞から、随分と立腹しているのは伝わってきた。
「なんであそこに?」
「琥太君そのまんまで出てっちゃったから、とりあえず私のマフラーだけでもと思って追いかけたんよ。そしたらふらふらーって歩き出すしさ? あー、外の空気吸いたいんかな? って思って。でも中学生一人で歩かせるの心配やし、ちょっと離れたとこからついてってたん」
琥太郎の頬に両手で触れた早雪が「やっぱり冷えちゃったね」と呟く。
「コート持ってけばよかった。……っていうか、さっきのが琥太君振った女の子? 言っちゃ悪いけど、琥太君見る目ないなぁ?」
「……俺、別に好きだったわけじゃないから」
早雪は一瞬黙ると、琥太郎に顔を近づけた。
暗いためによく見ようとしたのだろうが、こんな至近距離に女性の――どころか、他人の顔を近づけたことなどない琥太郎は緊張して息をとめる。
「……強がりでなく?」
「こんなこと、強がる方が恥ずかしいでしょ」
そんなありもしない疑惑よりも、直面する現実の早雪の方が琥太郎には大問題だった。赤くなりそうな顔を逸らせば逸らすだけ、早雪は顔を近づけてくる。
「じゃあなんでそんな勘違いされたん?」
琥太郎のレパートリーにはない、オリエンタルでフローラルでエキゾチックでミルキーなフレグランスが琥太郎の思考力を奪っていく。
『――いや、西はないやろ』
一週間前――大勢のクラスメイトがいる教室で、琥太郎は白石という女生徒に振られてしまった。
『西と付き合うぐらいなら、猿と付き合った方がマシ』
といっても、琥太郎が告白をしたわけではない。琥太郎には、彼女への好意など微塵もなかった。
琥太郎が白石に好意を持っていると勘違いしたクラスメイトらが囃し立てた結果、琥太郎が振られてしまったというわけだ。
――その勘違いの理由は、白石と琥太郎が席替えで四回連続で席が隣になったという、ただそれだけ。
勉強も出来て、可愛くて、女子の中心人物でもある白石が小細工などするはずもないから、琥太郎が席替えのくじに何か仕掛けを施したと決めつけられたのだ。
きっと本当にただの偶然だったのに、中学生とはたったそれだけで恋愛関係に結びつけて騒ぐし、陰キャとはたったそれだけで見下される。
不本意ながら、琥太郎は見下されることに慣れていた。
お世辞にもお洒落ではないし、面白いことも言えないし、社交的でもなければ、協調性のあるほうでもない。
そんな琥太郎には、白石に好意を持っていると誤解されるのも、席替えに小細工したと思われるのも、大勢の前で振られたことも、取るに足らないこと。
変な言いがかりを付けられたところで、あと一週間もすれば中学を卒業する。彼らの大半と、顔も合わさなくなるだろう。一年もすれば、彼らの顔すら忘れてしまうかもしれない。
小中学校とあわせて、琥太郎は周りと友好な関係を築いているとは言い難かった。ほとんど交流もなかった人間にどう思われようが、なんと言われようが、有り体に言えばどうでもよかった。
琥太郎にとって不運だったのはその現場を――琥太郎の忘れ物を届けに中学校まで来ていた父が見てしまっていたことだった。
「――え。じゃあ落ち込んでるのは昭ちゃんの方ってこと?」
父がこんなに若い女性に「昭ちゃん」と呼ばれていることに、そこはかとなく退廃的な匂いを嗅ぎ取ったが、全力で無視して琥太郎は頷いた。
昭平は明るい口調で早雪に「さゆちゃんの腕で男前にしてやってよ」などと言っていたが、この数日家の中は梅雨前線が停滞しているかの如くじめじめとしていた。
一人息子の格好にまで気を配ってやれなかったと自己嫌悪から始まり、自分が片親だからいじめられているのでは――なんてところまで話が飛躍してしまい、琥太郎は割合困っていた。
「……まぁさっきの雰囲気見ちゃったんじゃ、親は心配するやろうねえ」
「いつものことだけど」
「琥太君が感覚麻痺しすぎてるんよ」
早雪がよしよしと琥太郎の頭を撫でた。
琥太郎にとっては、さっきのクラスメイトとのやりとりよりも、早雪が無遠慮に触れる指先の方がよほど困ってしまう。
琥太郎は身を捩り、早雪の手をやんわりと避ける。
「……本当に、なんていうか。俺にとって大切な人にされたら嫌だけど――そうじゃない人から何されても、特に気にならない。訂正したりするほうが面倒くさい」
「それは……なんていうか。生きやすそうで羨ましいな……」
「お父さんが凹んでるのだけはちょっと参ってる。もう卒業もしたし、あいつらとは今後話すこともないだろうし、本当に気にしなくていんだけど……」
「でも、琥太君がそのままなら高校でも同じことになるんやない?」
琥太郎は一瞬黙ったあと「お父さんに見られないように気をつける」と、呟いた。
ただ、根本的な解決になっていないことは琥太郎にもわかっていた。琥太郎にわかることなので、早雪にも当然わかったのだろう。早雪は後部座席のヘッドレストにもたれ掛かった。
