33:恋人とやりたいこと
「それで」
「うん」
「俺がバレンタインもケーキを食べられんかった理由の方は?」
「ええと……」
まだ続いていたんだ、尋問タイム。と夏帆は目を泳がせた。
「徹底的に話すって言ったやろ」
頬杖をつき、フォークを咥えた拓海が仏頂面で見ている。
「あのケーキ食ったやつ。松木だっけ」
びくっと夏帆は体を揺らした。
「……なんかあったんやろ」
「な、なんかとは」
「なんか」
「……なんか……は……あったかも……しれない……」
拓海の視線は剥がれない。当時拓海は夏帆の傍にいなかったし、松木のこともそれほど知ってなさそうなのに、告白されたことに気付いているようだ。
「そんな男にチョコやるなよ。俺も貰ってないのに」
「ごめんなさい」
「許す代わりに、俺がケーキ食べられんかった理由」
拓海がじとっとした目で夏帆を見る。
教室で土下座した拓海の背を思い出し、少し呻いた夏帆は口を開いた。
「なんか、これといって、大きな理由はないんだけど……」
「は? 理由もないのに俺は
「いやっ! 理由が完璧にないわけじゃ! ないんやけど!」
「なん?」
「……拓海君が」
「俺が?」
「他の子から、チョコレート貰ってるの見ちゃって……」
「……は?」
チョコってこれ? と、制服のブレザーから、丸いトリュフが二つ入ったチョコレートを取り出した。
「こんなん、見たまんま義理にもならん、クラスチョコやけど……」
「……そこの価値観の相違はまあ、おいておいくとして。――私のせいやけど、あ、あんなクリスマスやったし……今更。彼女でもない、ただの私からのチョコとか、貰ってく――」
「貰うし。全力で貰うし」
「……別れてるのにこんなん、作ってきて重いなとか」
「重くない」
「――なんかそういう感じで、逃げたくなっちゃって……」
「なるほどなー」
拓海はフォークを皿に置くと、正面の席から夏帆の隣の席に移動してきた。夏帆の方に体を向けて、拓海が座る。テーブルに頬杖をついた拓海は、フォークを持っていない方の夏帆の手を取った。大きな手でにぎにぎと夏帆の手を握りながら、夏帆の目を見る。
「夏帆さんの行動力、マイナス方向にも割と発揮するのな」
「そうみたい……実は私も知らんかった……」
「クリスマスは言い逃げやし、バレンタインは敵前逃亡やし」
「……呆れた?」
夏帆がちらりと拓海を見ると、拓海はきっぱりと言った。
「んや。でも聞けてよかった」
対策練れるから。と拓海が続ける。
「夏帆さんが逃げるって知ってれば、追いかければいいだけってわかるから。逃げられてんのか、拒否られてんのかわからんのが、一番困る」
拓海の言葉に、夏帆の胸がぎゅうっとなった。こんな面倒臭い女だとわかっても、拓海は追いかけてきてくれるつもりなのだ。一緒にいる努力をしようとしてくれる。
(私は拓海君の、こういうところを、好きになったんだ……)
夏帆が喜びに胸を震わせていると、拓海がズボンのポケットからスマホを取り出した。夏帆と手は繋いだまま、器用に片手で操作する。
(格好いい……)
こんな、一つ一つの仕草や動作が、どうしようもなく格好良く見えるようになっていた。
(やり直せて、本当によかった……)
拓海と繋いだままの手から、彼の温度を感じる。拓海の手は大きく、温かく、そして懐かしかった。
「ねえ、拓海君」
「ん?」
スマホをいじりながら、拓海が返事をする。
「なんで私がチョコレート持ってきてるの知ってたの?」
拓海の指が止まる。
拓海は先ほど、教室に入ってくるなり「そのチョコ!」と叫んでいた。松木の持つフォークの先にほんの一欠片乗ったチョコレートに、瞬時に気付くのは至難の業だろう。
「――嘉一に教えてもらった……」
スマホを伏せた拓海が、ばつが悪そうな顔で言う。
「廣井君に? ……廣井君には頭上がんないね」
ケーキといい、チョコといい。夏帆がほんのりと照れて笑うと、拓海は珍しく拗ねたような顔をした。
「……別に。嘉一いなくっても、時間はかかったかもやけど、俺と夏帆さんなら絶対またこうなってた」
夏帆の胸に温かいものが広がる。心がぽこぽこした。
(……あ、これ。好き、って思ってたんや……)
拓海のことを好きと自覚する前から、心は勝手にときめいていたのだ。
頬を赤く染める夏帆に、拓海は言葉を続けた。
「夏帆さんはチョコケーキ作ってくれたし――」
繋がれたままの手が、僅かに引っぱられる。
「俺、諦めんかったやろ?」
ご褒美を欲しがる飼い犬のように、獲物を見つけた猟犬のように、拓海が夏帆を覗き込むように見上げる。
拓海の少しくるんとカールした前髪の隙間から、一重の目が覗く。
その目の迫力に一瞬呑まれ、夏帆はぱちりと瞬きをした。そんな夏帆の顔を見た拓海は、ふっと笑って視線を外す。知らず息を詰めていたことに、思わずこぼした吐息で気付く。
夏帆の手の甲を、拓海は手を握ったまま親指であやすように撫でる。
「俺と夏帆さんなら、大丈夫」
力強く断言する拓海の声が、ゆっくりと夏帆に染み渡っていった。
じんわりと広がった喜びは、今にも涙となって溢れ出てきそうだった。夏帆は大きく頷いた。足りない気がして、もう一度、頷く。
「う゛ん」
涙声になったせいで、大分震えてしまった。
その声の可笑しさに、二人は目を合わせて、ふふっと笑う。
柔らかい表情を浮かべたまま、拓海はまたスマホをいじった。拓海がスマホから顔を上げると同時に、夏帆のスマホが鳴る。
テーブルの上に置いていたスマホをひっくり返した夏帆は、液晶画面を見て顔を綻ばせた。クリスマスからずっと入ることのなかった「ふたり!」部屋への通知だったからだ。
拓海と違って、夏帆の手ではスマホを片手で操作するのは難しかったが、夏帆は手を離そうとしなかったし、拓海もまた、手を離すかと聞かなかった。
もたもたしつつトークルームを開くと、“恋人とやりたいことリスト”に、新たに拓海の書き込みがあることに気付く。
(こ、これ……)
内容を読んで、夏帆を顔を赤く染め上げる。驚きと恥ずかしさと喜びで、出そうだった涙は完全に引っ込んでしまった。
拓海の方を見ることが出来ず、まだ文字を読んでいるふりをして、画面を睨み続ける。
「……駄目なら言って」
緊張に掠れた声で拓海が言った。先ほどの夏帆よりもずっと変な声だったが、二人とも笑わなかった。
握ったままの手に力を込め、拓海が大きな身を寄せてくる。甘ったるい生クリームと、フレッシュで甘酸っぱい苺の香り。
画面を睨み付けていた夏帆は、真っ赤な顔をほんの少し拓海に寄せて――拓海の「やりたいこと」に協力した。
【 拓海 / 夏帆さんとキスしたい 】
平凡な早川さんと平凡な三浦くんの非凡な関係
おしまい
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