02:お重のバレンタインデー

 嘉一と心は二年生の秋から週に一度、昼食を共にする仲になった。


 お弁当のメニューはその日によって違ったが、いつも何でも全てが美味しい究極の玉手箱だった。


 基本的には嘉一が作りたいものを作りたいように作ってくる。

 嘉一がパン作りにはまっている時は様々な種類のパンがエコバック一杯に詰め込まれていたし、嘉一のストレスが半端ない時は細かく飾り切りされたニンジンやレンコン、シイタケの入った煮物が出ることもある。


 嘉一は料理にまつわる話をして、心はその話を「美味しい」と叫ぶ合間に聞いて、そうこうしているうちに季節が変わり、話す内容は料理だけに留まらなくなっていった。


「心は進学すんの?」

「うんー。そのつもりだよぉ」

「どこ?」

「女子短〜」


 二人はいつの間にか「心」「嘉一君」と呼び合うようになっていた。相変わらず食以外での接点はなかったが、進路の話も出来る仲になっていた。

 心が受験するつもりの短大名を言えば、「あー」と嘉一は何度か頷いた。


「街のでかい本屋の前にある、教会みたいな建物のやつ?」

「そーそー。嘉一君は? 進学?」

「おう。ここ。多分そんな遠くない」

 嘉一がスマホに表示した、自分が受験する大学のホームページを心に見せる。心は一度箸を置くと、嘉一のスマホを手に取ってしげしげと眺めた。


「ほんとーだ。同じ駅?」

「いや、多分一つ違う」


 街の駅に詳しくない心は「そっかー」と頷いた。「一つ違う」という事実が、少し淋しく感じる。


(同じ駅だったら、たまに会えたかもしれないのになぁ)


 進学してからのことはまだぼんやりと想像する程度にしか実感が湧かない。しかし駅が一つ違えば、偶然会う機会は確実に減るだろう。

 せっかく仲良くなれた同級生なのだから、出来れば今後も付き合いを続けたかった。しかし、男女で交流を続けていくのは容易ではないに違いない。

 嘉一との別れを悟り、しょんぼりとした心に嘉一が話しかける。


「まあ、駅一つぐらいなら、続けようと思えば出来るだろ」

「なにを~?」

「これ」


 やる気無さそうに嘉一が指さしたのは、心が今まさに食い尽くさんとしているお重だった。


 心の表情が、ぱっと明るくなる。


「ほんとぉに??」


 一瞬で表情を変えた心を、嘉一は鼻で笑うような仕草をした。けれど、嘲っているとは感じなかった。悪人顔だったが、その目には温かくて、柔らかい温度が交ざっていたからだ。


「受かれよ」

「私のほーはね、たぶん大丈夫」

「んじゃ、俺も死ぬ気で受かるわ」


 頬杖をついて笑う嘉一を、心は全力で応援した。




***




 嘉一と知り合って初めてのバレンタインデーは、心のこれまでの人生の中で最高の一日だった。


 丁度月曜日だったバレンタインデーのお重は、それはそれは豪華なものだった。日頃から嘉一の料理は美味しかったが、明らかに手の込んだ料理が沢山詰め込まれていた。


 パエリア、レンコンのはさみ揚げ、チーズインハンバーグ、ブリ大根、鯵の南蛮漬け、エビフライに手作りのタルタルソース。心が一度好きだと漏らしたタンドリーチキンは、匂いが移るからと別のタッパーに詰まっていて、嘉一は心の心からの賞賛を一身に受けた。


 夏帆と拓海に譲ってもらった空き教室で、重箱の隅まで丁寧に食べ終えた心がお重を重ねていると、嘉一が尋ねた。


「心、今日放課後なんか予定ある?」


 頑張ってチョコレートケーキを焼いてきた夏帆の顔が、心の脳裏に浮かんだ。もし夏帆の望んだ通りにいかなければ、クリスマスの時のように傍にいてあげたい。


「夏帆ちゃん次第かなぁ」

「早川?」


 拓海の友人の嘉一に尋ねるのは微妙だろうか。恋愛方向に関心がないため、いまいち判断がつかない。


(でも嘉一君なら、茶化したり、引っかき回したりしないと思うし……)