長い髪が車のシートに流れる。早雪の反った白い首筋が、車の窓から入る街灯の明かりに照らされた。ドキリとする。妖艶で、扇情的で――見ていてはいけない気がして、琥太郎は頬を赤らめて視線を逸らす。
「――琥太君。本当に見た目、変えてみる?」
おずおずと琥太郎が視線を戻せば、早雪は真顔でこちらを見つめていた。
暗い車内の中で、強い意志を持った早雪の瞳がキラリと輝く。
「……見た目、って」
「昭ちゃんに話振られた時、実は楽しそうとは思ったんよね。琥太君、素材いいし」
「……いや、いやいや。俺程度が見た目いじって、何になるんですか」
「そんなことないと思うけどな?」
片腕をすいと動かし、早雪は琥太郎の前髪を無遠慮に捲った。
「顔、綺麗な左右対称。姿勢や寝相がいいんやろうね。手のサイズを見た感じまだまだ身長伸びると思うし――何よりスタイルがいい。足が長い。輪郭は前から見ても横から見ても綺麗だし、最高なことに歯並びもいい。肌も綺麗。眉の形もいい。昭ちゃんと君のお母さんに、琥太君はもっと感謝すべき」
しげしげと観察する早雪の言葉をぽかんと聞いていた琥太郎は、頬を赤らめた。
「褒めるところなさ過ぎて、褒め言葉として微妙なのばっかじゃないですか……」
「お馬鹿さん。どれか一つ手に入れるために、どんだけの人間が金と時間と労力費やしてると思ってんの」
自分を磨こうなんて琥太郎は考えたことすらなかった。
自分の審美眼にもセンスにも自信など皆無な琥太郎は、無難でいることが一番「見苦しくない」と思っていた。
それ以上になれる日が来るとは考えたことも、望んだこともなかった。
(でも、こんなにお洒落な早雪さんが言うなら、そうなんかな)
琥太郎が難しい顔で考え込んむと、早雪は琥太郎の髪を中指と人差し指で挟み、引っ張ってみたり、地肌を覗いたりと好き勝手に弄ぶ。
「いいやん。やってみん? どうせ外見しかいじるとこないんやし」
早雪の言葉が上手く処理できず、琥太郎は僅かに首を捻った。
「?」
「?」
「どういうことです?」
「どういうことって?」
「……中身は?」
自分が陰キャなのは、この性格が大半の要因だ。
「え? 琥太君、中身は変える必要なくない?」
「……え?」
「だってお父さん思いのいい子やん。メンタルつよつよすぎてまじ崇めるレベルやし、興味ないソシャゲまでインストして私とも仲良くなろうとしてくれようとしてたし。見栄えのいい歩き方とか、女の子との接し方とかは覚えて悪いことはないと思うけど……――この陰気な見た目取っ払っちゃえば、普通にめちゃモテやろ」
最後の陰気な見た目というどストレートな物言いのせいで、前半もストレートな褒め言葉に聞こえてしまい、琥太郎は焦ってしまった。
「……正気ですか?」
「おっと。年上への言葉遣いには気をつけな? ちゅーするぞ?」
「ごめんなさい」
琥太郎は咄嗟に謝った。
「見た目を整えることは大事だよ。琥太君と反対で、中身がどんだけ捻くれてても、見た目がいいから許されてるお姫様もいるし」
引いた琥太郎に気付いたのか、早雪はにやりと笑う。
「おかげで中学では、女子に総スカンされてたけど」
語尾に
「でも、今の琥太君が男子にも女子にも嫌われてるなら、見た目を整えて女子に受け入れられれば、今琥太君を嫌ってる奴らの半分には好かれることになるよ」
「早雪さん、容赦ないね……?」
(けど、それもいいのかもしれない)
早雪の話を聞いている内に、それで父が安心できるなら彼女の力を借りるのもありかもしれないと、琥太郎は思い始めていた。
神妙な顔で悩む琥太郎に、早雪が優しい口調で続ける。
「人生なんて選んでいくことの繰り返しなんやし、どっちか選べる時に選んでおいたら?」
にぃと弧の形に引かれた唇が、車の窓から差し込む街灯に照らされる。
「好きに選び。どっちを選んでも、さゆちゃんは応援してあげるから」
力強く、けれど温かい微笑みが琥太郎に真っ直ぐに向けられる。
父が安心できるなら――そんなことを考えていた琥太郎の頭は、その瞬間真っ白になった。
そして、琥太郎は最も原始的で衝動的な勢いに呑まれて口を開く。
「変、えて」
早雪から目が離せなかった。
口の中が乾き、情けないことに声が僅かに震える。
「――俺を変えて、さゆちゃん」
「さゆちゃんに任せな」
早雪は琥太郎の両頬を掴むと、更に笑みを深めた。頼もしい姉の面持ちに、新しいおもちゃを見つけた幼女のような目がくっついている。
闇夜に輝く力強い瞳に、琥太郎はごくりと生唾を飲み込んだ。
***
「っていうか、勘違いであんなディスられてたんそれなりに腹立つんだけど。さゆちゃん今からでも、カラオケ乗り込んで来よっか?」
「もうあいつらも帰ったと思うから。ね。……ね?」
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