 じっと嘉一を見つめると、嘉一も仏頂面でじっと心を見つめてきた。二人の目線の高さは、ほとんど変わらない。


「嘉一君、三浦君に言わないでくれる~?」

「心が言うなって言うなら言わない」

「じゃー、言わないでね?」


「わかった」と頷く嘉一に、心は「あのねぇ」と囁く。


「今日、夏帆ちゃんチョコケーキ焼いてきたの」

「へえ」


 嘉一がにやりと笑った。その声は存外嬉しそうだ。


「だから、もし夏帆ちゃんが落ち込んじゃうよーなことがあったら、放課後は夏帆ちゃんと一緒にいよおかな~って思ってるん」


「それ以外の用事は?」

「ないよ~」

「なら帰り迎えに行く」


 夏帆の心配が必要ないという嘉一の判断に、心は顔を輝かせた。拓海をよく知る嘉一のお墨付きがあるのなら、今日の夏帆を待っているのはきっと吉報に違いない。


「なんかあるの~?」


「ザッハトルテがある」


 用事があるのか、と聞いたつもりだったが、嘉一の返事に心は大喜びして「待ってる~!!」と返事をした。




***




 昼食を食べ終えると、嘉一はわざわざ心を三組まで送ってくれる。


「ひーろいー」


 右へ行けば六組、左へ行けば三組に行く丁字の廊下で、二人が左へ曲がろうとした時、嘉一に声がかけられた。


 声をかけてきたのは嘉一のクラスの女子だった。


「小堀ー! うちら先行っとくねー」

「あーい」


 一緒にいた友達に、小堀と呼ばれた女子が別れを告げる。

 心よりもうんと手慣れた化粧に、丁寧に巻いた長い髪。大きなカーディガンからはみ出るスカートは短く、そこから覗く白い足は細かった。


「今日は何の日だー?」

「一瞬でうざすぎてびびる」

「あはは~っ黙っとけ?」


 あまりにも軽やかに放たれた二人の暴言に、心はぽかんとした。夏帆が以前「六組の女子怖い」と言っていたことを思い出す。


「心、怖がらんでも大丈夫。バナナ投げてはこねえから」

「誰がゴリラじゃ」

 小堀がポカッと嘉一の頭を殴る。心は更に肝が縮む。


「はい、ハッピーバレンタイン」

「おーさんきゅ」


 腕にかけていた紙袋から中身を一つ取り出した小堀が、嘉一に渡した。トリュフ二つを包むビニール袋には、水色のリボンが巻かれてある。紙袋の中には、黄色いリボンの撒かれた同じようなチョコが沢山入っていたので、クラスチョコなのだろう。


「お返しはうちらも手作り弁当でいいよ」


 語尾にハートマークを付けた小堀の提案に、嘉一は即座に「バナナにリボン巻いて持ってくるわ」と笑う。


「うざったいわーまじ口悪いんやから。ねー? 橘ちゃん」


 突然話を振られ、心はにこっと微笑んだ。

 向こうは名前を知っているようだが、こちらは「何度か見かけたことのある嘉一のクラスの女子」くらいにしか相手の情報がない。


「それ、廣井が作った弁当なんやろ?」

 嘉一が持っていた風呂敷を、女子が指さす。


「うん~。そーだよぉ~」

「うわー……橘ちゃん、かんわいいしゃべり方すんねぇ?」


 小堀は目を見開いた後、茶化すように心のしゃべり方を真似た。

 心は普通通り話しているだけなのだが、この話し方を揶揄されることは珍しくない。心は「ありがとぉ」と微笑んで、いつも通り受け流した。笑っていれば、大抵のことは過ぎ去る。


「小堀、そういうこと言うな」


 笑う心の横から、嘉一が小堀を睨み付けた。


「は? 褒めてんじゃん」

「褒めてねえだろ」

「なに? 説教? 高二にもなってあんな話し方する方がおかしくない?」

「小堀」


 嘉一が静かに、もう一度名前を呼ぶ。小堀はたじろいだが、その姿を見られたくなかったようで、気丈に笑みを浮かべた。


「なん? マジになって。笑わせんなし。橘ちゃん大丈夫? 廣井、口悪いし意地も悪いし、嫌いなものとか入れられてるんやない?」

「入れるわけねーだろ」

 ため息をつきながら嘉一が否定する。先ほどまでのひりついた気配は遠ざかっていた。自分のせいで小堀と嘉一が喧嘩をしたらどうしようかと思っていた心は、ほっと胸を撫で下ろす。


「いっつも、とおっても美味しーよぉ」

 これまで食べた嘉一の手作り料理の数々を思い出し、心は顔を緩ませる。そんな心を見て嘉一が口元を緩めるが、すぐにいつものように顔を顰めた。


「うっわー? 何その顔。受けるんですけど」

「あーそうですか」

「うちらの前と全然違うじゃんー。橘ちゃんの前では猫かぶってんの? ご苦労様過ぎ」

「ほんと鬱陶しいわー」


 嘉一はだるそうに言うと、三組の方に向かって歩き出した。心を送り届けるつもりでいるらしい。


 嘉一のように何も言わずに別れるわけにもいかず、心は一度小堀を振り返り、にこっと笑って目礼した。


 今まで笑っていた小堀は一転、心を嘲るような視線で射貫くと、にこりとも笑わずに踵を返して六組へと戻っていった。





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